2月2日、大分市と別府市に広がる42.195㎞のコースで行なわれた第69回別府大分毎日マラソン大会は、東京パラリンピックの視覚障害男女マラソン日本代表推薦選手を決める最終選考レースも兼ねていた。視覚障害の部女子は道下美里(三井住友海上)が2時間54分22秒をマークし、自らの持つT12(重度弱視)クラス(※)の世界記録を更新する快挙で2連覇に花を添えた。
(※)視覚障害のクラスは障害の程度により、T11(全盲)、T12(重度弱視)、T13(軽度弱視)の3つに分かれる。
同男子は堀越信司(NTT西日本)が2時間31分53秒で2連覇を飾った。また、女子4位に入った井内菜津美(T11クラス/みずほフィナンシャルグループ)の3時間12分55秒というタイムも、中国選手が持っていた記録を20秒縮めて世界新記録を樹立するなど、快走が光るレースとなった。
「世界記録更新」を今大会の目標に据えていた道下は狙い通りの達成に、「最高の結果。ずっと(記録更新を)目指してきて、ようやくトンネルを抜け出せた」と笑顔が弾けた。
2017年の防府読売マラソンで当時の世界新(2時間56分14秒)を出して以来、記録が伸び悩んでいた。昨年の同大会でも世界新を狙って攻めたが、後半の向かい風でフォームを崩して失速した。苦い経験をバネに、ここ1カ月半の練習で30km走や40km走を合わせて4本行なうなど十分な走り込みで脚力と自信を磨いて臨んだ今大会では、「前半は抑えて、後半にペースアップ」というプランを立てスタート。序盤から世界新ペースを淡々と刻んだ。
25kmすぎから向かい風にあおられ、防府での失速が頭をよぎったというが、「ここで頑張らなければ」と奮起した。苦しくなる35km以降も東京パラのコース終盤の上り坂をイメージし、「ここで勝てなきゃ、東京でも勝てない」と自分に言い聞かせたという。終盤にペースアップする脚力も見せ、力強いフォームのまま歓喜のフィニッシュに飛び込んだ。
角膜の難病で、中学2年生で右目を失明し、左目も25歳のときに視力をほぼ失った道下は、盲学校で走る楽しさを知り、2008年に初マラソンを完走。その後、どんどんタイムを伸ばし、日本ブラインドマラソン協会(JBMA)の強化指定選手にも選ばれ、視覚障害の女子マラソンが初めて採用された16年リオパラリンピックで銀メダルを獲得した。
昨年4月のマラソン世界選手権(ロンドン)優勝で出場枠を勝ち取り、東京パラリンピックの出場もほぼ内定している。目標とする金メダルに向け、ライバル勢をけん制する意味でも、「この時期に(記録を)出せたのは大きい。(東京パラでは)もう少し攻める走りをして、もっと進化した自分を見せたい」と意気込んだ。「支えてくれる“チーム道下”の仲間たちと東京大会で最高の笑顔を」という目標に、また一歩近づいた。
T11クラスの世界新記録を樹立した井内は、自己ベストを10分以上も縮める快走で3時間12分55秒をマークした。
「(3時間)15分台を目指していたので、(世界記録は)まったく意識していなかった。びっくりした」と無心での快挙だったことを笑顔で話した。
1989年京都府生まれの井内は、先天性の全盲でわずかに光を感じる程度で、伴走者のサポートを受けて走る。中学・高校は陸上部で中距離を中心に活躍し、大学進学などで競技から一度離れたが、再び走りはじめ、2016年にマラソンに初挑戦。仕事をしながら、滋賀の立命館大学や大阪の長居公園などの練習会で力をつけた。2019年夏に転職して練習時間を増すなど、環境の充実も急成長につながったと振り返る。
世界記録保持者となったが、東京パラのマラソンはT11とT12を統合して実施されるため、今大会で4位に終わった井内はマラソンでの推薦内定には届かなかった。だが、「トラック種目(1500m)の選考はまだ残っている。いい記録を出して、東京大会出場を決めたい」と前を向いた。
今年の別大でブラインドランナーたちは世界新2つを含み、女子は6名、男子は3名が自己記録を更新する快走を見せた。日本ブラインドマラソン協会(JBMA)の安田享平理事は、「どの選手も持てる力を発揮してくれた。自己ベスト更新者がこれだけ出たのは、日ごろからマラソンに真摯に向き合い、努力してきた結果」と、選手や伴走者を称えた。
この結果から見てもわかるとおり、日本は今、視覚障害者マラソンでは先進国であり、強豪国だ。1984年に日本盲人マラソン協会(現日本ブラインドマラソン協会)が設立され、パラリンピックには1988年のソウル大会から連続して男子マラソンに選手を派遣してきた。男子T11クラスでは1996年アトランタ大会と、2004年アテネ大会で金メダルを獲得。T11と12が統合して実施されるようになった2008年北京大会以降は入賞に留まったが、16年リオ大会の男子で岡村正広(RUNWEB)が銅メダル、初めて実施された女子でも道下が銀メダルを獲得し、再び存在感を示した。
こうした実績を支えるのは、JBMAによる地道で綿密な強化策だ。伴走者の存在なくしては一歩も走れない選手も多いなかで、伴走者を含めた「チーム・ジャパン」としての強化を続けてきたことが今につながっている。市民ランナーの練習会なども主宰し、指導法に定評がある安田理事を中心に、男子の強化指定選手を対象にした合宿を早くから定期的に開催。女子についても、2013年春に強化選手制度を立ち上げ、リオ大会での活躍につなげた。
強化選手の居住地は北海道から九州まで各地に散らばっているが、ここ数年はほぼ毎月、3日から4日間の強化合宿を行なう。仲間たちと直接情報交換し、切磋琢磨しあえる環境でアスリートとしての覚悟を持ち、いい意味でのライバル意識も生まれているのは間違いない。
このほか、科学や医学的な知見も積極的に活用し、合宿時には血液や唾液の検査などによって各選手の健康状態を把握したり、栄養指導による体作りやヨガも取り入れている。アンチドーピングやトレーニング理論などの座学の時間もあり、強化は多岐にわたる。
また、夏のパラリンピックを意識して、毎年8月に開催される北海道マラソンを強化大会と位置づけ、2014年から強化指定選手たちを公式出場させている。レース前後の健康状態のデータを収集し、暑熱対策やレース戦略に生かす試みも続けている。2018年からは視覚障害の部も設置され、正式に表彰種目にもなり、初代チャンピオンには堀越と道下が輝いた。
伴走者の養成も重要だ。1992年から「伴走者養成研修会」を実施して理解や普及に努めてきたほか、競技レベルが急激に向上している近年は、「世界で戦うための伴走者」の養成や強化にも力を入れている。伴走者には、選手より高い走力が不可欠なのはもちろん、陸上競技経験の少ない選手を身近に指導するコーチ役も求められる。さらには、合宿や国際大会などでは長期間生活を共にし、食事や入浴など必要なサポートも行なう。安田理事は、「伴走者には人間力も必要」と説く。
日々の練習を支える伴走者の確保は課題だが、強化選手たちは地元で多くの伴走者や協力者からなる「チーム〇〇」を結成し、練習環境を整えている。現在のルールではパラリンピックなど国際大会では伴走者が2人まで認められているが、2人の場合は選手がメダルを獲得しても伴走者にメダルは授与されない。それでも、JBMAではアクシデントなどを想定し2人体制を敷く。伴走者たちは、「チームの代表」として責任とプライドを胸に戦う。
個人競技でありながら、ブラインドマラソンは互いに尊敬し刺激し合って力を高める。「チーム・ジャパン」のさらなる活躍から目が離せない。
【Sportiva webサイト】
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星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko 吉村もと●写真 photo by Yoshimura Moto