東京パラリンピックに向け様々な競技やアスリートの魅力に迫る、MEN’S NON-NOの連載「2020年TOKYOへの道」。今回は、競技歴約3年で本大会出場内定をつかんだパラ陸上界のニューヒロインが登場。彼女の人生を変えた大きな決断とは!?
2019年11月の世界選手権で銅メダルを獲得し、パラ陸上の走り幅跳びで東京パラリンピック出場の内定を勝ち取った兎澤朋美。彼女が陸上競技の世界に入ったのは大学に入学してから。つまり、競技開始からわずか3年足らずで世界のトップクラスに上り詰めたことになる。
「パラスポーツに挑戦しようと思ったのは、東京パラリンピックの開催が決まったことと、2016年のリオパラリンピックで重本沙絵選手や山本篤選手の活躍を見て自分もこうなりたい! 人生に一回訪れるかどうかのチャンスにかけてみたい!って思ったことがきっかけです」
当時、高校生だった彼女は日本体育大学に日本財団のパラアスリート奨学金制度が設立されたことを知り、同大学への入学を決意。実は当初考えていた進路とは真逆の方向だったとか。
「高校で理系を選択していましたし、将来は建築関係の分野で仕事をしたいと考えていたのですが、東京パラリンピックをめざすには今しかない! と思って日本体育大学に進学しました。陸上の経験もないのにそんな大それた決断をするなんて自分でもやばいなと思いましたけど(笑)」
ひとつのターニングポイント、ひとつの決断が人生を変える。彼女のサクセスストーリーはまさにそれを体現しているかのようだ。
「一番変わったのは自分のマインドですね。当初は練習が本当にきつくてウォーミングアップだけで1日やりきったくらいヘトヘトになっていたのが、できることに全力で取り組んでいくうちに徐々に自分の限界値が高まっていき、記録もランキングも上がって、だんだん夢が目標に変わっていくのを実感しました。脚をなくしたときに泣いてばかりいた私がこうして世界の舞台で活躍できるチャンスに巡りあえるなんて。あのとき、本当に陸上を始めてよかったなって思っています」
【プロフィール】
兎澤朋美さん
とざわ・ともみ●1999年1月14日生まれ、茨城県つくば市出身。小学校5年生の頃に骨肉腫を発症し、左脚の太ももから下を切断。2017年に日本体育大学に入学してから本格的に陸上競技を始め、走り幅跳びと100mで飛躍的な成長を遂げる。2018年の日本選手権で走り幅跳びT63クラス(義足)のアジア記録をマーク。そして2019年にはドバイで開催された世界選手権で同種目の銅メダルを獲得し、東京パラリンピックの日本代表が内定。自己ベストは4m44。
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Photos:Takahiro Idenoshita Composition & Text:Kai Tokuhara