東京パラリンピックに向けて様々な競技やアスリートの魅力に迫るメンズノンノの連載「2020年TOKYOへの道」。本誌3月号では、パラアスリートの“足もと”を支える「義肢装具」製作のスペシャリスト沖野敦郎さんにご登場いただき、メンズノンノモデル髙見翔太が義足体験も行ったが、ここでは沖野さん自身から提供いただいた写真とともに氏の仕事の「流儀」についてより深く語っていただいた。
───沖野さんは、機械工学を専攻し、陸上部に所属していた大学時代に義肢装具士をめざそうと決意されました。
大学時代、自分としては勉強も部活も真面目に両立してきたつもりが留年をしてしまいまして(笑)。それもありこのままではまずいなと思って色々と将来何をすべきか調べていたときに、偶然テレビでパラリンピックの映像が流れたんです。オリンピックで高橋尚子さんが金メダルを取った2000年のシドニーですね。その映像で義足の選手が走るのを初めて見て「なんだこれは!」と。これこそ、自分が趣味で続けていた陸上と、学んでいた機械工学の両方を生かせることなんじゃないかと。それで大学を卒業したあと、もう一度、義肢装具の専門学校に行こうと決めたんです。
───そして専門学校卒業後、義肢装具サポートセンターに入り、当時から義肢装具士として有名だった臼井二美男さんのもとでキャリアをスタートし、2016年リオパラリンピック後に独立されます。当初、ご自身が作られた義足でアスリートが走る映像を見てどのように感じましたか?
臼井さんのもとで11年修行を積みましたが、やはり最初はすごく怖かったですね。「自分が作った義足のせいでタイムが悪くなったらどうしよう」とか、「選手が走っている最中に折れたらどうしよう」とか、マイナスのことばかり考えてしまって。しかし数をこなしていくうちにその不安や恐怖が解消されていき、徐々にですが自分の中で自信も生まれていました。
───現在は何名ほどの義足を手がけていらっしゃるのでしょうか?
本気でパラリンピックを視野に入れている選手でいうと15人くらいでしょうか。ただ、そういったトップアスリートの義足だけを作っているわけではなくて、「市民マラソンに出たい」、「息子とキャッチボールをしたい」といったような一般の方々も含めて40人以上はいらっしゃると思います。
───ちなみに1足出来上がるのにどのくらいの期間を要するのでしょうか?
義足単体でいうと3日ほどでできますね。ただ何人もの義足作りを同時進行で行っていますし、また義足はできあがってからもユーザーさんの体重や足の形の変化などによってこまめなフィット調整が必要ですので、必然的にお付き合いは長くなりますね。
───沖野さんが、義足作りで最も気を使っている部分とは。
フィッティングですね。例えば車や携帯電話って極端なことを言ってしまえば無くても生きていけますが、脚を切断されている方が歩くためには義足は必要不可欠ですし、ましてやフィッティングが良くないと歩行そのものが難しいんです。とくに脚を入れるソケット部が体に完全にフィットしていないと、骨ばった部分に強い痛みを生じさせたり。僕ら義肢装具士のフィッティング技術がさらに向上すれば、アスリートのみならず義足の人がもっともっと歩きやすくなるんじゃないかと思い、日々研究に取り組んでいます。
───陸上の佐藤圭太選手(写真上)や池田樹生選手(写真下)をはじめ、パラリンピックをめざしているアスリートの方々の義足を作ることは沖野さんにとってはどのような仕事なのでしょうか?
アスリートは競技場に入ってベストパフォーマンスを出すために闘うじゃないですか。それと同じように、彼らが競技をする上で納得のいく義足を作る、というのが僕の闘いなんですよ。だから選手とは常にガチンコですね。「沖野さんのおかげで速く走れました、ありがとうございます」なんていうことよりも、むしろ「もっといいものが作れるんじゃないか」と意見されることのほうが多いですよ(笑)。僕も当然、選手には妥協してほしくないので、「なんでも言ってくれ」と。どんな無茶なオーダーであっても双方が納得いくまでとことん詰めます。
───そんな闘いの中で喜びを感じる瞬間とは。
アスリートには金メダルをめざしている人もいればパラリンピック出場が夢という人もいます。それに佐藤選手のようにメダル云々ではなくただひたすら自己ベストを追求したいというスタンスの選手もいます。そのように価値観は1人1人異なりますが、純粋にサポートさせていただいている選手たちがそれぞれのベストパフォーマンスを出して喜んでいる姿を見たときというのはやはり感慨深いものがありますね。
───「沖野さんが作る義足」の特徴やこだわりとは?
実はこれといって無いんですよ。強いて言うなら「ユーザーさんの求めるところに合わせていく」というのがこだわりですかね。義足は絵画やアート作品ではありませんし、作り手が自分を表現するものではないんですよ。ユーザーさんの「歩きたい」、「走りたい」という大前提の目標と、そこに加わるプラスアルファのリクエストに合わせて“調理”していくイメージでしょうか。料理に例えるなら、お客さん1人1人の好みに合わせてイタリアンでも中華でも一流の味が出せるのがいい義肢装具士だと思うので。
───選手たちとはかなり密にコミュニケーションを取られると思いますが、大会などにも帯同されるのでしょうか?
可能な限りは遠征にも一緒に行くようにしています。自分が競技そのものを好きだから見たいという気持ちもありますし、選手たちに「沖野が来ているから何かあっても大丈夫だな」と少しでも安心してもらいたいので。そういうお守り的存在になれたら、とはいつも思っています。
───そんな沖野さんにとって、「東京パラリンピック」とは。
僕がどうこうというよりも、東京パラリンピックが義足や義手により興味を持ってもらういい機会だなと思います。これまでベールに包まれていた部分も多く、「そこについて触れていいのかな」といったような感覚が多くの人の中であったと思うので。また純粋に見た目にも注目してもらって、「もっとデザインがこうだったらいいのに」とか(笑)、いろんなアイデアが生まれてくるとその先がより面白くなるんじゃないかなと。それに、ちょっと変な話ですけど、オリンピックと比べてパラリンピックのほうが選手1人1人にいろんな人が関われるんですよ。コーチだけじゃなく、僕らのような義肢装具士から医者、薬剤師まで。関わる人が多い分、そこにいろんな人間ドラマが生まれます。そういう部分にもフォーカスを当ててもらうとパラリンピックそのものがより面白くなるんじゃないでしょうか。
【プロフィール】
沖野敦郎さん
おきの・あつお●1978年生まれ、兵庫県出身。「オキノスポーツ義肢装具(オスポ)」代表。山梨大学機械システム工学科を卒業後にデザイン義肢装具製作を学び、義肢装具サポートセンター勤務を経て2016年に独立。山本選手や佐藤圭太選手らトップアスリートからも信頼を得ている。
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Photos:Teppei Hoshida Composition & Text:Kai Tokuhara