沖縄の方言、「なんくるないさ」は、「やるべきことをして努力を続ければ、きっとなんとかなる」という意味だという。当地出身の車いすランナー、喜納翼(きな つばさ/タイヤランド沖縄)の競技生活は、そんな故郷の”教え”を体現しているようだ。
今年4月のジャパンパラではトラックの1500mと5000mを走った喜納翼
2016年、競技歴3年ほどで伝統ある大分国際車いすマラソンで初マラソンに挑むと、1時間44分56秒の好タイムで、いきなり優勝。「練習どおりのベストな走りができて、すごくうれしいです」と笑顔を見せ、「今、できることを一つひとつ、一生懸命にやって課題を克服したい。その先にパラリンピックがあったらいいなと思います」
その目標どおり、ひたむきに日々の練習と実績を積み重ねて成長。2019年には日本新記録となる1時間35分50秒をマークした。この記録が「東京パラリンピックマラソン出場基準24カ月ランキング(※)」で4位にランクされ、5月10日、初めてのパラリンピックとなる東京大会の日本代表に内定した。(※2019年4月1日~2021年4月1日内)
だが、浮足立つことなく、目の前のことに集中するスタイルは崩さない。「内定しても、特に気持ちは変わりません。やるべきことは決まっているので、ブレずにやっていきます。選手として競技に全力を注ぎ、(自分を)高めていきたいです」
子どもの頃からスポーツ万能で、特に小学4年から始めたバスケットボールには夢中になった。中学・高校時代には沖縄県代表選手にも選出されるなど、将来を嘱望されていたが、大学1年のとき、自主トレーニング中の事故により両足が完全に麻痺。車いす生活になった。当初は落ち込んだが、家族や友人たちの励ましに助けられ、入院・リハビリ生活を経て復学。卒業後に出会ったのが、車いす陸上だった。
最初は車いすバスケットボールにも惹かれたが、現在も師事する下地隆之コーチに声をかけられ、陸上を体験した。「レーサー」と呼ばれる陸上競技用車いすは大きな車輪2つに小さな前輪がついた三輪の車いすで、高速走行に特化した設計になっている。無駄をそぎ落として軽量化し、風の抵抗を少なくするため車高も低い。試しに乗って漕いでみた喜納は、その疾走感や爽快感に魅了された。
本格的に始めてみると、持ち前の運動センスと負けん気の強さ、そして下地コーチの的確かつ熱心な指導もあり、才能が開花した。喜納は身長173cmでリーチが長く、それは大きなアドバンテージとなる。レーサーの車輪を漕ぐときに使うハンドリムと呼ばれるパーツにより長く触れていることができ、車輪に力を加えつづけられるからだ。名前である”翼”のように両腕を広げて躍動させ、リズミカルに力強く走る。
短距離から徐々に距離を伸ばし、2015年秋には大分国際車いすマラソンのハーフの部で3位に。翌年には冒頭で記したように初マラソン初優勝の快挙を果たした。2017年からは大分国際に加え、東京マラソンや海外のエリートレース、ロンドンマラソンにも挑戦。それぞれ異なるコースで、世界のトップランナーたちと競い合い、駆け引きや効果的なコース取りなどレース経験を積み重ねている。
強さを支えるのは豊富な量と質の高い練習だ。週5~6日、平日は就業後に競技場で2~3時間、メニューに沿って練習する。緩急をつけたスピード練習や、持久力養成のため40kmを走ることもある。トラック100周は、「メンタルの強化にもなる」と言い、雨の日も休まず、室内のローラー台に車いすを固定して、ひたすら漕ぐ。
週末は起伏の多いロードを走り、実戦感覚も養う。「苦手」と明かす上り坂では前方にライバルたちの姿を思い描きながら、ハンドリムをたたく手に力をこめる。さらに、車いすを漕ぎ続ける上半身の筋力や体幹の強化のため、筋力トレーニングも欠かさない。
2018年にはレーサーをアルミ製から走行時の安定感が高いフルカーボン製に変えた。推進力が増し、「特に下りでの加速がいい」という。減速させずスピードに乗れれば、大きな武器になる。性能を生かす体の動きや漕ぎ方を工夫しながら、「もっとエンジン(となる自分)を鍛えたい」と向上心を絶やさない。
きつい練習を耐え抜く原動力は、大好きなスポーツを思い切りできる喜びと、支えてくれる人たちに「よい結果で恩返ししたい」という感謝の思いだ。陸上は個人競技だが、家族や友人をはじめ、コーチやチームメイト、レーサーの開発担当者など、支え・応援してくれる「チーム感」にも魅せられ、力にしている。
昨年3月の東京パラ延期にも揺らぐことはなかった。できる範囲で走り込みを重ねながら、よい機会だと例年以上に筋トレを増やし、ベースとなる体づくりに励んだという。今年3月には、陸上自衛隊立川駐屯地(東京・立川市)の滑走路を周回する特別レースに出場した。大きな起伏のないコースは下り坂での加速が得られないため車いすを常に漕ぎつづけなければならず、基礎体力が問われたが、喜納は「強い向かい風にもペースが落ちなくて、トレーニングの成果を実感しました」と手ごたえを口にした。
東京パラ内定が決まった翌日、5月11日には本番会場である国立競技場でのテスト大会に出場。テスト大会のため、種目は専門外の100mだったが、マラソンの発着点となるトラックの感触や一般道への出入り口となるマラソンゲートなどを確認できたといい、笑みをこぼした。
「マラソンゲートを通った瞬間、パッと明るく、視界が広がる感じがしました」
陸上と出会い、目の前の課題と一つずつ真摯に向き合いながら、世界への扉も開いた。その視界はどれだけ広がり、その”翼”でどこまで飛んでいくのだろうか。
Profile
喜納翼(きな・つばさ)
1990年5月18日沖縄県うるま市生まれ。タイヤランド沖縄所属。バスケットボールに夢中だった大学1年時、トレーニング中の事故で下肢完全まひとなり、2013年に車いす陸上を始める。障害クラスはT54。2019年世界選手権5位。マラソンベストタイムは2019年に出した1時間35分50秒。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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星野恭子●文 text by Hoshino Kyoko 吉村もと●写真 photo by Yoshimura Moto