東京パラリンピックに向けてセブンティーンは全力でスポーツを応援します! 今月の注目アスリートは、圧倒的なスピード感と迫力が魅力の車いすバスケ競技で、10代にして大活躍する赤石選手。少年マンガのヒーローのようにアツく、車いすバスケと向き合う日々について直撃してきたよっ!
【パラリンピック競技/車いすバスケットボールってどんなスポーツ?】
ハの字に車輪のついた専用の車いすに乗っておこなうバスケットボール。選手には、障害の程度や身体能力によって1.0〜4.5点までの間で点数のふり分けがある。出場する5人の選手の合計が14.0点以内になるようにチームを構成するのがルールだよ。コートを駆けていくスピードや、車いすがぶつかる金属音は車いすバスケならでは!
今までの練習方法から変えてみよう、と思ったのが成長のきっかけ
3つ上の兄が中学でバスケ部に入ったのが、バスケに興味をもったキッカケ。競技用車いすに乗ったり、本格的に始めたのは中1になって地元のチームに入ってからです。強豪チームだったので、まわりとのレベルはまったくちがって。5歳から車いす生活だったけれど、競技用のものを乗りこなすのには1年弱かかりました。それでもバスケを続けられたのは、チームの選手やコーチが「絶対うまくなる」って言ってくれていたから。その言葉を信じて"いつかこの人たちと対等にやれる日がくる"と思ってがんばっていました。ただ高校生になって同世代の選手が日本代表に選ばれていくなかで"自分だけがうまくなってないんじゃないか"と壁にぶつかったことも。そのときに今までのガムシャラな練習法じゃダメだと思い、ノートを取ることにしたんです。何本シュートが入ったとか、角度ごとのシュート決定率のちがいとか。その約半年後"U23世界選手権"の選手になれた。諦めずにがんばってよかったなと思います。
学校のみんなの支えで高校3年間はバスケに専念!
高校はバスケで選ばず、普通科高校に通っていました。理由は駅から学校までの距離が近かったから(笑)。でも、先生や生徒も車いすバスケに対して協力的だったな。遠征で2週間くらい学校に行けないことがあって。ふつうは欠席になるところを、公欠扱いにしてくれたり。高2のときに"U23世界選手権"の選手になったときは、「がんばってこいよ!」と壮行会も開いてくれました。まわりのサポートのおかげで高校3年間、おもいっきりバスケに専念できた。高校を卒業して、大学に入ってからはひとり暮らし。自炊や洗濯は大変だけど、なんとかひとりでやっています(笑)。休みの日は、のんびりとマンガを読んで過ごすことも多いです。バスケマンガはやっぱり気になって読んじゃいますね。王道だけど『SLAM DUNK』は最高。僕と同じくスピードが武器の宮城リョータが好きです。
【教えて! 赤石選手の必需品】
1 ノート
「高校のときに使い始めた練習のメモ用ノートです。コーチにもらったありがたい言葉とかも書いていたりします。自分用だから字はザツ(笑)」
2 ヘッドバンド
「高校のときからスキンヘッドにヘッドバンドがトレードマークです! ヘッドバンドは消耗品なのでたくさん持っています。これはつけることが多い2本」
【STモデル&読者からの質問にお答え♡ 赤石選手に聞いてみた!】
Q.試合前のルーティンを教えてください!(箭内夢菜・STモデル)
A.「ビジョントレーニング。幅30㎝くらいあけて立てた指を、左右交互に見るっていう眼の運動です。バスケは視野の広さも大事なポイントなので!」
Q.今ハマってるものはありますか?(しぇりぃ・高1)
A.「『鬼滅の刃』。先輩にすすめられてアニメを観始めたらマンガも全巻買ってました(笑)。煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)というキャラが好きで。彼が活躍する劇場版アニメの公開が今から楽しみ!」
【プロフィール】
赤石竜我さん
あかいし・りゅうが●2000年9月11日生まれ、埼玉県出身。5歳のときにホプキンス症候群により脊髄を損傷し、車いす生活に。中学1年生から現在まで、埼玉ライオンズに所属。’17年に"U23世界選手権"で国際大会デビュー。攻撃的なディフェンスとそのスピードのあるプレーが魅力のひとつ。
【ST channel】
撮影/角守裕二 文/上村祐子