アスリートの「覚醒の時」――。
それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。
ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。
東京五輪、そしてパラリンピックでの活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく――。
2018年8月、車いすラグビーの世界選手権で日本代表が悲願の初優勝を遂げた。決勝で下した相手はディフェンディングチャンピオンにして、パラリンピック2連覇中のオーストラリア。その“王者”の背中を追い続け、乗り越えた者だけに許された“世界一”の景色を、日本の選手たちは噛みしめた。
実は、この大会で栄光につながる重要な試合があった。それは、チームを率いるキャプテンの池透暢(ゆきのぶ/日興アセットマネジメント)にとっても、「覚醒」を実感することになったライバル・アメリカとの準決勝の試合だ。
予選ではオーストラリアに13点差をつけられ、一度敗れている日本。準決勝に駒を進めたものの、ここでアメリカに勝たなければ決勝でオーストラリアにリベンジすることができない。だが、相手のアメリカも世界選手権を4度制した強豪だ。リオパラリンピックの直接対決でも延長戦の末に逆転負けを喫するなど、ここ一番という場面で日本の前に立ちはだかる宿敵である。
日本は、予選でオーストラリアに大差で負けて自信を失いかけているところだったが、モチベーションを上げるために準決勝の直前にミーティングを開き、選手12人全員で日本チームの優れているところや強みを話し合った。その裏で、池の“個人”としての覚悟は、また違うところにあったという。
「キャプテンという役割を、捨てたんです。この試合は、一人の選手としてのプレーにフォーカスする。そう決めていました」
2015年に代表キャプテンに就任してから、これまでビッグゲームのたびにチームメイトに寄り添い、高いモチベーションを共有し、それを自身のパフォーマンスにつなげてきた。だが、このアメリカ戦の時だけは、異なる心境だった。
池は仲間への声掛けや、チームを鼓舞するリーダーの役割を仲間に預けた。そして、自身は試合のスタートから終了のブザーが鳴り終わるまで、一切感情を動かさず、自分のプレーだけに集中した。リオで倒せなかった相手の鉄壁の守備を連携プレーで攻略。アメリカが強力なプレッシャーをかけるなか、池は3度のターンオーバーを成功させ、相手の攻撃の芽を摘んだ。
試合は51-46で日本が勝利。「自分史上、最高のパフォーマンスが出せたゲームだった」と、池にとっても確実に選手としてステップアップした瞬間だった。
キャプテンの覚悟を仲間たちも支えた。声かけは副キャプテンの羽賀理之(まさゆき)が担い、コートに出ないメンバーはベンチから的確な指示を出し、仲間を奮い立たせた。
車いすラグビーはベンチに12人の選手が入り、その中から4人のラインナップを作りコートに入る。選手交代の回数に制限はない。相手チームの戦略に対して様々なラインナップを使うこともあるが、それでも試合に出られない選手が出てくる。
「その選手たちがいかにベンチでいい仕事をするかで、チームの総合力が変わってきます。この時、日本代表はスタッフも含めてすごく完成されたチームだと感じていたし、実際に選手やスタッフそれぞれが自分の役割を最大限に発揮したのがアメリカ戦でした。僕が自分に集中できたのは、ベンチへの信頼があったからです」と、池は言い切る。
ゲーム中、いわゆるゾーンに入っていた池。相手が何を考えているか、次にどう動いてくるかが手に取るようにわかり、ついには手立てがなくなり戦略が底をついたことも透けて見えていたという。
一方のアメリカにとってこの敗戦のショックは大きく、泣き崩れる選手もいたほど。エースのチャック・アオキは、今でも「あの試合で日本にボロボロにされた」と語っている。
そして、日本チーム全員の力が優勝につながった。決勝ではオーストラリア代表の背中を押す地元の観客の大声援に、たびたび押し込められそうになったが、日本は気持ちをひとつにして戦い、接戦を制して62-61で見事に勝利。池は、勝因についてこう語る。
「オーストラリアと競り合っても、アメリカ戦でひとつの領域を超えた自分たちを知っているから最後まで突っ走れた。そういう、初めての世界一だったと思います」
金メダルを目指す東京パラリンピックは1年延期になったが、池は「日本チームにとってはメリットのほうが大きい」と話す。「故障していた選手もコンディションが優れない選手も、ここで一度リセットできました。ポジティブな材料を探してみると、案外たくさんあるなと思ったんです。それを活かして、もう一度チーム作りをしていきたい。実はすでに再び足並みがそろい始める兆しが見えているので、すごく楽しみなんです。新しいジャパンになるんじゃないかな」
前進することにトライし続けてきた池の言葉だからこそ、重みを感じる。これからリスタートを切る“新生ジャパン”を牽引する池の活躍に心から期待したい。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事をバックナンバーを配信したものです。
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荒木美晴●文 text by Araki Miharu photo by AAP Image/AFLO