23歳の時に交通事故で脊髄を損傷し、車いす生活になった西崎。その後始めたパラ陸上は2011年に引退したが、13年の東京パラリンピック開催決定を機に、パラ・パワーリフティングで選手復帰した
下肢に障がいがある選手によるベンチプレス競技「パラ・パワーリフティング」。主審の合図でおもりをつけたバーをラックから外して胸まで下げ、腕を伸ばしながら持ち上げる。シンプルながら、その間わずか約3秒という一瞬に懸ける選手たちの集中力と精神力、そして鍛えぬいた腕力に、観ている者は心を奪われる。
今年3月、西崎哲男(乃村工藝社)はW杯マンチェスター大会男子49㎏級で銀メダルを獲得した。3回の試技をすべて成功させ、日本記録タイの138㎏まで記録を伸ばすと、ガッツポーズを作ってみせた。だが、それは喜びのパフォーマンスではなかったと話す。「実は想定外でした。自分の感覚では、3本とも赤(失敗)判定でもおかしくなかった。ひとまず日本人首位を守れて安堵した、という感じだったんです」
Photo:SWpix.com (ta Photograhy Hub Ltd)
W杯マンチェスター大会男子49㎏級で試技後にガッツポーズをつくる西崎
コロナ禍での開催で、選手はバブル方式のなかでコンディションを整えなければならなかった。帰国後は2週間の隔離生活が待っている。試技に集中しているつもりだったが、さまざまな雑念が最後まで拭えなかったと明かす。西崎のような経験豊富な選手でも、メンタルの波が試技に影響してしまう繊細なスポーツであり、そこが魅力でもある。
ジャッジは3人の審判が行う。胸の止め、傾きの有無などを3方向から目視で確認し、3人のうち2人が「白」と判定すれば成功となる。採点競技ではないがゆえに、選手本人の成功の感覚と判定に良くも悪くも相違がある場合がある。「それも含めて、パラ・パワーリフティングという競技なんで。選手は“これは完璧”と思うイメージを持っている。僕はそれをベースに成功の基準を“自分”にしているので、今回みたいに審判がOKでも自分が納得できなかったら次の試技で修正をかける。そうやって、誰が見ても力強く美しいと思える試技を目指していこうと思っています」と、競技の奥深さを語る。
その境地に達した背景には、5年前のリオパラリンピックでの苦い経験がある。当時、54㎏級の日本代表として臨んだ西崎は、第1試技で127㎏が挙げられず失敗。第2試技は挙げたが赤判定で、第3試技は完璧に見えたが失敗とジャッジされた。記録なしの失格という結果に終わり、夢のステージでの挑戦はあっけなく終わってしまった。
「あの時は、ほんまに悔しかった」と、西崎。さらに帰国後のことを考えると、心苦しさが増した。西崎は、リオの2年前、2014年に企業と現役アスリートをマッチングするJOCの就職支援制度「アスナビ」を活用し、空間プロデュースを手掛ける乃村工藝社に入社している。社内に専用のトレーニングルームが設置され、IPC公認の試合で使用するものと同じベンチ台を購入してくれた。それだけでなく、観ている人も楽しめるようにと、国内の競技会を音楽やライトでショーアップして盛り上げるなど空間演出面で協力。所属選手の直接支援という枠を超えて、国内のパラ・パワーリフティング界全体の認知度向上をも視野に入れ、社を挙げてサポートしてくれていた。
所属企業の専用トレーニングルームで練習を積む。「癖で右肩が下がりがちなので、挙げる前に左肩を意識します」
「だから、帰国したらすごく文句を言われると覚悟していました」と西崎。ところが、実際の周囲の反応はまったく違っており、「ありがとう、感動したって言ってくれて。結果も大事だけど、“競技をしていること”自体を、純粋に応援してくれていたんだと知った。会社の人たちは初めからそうだったのに、僕が勝手に期待されているから頑張らなければと自分にプレッシャーをかけていただけだった。東京に向けてリスタートを切るうえで、それに気付けたのは大きかったですね」。
周囲の人たちの存在が、西崎の復活の原動力になった。それと同時に、西崎の存在もまた、社員側に変化をもたらしていた。パラアスリートと競技を応援することで社内に新たな一体感が生まれたのだ。入社後初の西崎の試合に駆け付けたのは5人ほどだったが、今年1月に無観客で行われた全日本では社内外の63人がリモートで応援し、冒頭に述べたW杯マンチェスター大会でも日本は深夜だったのにもかかわらず、同じくリモートで24人もの人々が熱いエールを送るなど、より競技を身近に感じる人が増えているそうだ。「アスリートと企業が一緒に成長できるというアスリート雇用のメリットを、まさに体現できていると思う」と西崎は語る。
東京2020パラリンピックは男女10階級が実施され、180人が出場予定だ。6月28日の段階で、世界ランキングとは別に設定された東京パラリンピックランキングで各階級の上位8人が出場内定となり、残り20人はバイパルタイト(推薦枠)で決まる。同じ国や地域から2人以上は同階級に出場できないため、上位の選手が内定し、下位の選手が繰り上がる方式だ。
西崎はいま、男子49㎏級で東京2020パラリンピック出場を目指しており、東京パラリンピックランキングは12位で、日本人最上位を守る。もとの54㎏級でも16位につけているが、熟考を重ね、2019年のテストイベントで49㎏級でパラ出場を目指すことを明言した。階級変更によって減量が必要になったが、高校時代にレスリング部で10キロ以上減量した経験や、ハンドサイクルなどパラ陸上の経験を存分に活かし、3カ月で7キロ減の「スムーズな減量に成功」している。
トレーニングルームには講演会先からもらった応援ボードも
6月下旬、いよいよW杯ドバイ大会が開催される。東京パラリンピックランキングに反映される指定大会のひとつで、これがランクアップのラストチャンスだ。西崎のひとつ上の11位の選手の記録は140㎏、10位の選手は143㎏を挙げている。この大会で西崎は「140㎏以上」を挙げて、一つでもランキングを上げることを目標にしている。なお、15位につける三浦浩(東京ビッグサイト)も出場予定だ。三浦はリオパラリンピック5位の実力者。日本人最上位をかけたライバル対決にも注目が集まる。
「泣いても笑っても、これが東京パラ出場を懸けた最後の大会。マンチェスターの時みたいに、帰国後の隔離生活のことで悩んでも仕方ないし、やるしかないという心境に行きつきました。僕、本来はメンタルが弱いんですけど、いま、すごく楽しいですよ」
男子49㎏級の試合は、開幕初日の6月19日だ。応援を力に変えて、大一番に臨む西崎の限界突破に期待したい。
荒木美晴●写真・取材・文 photo&text by Miharu Araki