アスリートの「覚醒の時」――。
それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。
ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。
東京五輪、そしてパラリンピックでの活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく――。
車いすフェンシングは、ピストと呼ばれる装置に車いすを固定し、2名の選手が向き合って戦う。男女ともフルーレ、エペ、サーブルの3種目があり、それぞれ障害の種類や程度によって2つに分けられたクラスごとに順位を争うもので、パラリンピックでは1960年の第1回ローマ大会から正式競技として行なわれている歴史あるスポーツだ。
より障害が重いクラス、カテゴリーBのフェンサー藤田道宣(日本オラクル)は、フルーレで世界ランキング11位、エペで同17位につけている。それぞれ日本人最上位だ。リオパラリンピックの出場を逃した悔しさをバネに猛練習を重ね、この4年間で成長を遂げてきた。
その過程で経験した「覚醒の瞬間」――。それは2018年にインドネシア・ジャカルタで開かれたアジアパラ競技大会だ。藤田はメイン種目のフルーレで銀メダルを獲得。しかも、準決勝で“大きな壁”を乗り越えての表彰台だった。
準決勝の相手、イラクのアマル・アリは2016年のリオパラリンピックのエペで銀メダルを獲得している強敵で、両者の試合の通算成績はここまで藤田の0勝7敗。4年前の韓国・仁川大会の準々決勝でも敗れており、「ここで彼に勝たないとメダルはない」と藤田はリベンジを誓っていた。
「戦略が必要なエペを得意とするだけあって頭のいい選手。彼は僕がアタックすると引いて捌くんですが、それがうまくて速い。下から跳ね上げる剣の払い方に今までやられていたので、これに対処できれば勝てるとも思っていました」
藤田は映像で相手のプレーを細かく分析し、緻密な戦略を立てて試合に臨んだ。
まずは、相手の得意とする形をあえて引き出すことにした藤田。そこから冷静にモーションを見極め、徐々に違うタイミングで剣を出してポイントを重ねていく。そして、相手がフラストレーションを感じながら戦っている様子が垣間見えた後半、勝負どころで一気に引き離すと、15-9で勝利した。
カギとなる試合に照準を当て、徹底的に対策を立てて勝機を引き寄せた。藤田はアリから「強くなったな」と声をかけられたといい、「この時の勝利は大きな自信になりました」と振り返る。
車いすフェンシングには、より障害が重いカテゴリーCというクラスがある。頸椎損傷で胸から下の感覚がなく、剣を持つ右手の握力がゼロの藤田は、本来はこのカテゴリーCの選手だ。だが、パラリンピックでは実施されていないこともあり、ひとつ上のカテゴリーBにエントリーして戦っている。
「車いすフェンシングは選手同士が向き合って近距離で戦いますが、正直、“遠くて剣が届く気がしない”という気持ちが大きいです。それでも、障害は負ける理由になりません。勝つことだけを考えて、技術もメンタルも鍛えてきました」と話す。
藤田によると、もともとカテゴリーCの選手数は少なく、そのなかでもパラリンピック出場を目指しているのは自身と韓国人選手の2人だけだといい、彼らがいかにカテゴリーBで代表になることが難しいかがわかる。だが、徹底的に戦略を練ることで、障害がもっとも軽いカテゴリーAの選手にも勝つことができるのもフェンシングの魅力のひとつだ。
たとえば、2018年に京都で開かれたワールドカップ男子フルーレ団体戦。団体戦ではAとBの混合チームで勝敗を争うのだが、藤田は相手チームのカテゴリーAの選手に勝利している。カテゴリーAは下肢の切断やまひの選手で体幹バランスがよく、健常者に近いフェンシングをする。
藤田も普段の練習は健常者とやることが多いといい、「逆に相手からすればCの選手はやりにくいところがあるでしょうね。この一戦も、こちらの戦略がきれいにハマりました。そういう時は、本当に気持ちがいいですよ」と藤田は笑う。
そして、こう続ける。「もし僕がパラリンピックに出場できたら、カテゴリーCの選手でも、頚損でも、車いすフェンシングができるというアピールになると思うんです。それによって、Cの選手が増えたらいいなと常に思って競技に取り組んでいます」
受傷前、藤田はフェンシングの名門校・平安高(現:龍谷大平安高)で剣を握り、進学した龍谷大1年の時にはインカレのエペで7位、全日本選抜ではベスト16の成績をおさめている。19歳の時に海での事故で車いす生活となり、2009年に車いすフェンシングに転向後、メイン種目をパワー系のエペから繊細な技術で戦うフルーレに変更。健常時代のエペの経験を活かしながら、車いすフェンサーとしての競技力を高めてきた。
前後のフットワークがない車いすフェンシングは、固定された車いすの上で上半身だけを動かして戦う。腹筋や背筋が利かない選手は、剣と反対の手で車いすのフレームを握ってコントロールすることが重要になる。転向当初はわずかに握力が残る左手で剣を握っていたが、この上半身の動きを重視して、剣を利き手の右手に戻した。
ただし、藤田は右手の握力がない。そこで、剣と手をテーピングで固定する工夫を凝らす。使用する剣についても藤田の戦略が光る。フェンシングは剣の長さが5段階に分かれており、一番長い5号剣を使用する選手がほとんどだが、藤田は相手によって剣の種類を使い分け、ジュニアの選手が使用する短い3号剣で挑むこともある。他の選手にとって短い剣を使用するメリットはないが、障害で手首にも力が入らない藤田にとって剣の軽さは武器となり、スピードがまったく違ってくるのだという。しかも、相手は経験したことのない距離感での試合展開に戸惑いを感じる。そこを突いていくのだ。
「3号剣を使ったとき、周りからは『意味がないからやめろ』って言われました。でも、いかに自分が有利に戦えるか、それを追求するために僕はなんでも試してみたいんです」
藤田の言葉に迷いはない。
東京パラリンピックが1年延期になったことは、「トレーニングができる時間が増えたとプラスに捉えている」と話す藤田。同時に、競技普及への想いもつのる。「パラスポーツのなかでも車いすフェンシングは認知度が低いんです。東京パラリンピックが終わったあともブームを継続するには、この延期された1年間にどんな取り組みをするかが重要になると考えています。僕も車いすフェンシング界の発展につながる活動をしていきたいと思っています」
自分の信念を貫いた先に、たどり着く場所がある。車いすフェンサー・藤田道宣は、険しくも楽しい道をしっかりと見据え、挑戦を続けていく。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事をバックナンバーを配信したものです。
【Sportiva webサイト】
https://sportiva.shueisha.co.jp/
荒木美晴●文 text by Araki Miharu photo by Yohei Osada/AFLO SPORT
東京五輪&パラリンピック 注目アスリート「覚醒の時」〜車いすラグビー・池透暢 車いすラグビー世界選手権(2018)
車いすラグビーで世界一になるため、池透暢は主将の役割を「捨てた」
東京五輪&パラリンピック 注目アスリート「覚醒の時」〜車いすテニス・国枝慎吾 復活を遂げた全豪オープン(2018年)
「俺は最強だ!」の不屈のメンタル。国枝慎吾が2年ぶり全豪制覇で雄叫び