アスリートの「覚醒の時」――。
それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。
ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。
東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく――。
「New SHINGO is coming!」――新たなシンゴがやってくるんだ――。
真夏のメルボルンの青空の下で頂点を掴んだ彼は、高らかにそう宣言した。
これまでに得たグランドスラム・車いす部門シングルスのタイトル数は、すでに20を数えている。それでも彼は、勝利の瞬間に天を仰いで涙をこぼし、「今回の優勝が一番うれしい」と断言することをためらわなかった。
2018年1月。この時の全豪オープンの栄冠は、当時33歳の国枝慎吾が、実に2年ぶりに手にした21番目のグランドスラムタイトルだった。
「車いすテニス界の絶対王者」「ウィールチェアのロジャー・フェデラー」
それらの通り名で讃えられる国枝の、グランドスラム20回目のタイトルは絶頂期のなかでもたらされた。
2014年から2015年にかけて、シングルスでは負け知らずの6大会連続優勝(※当時ウインブルドンの車いす部門は、シングルスが開催されていなかった)。台頭する若手の波を押し戻し、再び築いた“第二次黄金期”の掉尾を飾ったのが、2015年9月の全米オープン優勝だった。
だが、リオデジャネイロ・パラリンピック開催年の翌年、ケガの試練が王者を襲う。
古傷の右ひじが痛みだし、悩んだ末に春にメスを入れる。だが、パラリンピックのシングルスでは準々決勝で敗退した。
その後も痛みは消えなかったため、抜本的な解決策を模索すべく、ツアーを離れてフォーム改造に取り組むも、答えはなかなか見つからない。ラケットを変え、グリップも見直し、試行錯誤を繰り返すうちに、2017年もグランドスラム無冠のままに過ぎていった。
「もしかしたらこのまま、新しいフォームは完成せずにキャリアが終わるのだろうか……」
復帰への疑念が頭をめぐる。
「打ち方を変えて、仮に痛みが消えても、それで勝てるのか? 痛みがなくても勝てなくては、意味がない」
それらの不安も胸を塞ぐ。だがそのたびに、彼は「それではつまらない!」と顔を上げ、持ち前の克己心とプライドでコートへ向かった。
さらにその時期に国枝は、恩師とも言える人物の門を叩いている。
それは、メンタルトレーナーのアン・クイーン。2006年に師事しはじめ、王者のメンタリティをともに構築し、国枝が世界1位に達した時もその傍らに立っていた、かけがえのない戦友である。
それから、10年……。再び頂点への険路を歩むなかで、国枝は「技術的にはよくなっている」と実感しつつも、「最後の最後で、自分を疑ってしまっていた」。
「どうにか変えたい」
そう思った時に真っ先に思い浮かんだのが、かつて「俺は最強だ!」のフレーズと信念を与えてくれた、メンタルトレーナーの姿だった。
約5年ぶりにタッグを組むと、頂点に至る苦しみも、その地位に居続ける困難も共有してきたクイーンの言葉は、心地よく身体の隅々まで染みわたる。
すでに備わっていた新たな技と身体に、最後のキーパーツである“心”が加わり、国枝は再び「俺は最強だ!」と信じて走り始めていた。
迎えた2018年。
国枝は開幕戦のシドニー大会で優勝するという、最高のスタートを切る。翌週のメルボルン大会では、長年のライバルであるステファン・ウデ(フランス)にフルセットで敗れるも、リベンジの機は直に訪れた。
それが、全豪オープンの決勝戦。決戦の場は、同会場の第2コートに位置づけられるマーガレット・コート・アリーナだ。
息苦しいほどの酷暑のなか、7,500人を収容するアリーナに、ウィールチェアが激しくコートを駆ける金属音と、両選手の荒い息使いが響く。とくに国枝は、大柄なウデが豪腕から放つ高く弾むスピンショットを、一打一打に裂帛の気合を込めて打ち返した。
常に、劣勢に追いやられながらの戦いだった。第1セットを奪われ、第2セットは取り返すも、第3セットはゲームカウント5-2と大きくリードを許す。
だが、この窮地にあっても、国枝は「自分を信じていた」といった。3度までも、1ポイント落とせば敗戦の危機に追い込まれるが、そのたびに「俺は最強だ!」と心の内で……いや、時に声に出して叫んだ。
驚異の粘りでゲームカウント6-6に追いつき、優勝の行方がタイブレークに持ち込まれた時、両者の心身の優位性は完全に逆転する。
タイブレークの中盤から終盤では、試行錯誤の末にモノにしたバックハンドでウイナーを連発。栄光へのチャンピオンシップポイントは、勝利の味を熟知する得意のフォアで掴み取った。
2年半ぶりのグランドスラム優勝を、周囲は「復活」と讃える。
だが、手術以降に技術面を大きく変え、戦術的にも変革を志していた国枝は、ここを「新たなスタートライン」だと定義した。
このメルボルンでの戴冠の約4カ月後、国枝は15年間師事したコーチと別れ、ネットプレーを得手とする元プロの岩見亮をコーチとし、攻撃的なプレーを志向する。その新たなスタイルを引っさげて、同年6月には全仏オープンをも制し、世界1位に返り咲いた。
New SHINGO is coming!
あの日、口にしたこの言葉を体現する国枝は、36歳を迎えた今も、世界ランキング1位の座に君臨している。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事をバックナンバーを配信したものです。
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内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki photo by AFLO
全豪オープンテニス2020
全豪10度目優勝の国枝慎吾が「今がいちばん強い」と言える理由