2020年の東京パラリンピックに向けて、様々な競技やアスリートの魅力に迫るメンズノンノの連載「2020TOKYOへの道」。ここでは10月号に掲載したパラ陸上・佐藤圭太選手のインタビューを、本誌ではお伝えしきれなかったエピソードなども交えながらさらに深く掘り下げる! パラ陸上界屈指のスプリンターが描く、2020年への思いとその後のビジョンとは!?
───佐藤選手は、元々サッカーをされていたんですよね?
はい。小・中学校時代にサッカー部でした。15歳の頃に病気になり、脚を切ることになったのですが、その後も何かしらスポーツを続けて、ゆくゆくはサッカーに戻れたならいいなぁと思っていました。
───15歳という多感な時期に、悪性腫瘍によって脚を切断されて、いろんな苦しい思いをされたと思います。当時はどのような心境だったのでしょうか。
脚を切らなければいけない、という話を初めてされたときは実はそれほど悲観的にはならなかったんです。ただ、切った直後にはなかなか平常心でいるのは難しかったですね。主治医の先生が「義足を履けば何でもできるようになるから心配いらないよ」と励ましてくれたことが力にはなりましたが、それでも義足を履き始めた当初は脚が痛かったり、うまく日常生活に慣れなかったり、大変なことは多かったですね。
───そのような苦しい時期を乗り越え、佐藤選手は高校から陸上部に入られますが、陸上を始めようと決意したのはどのようなきっかけからですか?
義足にも慣れて、いざスポーツを始めようとなったときに、義足で運動することが思っていた以上に大変だという問題に直面したんです。これはサッカーをプレーするのは難しいと。だったら、いつサッカーに戻れるかわからないけど、とりあえず走ることだけに専念してやってみようと。それがきっかけですね。
───そこから、サッカーに変わるやりがいや面白みを陸上競技で感じられるようになっていったということですね。
最初は数メートル走ることも辛かったですけど、日に日に走れる距離が長くなったりタイムが速くなっていくことが目に見えてわかったので、それが嬉しくて。そこからどっぷりはまっていきましたね。
───サッカーをされていた頃から足は速い方でしたか?
それほどでもなかったと思います。中の上くらいでしょうか(笑)
───チームスポーツのサッカーに対して、陸上は、もちろんリレーなど団体でプレーする種目もありますが基本的には個人競技です。その競技性の違いの中から新しい発見などはありましたか?
それはありますね。サッカーの場合は僕がミスをしても仲間が点を獲ってくれたりカバーリングしてくれたりしますが、陸上は結果が出ても出なくてもすべてが自分の責任。その違いを大きく感じましたね。だからこそ頑張ってこられたというのは今になって感じる部分です。
───その後は中京大学に進学されて、在学中にロンドンパラリンピック(2012年)に初出場されました。
パラリンピックを初めて意識したのは高校3年生の頃ですね。ちょうど進路を考える時期で、義足を作る職業に就こうか、などといろいろ悩んでいたのですが、やっぱり好きな陸上で、関わりのあったパラリンピックに出ているアスリートと同じステージに立ってみたいと思ったんです。だから陸上の強い大学に行こうと。だからロンドンパラリンピック出場は本当にうれしかったですね。
───ロンドンが終わった直後、またすぐに次を目指したいと思いましたか?
そうですね。ロンドンは出ることに満足してしまっていた自分がいたので、次はもっと何かを成し遂げたいと思いました。
───次のリオデジャネイロパラリンピック(2016年)では400mリレーでみごと銅メダルを獲得されました。やはり達成感は大きかったですか?
ずっと一緒にやってきた4人でリレーのメダルを獲れたことはうれしかったですが、個人では100mでボロボロにやられてしまいました。だから、リオでは達成感と悔しさが半々でしたね。
───そして2020年の東京まで、あと2年。多くのアスリートにとって人生の転機とも言える大会だと思いますが、佐藤選手にとっての東京パラリンピックは集大成なのか、それとも1つの通過点なのか。どのように捉えていますか?
もちろん東京に向けて全力でいい準備はしたいと思っていますし、今回はリレーだけではなく個人種目でもメダルをめざしたいと思っています。ただ、それが全てかというと僕の中ではそうではありません。東京パラリンピックも含めて、今後もっともっといろいろなことにチャレンジしていきたいと思っているので。
───パラの選手でも健常の選手でもここは同じだと思いますが、陸上競技、とくに短距離種目において、タイムを突き詰める作業というのは常にアップダウンがつきまとうものだと思います。そんな中で、東京パラリンピックに向けてさらにレベルアップしていくために必要な資質やメンタリティとは?
おっしゃる通り、最初の方はやればやるだけ記録は伸びていくのですが、あるタイミングでそれが頭打ちになるんですよ。実際、僕自身も何年間も自己ベストを更新できないことがありました。ただ、そのようにタイムアップを目指して一進一退を繰り返しながら試行錯誤する中でも、ちょっとしたひらめきや、他の選手の走りからから得たヒント、コーチからのアドバイスなどがうまい形で1つの打開策として繋がり、パッと目の前が晴れる瞬間があるんですよ。近年はそこにこそすごく面白みを感じていますね。
───少し話はそれるのですが、日々ストイックにタイムを追求する中でのちょっとしたリラックス法や、息抜きのための趣味などはありますか?
それがあんまりないんですよね(笑)。わりと出不精なのでオフの時間は家にいることが多いです。強いてあげるならお風呂ですかね。温泉も好きですし。あとは趣味とは言えないレベルですがスタバのマグカップを集めています。遠征で海外に行った際にはよくご当地デザインのものを買って帰ってきます。
───なるほど。ちなみに他のスポーツなどは観たりしますか? 例えば佐藤選手は愛知県を拠点にされているので、プロ野球とかJリーグとか。
観るのはもちろん嫌いじゃないんですけど、僕はやっぱり自分が体を動かす方が圧倒的に好きなので。あまり熱心に観るほうではないですね。
───さきほど東京パラリンピックは集大成ではないとおっしゃいましたが、佐藤選手は、2020年のその先を見据えてどのようなビジョンを描いていますか?
僕自身、義足になった当初は周りからじろじろと見られているような気になって構えてしまうことも多かったのですが、東京パラリンピックに向けてたくさんの選手たちがメディアやCMに出ることで、そのあたりの意識が一般の方もパラ選手サイドも以前よりも和らいでいるように思います。だからこそ、その機運が2020年以降ガクッと落ちてしまうのではなくて、その後も社会全体のプラスにしなければいけないなと。そこにアスリート活動を続けることで貢献したいですね。東京パラリンピックをきっかけに、純粋に、いろんな“力み”がもっと取れていけばいいなと思っています。
【プロフィール】
佐藤圭太さん
さとう・けいた●1991年7月26日生まれ、静岡県藤枝市出身。177㎝・68㎏。小学4年からサッカーをしていたが、中学3年時にユーイング肉腫という悪性腫瘍により右下肢を切断。その後高校の陸上部で義足をつけて走り始め、中京大学時代にロンドンパラリンピックに初出場。2016年、現所属のトヨタ自動車に入社して迎えたリオデジャネイロパラリンピックでは400mリレー銅メダルを獲得。T64クラス(片側に下腿義足を装着し競技するクラス)の100m、200mのアジア記録、日本記録を保持している。
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Photo:Akira Yamada Composition & Text:Kai Tokuhara