5歳のときに片脚の切断手術を受けたボニー・セント・ジョンさんは、義足のスキーヤーとして1984年の冬季パラリンピックに出場。スラロームで銀メダル、ジャイアント・スラロームで銅メダルを獲得しました。その経験を生かし、現在は働く人々のメンタルや職場環境をサポートするビジネス・コンサルタントとして活躍。数々の困難を乗り越えてきた道のりと、伝えたい思いを語っていただきました。
── スキーヤー時代のお話からおうかがいしたいのですが、ボニーさんがスキーを始められたきっかけを教えてください。
学校ではみんなと一緒に運動することができなかったため、みんなが運動しているときには休んで、その間にたくさん本を読むというような過ごし方をしていました。
ところが高校生のときに、友人のバーバラが私をスキーに誘ってくれたんです。そのスキー場にはスキークラブがあって、障がい者用の特別な機材もあるということでしたので、じゃあやってみようかしら? と。
でも、私はサンディエゴ生まれのサンディエゴ育ちでしたから、雪さえ見たことがなくて(笑)。それに、経済的に決して豊かな家ではなかったから、スキーウェアも用意できなくて、ジーンズを履いて、普通のジャケットを着てゲレンデに出たんです。もちろん上手く滑ることはできなくて、転んで濡れるし怪我はするし、散々なスキーデビューでした(笑)。
── それでもスキーを続けられたのは、ボニーさんを魅了する何かがあったからだと思うのですが、それは何でしょうか?
一番は、義肢のスキーヤーたちの写真を見て「かっこいいじゃない! 義肢でもできるんだ!」と思ったことですね。そして実際に滑っているところを見たら、すごくスピードを出していたんです。私と同じ条件なのにすごい! って、とても刺激になりました。
『パラスポ+!』もパラスポーツやその選手たちの情報をビジュアルで見ることができますよね。「百聞は一見にしかず」という言葉通り、このサイトの一番素晴らしいところはそこだと思います。実は私も、70歳の女性の義肢の方がスキーを滑っているのを見て、「私にはできない」なんて言えませんでした。
また、障がいを持っている人にできるなら、ノーミー(障がいを持っていない人たち)、つまり健常者たちにもすごく勇気を与えてくれると思うんです。もちろん条件が違えばやることも違ってきますけれど、スポーツを楽しむということは同じですからね。どなたのサポートもできると思います。
── スキーは怪我と隣り合わせのスポーツでもあります。ご家族やご友人から心配さたり、反対されたりしませんでしたか?
私の家族はみんなスポーツ好きでしたから、私がスポーツをやることに対して何の抵抗もありませんでした。私がスキーに誘われた時も「あら、スキーをやるの? 行ってらっしゃい」みたいな感じでした(笑)。
もちろん、心配してくれる人がいなかったわけじゃないんですけど、先ほど言ったクラブのようなところでは、パラスキーヤーへのサポート体制が整っていましたし、義肢のスキーヤーも20人くらいいたんですよね。そういう環境の中では、義肢でスキーをすることが当たり前のように感じられるので、誰も反対しませんでしたし、私自身も続けることができました。
── スキー以外にもチャレンジされたスポーツはありますか?
水泳やサイクリングもやりましたし、大学時代はスカッシュにかなり力を入れていました。今となっては、様々なスポーツで義肢の人たちが活躍していますし、素晴らしい水泳選手がいることもわかりましたけれど、あの頃、いわゆる競技として頑張ってやれば障がいに打ち勝てるスポーツは、スキーしか知らなかったんですよね。ですから、競技に参加できるという可能性を考えてスキーを続けました。
── 趣味としてではなく、選手として競技に参加できるまでの技術を身につけるのは、本当に大変な努力が必要だったと思います。特に印象深いエピソードはなんでしょうか?
何かしら…大変なことだらけでしたからね(笑)。私は左足だけで滑るスタイルでしたから、スキー板が1本しかなくてボーゲンができないんです。だから最初は、あらゆる人にぶつかりました。選手を目指して、バーモント州にあるエリートスキー選手養成校に入ってからも、頑張りすぎて両脚を骨折してしまったり。最初は左足、そのあと義足の方を折っちゃって。
またご存知かと思いますが、障がいを持っている人たちのスポーツは、資金繰りもノーミー以上に苦労するわけです。肉体的に頑張るだけじゃなく、何でも自分で解決して先に進んで行くイニシアティブや、状況に適応する力も、ノーミー以上に持たなければ続けられないと思います。
── ボニーさんがスキー選手だった頃は、パラスポーツの認知度がまだ低く、ハード面とソフト面の両方で開拓しなければならないことがたくさんあったと思います。ボニーさんご自身で切り開かれた道はありますか?
スキーに関していえば、1本のスキー板だけで滑るスタイルですね。当時、私のように片脚で立位で滑る選手は、2本のストック代わりにポールの先端が小さなスキー板状になった“アウトリガー”を使って、3本の板で滑るスタイルが主流だったんです。でもノーミーはアウトリガーを使いませんから、私もそういう風にしたかったんですね。そもそもスキーを始めたときも、1本の板だけで滑り始めましたから。
コーチには「それは違うんじゃない?」と言われたんですけど、私にとっては3本板で滑ることの方が違うんじゃない? と思えたので、トライして技術を身につけました。でもね、1本のスキー板だけで左右のエッジを使って滑るというのは、よほど脚が強くない限りはできませんから。そのための体づくりは頑張りました。
もう少し広い範囲でいえば、ノーミーの中に積極的に入っていったことでしょうね。障がい者は障がい者の学校に行くとか、同じような境遇の仲間で集うとか、割と限られた世界の中で過ごしがちでしたが、私は普通の学校に行きましたし、アルバイトもしました。スキー競技選手になれるように体を鍛えたのも、普通のジムです。当時はまだジムを利用する人が少なくて、ましてや女性や障がい者のジム通いは珍しい時代でしたが、世間の目など気にしませんでした。
インタビュー後編はこちら>>>
https://paraspoplus.com/sports/2393/
【プロフィール】
ボニー・セント・ジョンさん
Bonnie St.John 1964年11月7日生まれ。5歳の時に、切断手術で片足を失う。パラリンピックのスキー選手として活躍した後、オックスフォード大学のローズ奨学生に選ばれる。現在、世界的に知られたリーダーシップ専門家として、フォーチュン500社経営幹部から起業家に至るまで、数多くの人材を指導し、高い業績目標の達成に導いている。『ピープル』誌、『フォーブス』誌、『ニューヨーク・タイムズ』紙、TV番組『トゥデイ』、CNN、CBSニュースなど広くメディアに取り上げられ、NBCニュースの中で「全米で最も感動を与える女性のひとり」と呼ばれた。著書『心を休ませるために今日できる5つのこと』(集英社)が発売中。
【『心を休ませるために今日できる5つのこと』の詳しい情報はこちら】
http://gakugei.shueisha.co.jp/kikan/978-4-08-786097-9.html
撮影=山下みどり インタビュー・文=市橋照子