パラテコンドー61キロ級に出場する田中光哉
殺気にも似たすごい気迫が連続した蹴りから伝わってくる。
こんなに激しい格闘技がパラリンピックの競技種目としてあることが信じられない。
「お互いに激しく蹴り合う迫力がこの競技の、最大の魅力です」
パラテコンドー日本代表の田中光哉は、涼しい顔で、そう語る。
障がい者が戦うパラテコンドーは、東京パラリンピックから正式種目になった。試合時間(2分3ラウンド、休憩1分)や試合コート(八角形)はテコンドーと変わらないが、一部ルールが異なる。
「上段への蹴りは反則になり、中段につけられているプロテクターへの蹴りだけが有効と認められています」
上段への蹴りは、腕に障害がある選手が頭や顔を守りきれないので禁止され、安全を考慮して中段だけの蹴りだけになっている。万が一、顔に当たり、相手選手がノックダウンしてしまうと蹴った選手が反則負けになる。ただ、胴を狙って蹴りを入れてポイントを稼いでいくのは決して容易ではない。
「相手も腕の障がいがあるので、左右どちらかの脇が空いていたりとか、どこを蹴ったら有効なのかとか、相手の特徴を見極めて戦うことが必要になります」
中段にある胴体には、センサーがついている。電子ソックス(靴下)をはき、それをセンサーにヒットさせることでポイントが入るのがわかる。体重のクラスごとにヒットさせる圧力を変えており、田中の61キロ級では軽く触っただけでは得点にならず、かなりの重さの蹴りが入らないと得点にはならない。
胴だけが的になるので、得点が入るまで蹴り続ける。蹴りは全身運動なので、連続して続けると息が上がる。激しく蹴り合うので、熱くなることもある。
「このヤローという相手に向かう熱い気持ちも大切ですし、相手を熱くさせた上で、自分は冷静に試合運びをすることも大事です
老練な格闘技者のようなコメントだが、田中はパラテコンドーを始めて、5年目に入ったばかり。わずか1年で日本代表になり、昨年1月の選考会で優勝してパラリンピックのテコンドー日本代表(61キロ級)の座を射止めた。
幼稚園の頃、腕に障がいがありながらも工夫して剣道を始めた。
小4の時には02年ワールドカップ日韓大会が開催され、それをテレビで見て、すぐにサッカーをやろうと思って始めた。
「小野伸二選手が好きで、もう毎日サッカー漬けでした」
ポジションはボランチやトップ下を任され、健常者と一緒にプレーした。小中まではそれほど周囲の選手と違和感なくプレーができたが、高校生になると周りも体が大きくなり、障がいがあることでのハンデを徐々に感じるようになった。
「高校生ぐらいになると上半身のフィジカルの強さとか、違いが出てきました。でも、そこでダメではなく、どうやって負けないようにプレーするのか。ポジショニングや(体を)ぶつけられないことを考えてプレーするようになりました」
サッカーを続けていくうちに、指導者になりたいという気持ちが強くなった。高校サッカーの監督は、障がい者でも十分にやっていける。たとえば羽中田晶さんは車いすだが、08年から09年にかけてカマタマーレ讃岐で監督をしている。田中はその夢を実現しようと沖縄の大学に進学するが、そこでのいろんな経験で考えが徐々に変わっていった。
「大学でいろんな人に出会ったり、留学でオーストラリアにいったのが大きいですね。英語教員になり、高校サッカーの指導者になろうと思って行ったのですが、現地には障がい者の人もいて、その人たちに対する目線がすごく優しいんですよ。障がい者に対する見方や考えを学ぶうちに、自分自身の障がいについて深く考えるようになりました。大学を卒業する時には障がい者である自分がサッカーだけではなく、もっといろんなスポーツに関われる道があるのかなと思い、監督の道は一度、諦めることにしました」
大学卒業後、東京都障害者スポーツ協会に入社した。
そこで障がい者のスポーツの指導、イベントを手伝ったり、東京パラリンピックに向けてパラアスリートの発掘事業にも参画した。そのなかで、田中は自分の気持ちが東京パラリンピックに向いていくのを感じた。
「自分もやれることがあるんじゃないかって思うようになったんです。じゃ何をやろうかと考えた時、本当はパラスポーツの中でもサッカーをやりたかったんです。それでアンプティサッカーを始めようとしたのですが、上肢障がいだとGKになるんですよ。他に陸上、水泳とか、上肢障がいの選手ができる競技があるんですけど、(上位の)タイムを見てしまうと、 あと4年でこのタイムは難しいだろうと思ったんです。そんな時、東京パラリンピックからテコンドーが新たに競技種目になったと聞いて。日本ではパラテコンドーの競技人口も少ないですし、腕の障がいのある人を探しているというのも聞いたので、だったらやってみようと思って始めました」
もともとサッカーをしていたので、脚力に自信があり、持久力もあったのでピンときた。本格的にテコンドーをやろうと会社をやめ、道場のある横浜に越してきた。師範とコーチに蹴り方から始まり、戦術を徹底して教え込まれた。
「東京パラリンピックに出場するという夢が見えてきたので、人生のすべてを注ぎ込むのに迷いはなかったですね」
東京パラリンピック出場に向け、最初は75キロの階級での代表を目指した。パラテコンドーの体重は61キロ、75キロ、75キロ超の3つしかない。ただ75キロ以上は、世界を見渡すと体の大きな選手が多く、中には190㎝近い選手もいる。そういう選手と対峙すると、もともと68キロ前後で増量したぐらいでは敵(かな)うことがなく、力の差を見せつけられた。そこで田中は61キロ級を目指すべく、3か月程度で14キロ落とした。
「61キロ級では自分は比較的、身長が高いほうなので世界で戦うには有利でしたし、75キロ級よりも勝てる自信があったんです」
パラテコンドーは、ボクシングのようにリズムを取り、終始動いて蹴りを出し続けなければならない。「足のボクシングと言われていて、体力的にはハード」と田中が語るように試合は持久力も要求されるが、トレーニングは試合以上にハードだ。
「7月は、午前と午後にインターバルトレーニングを行ないました。今までで一番きつい練習でしたね(苦笑)。おかげで心肺と脚力はかなりパワーアップしました」
直前の練習だけではない。東京パラリンピックで頂上を目指すために、コロナ禍で1年延期した時間は弱点を補うことに費やしてきた。
「蹴りだと下半身重視のように見えるんですが、重い蹴りを入れるのには体幹と上半身の強さも必要になってきます。相手とクリンチして押し合って蹴る場合もあるので、腕の力で相手を押すというのはこれまでトレーニングしてこなかったんですけど、ウエイトトレーニングでかなり鍛えることができました」
練習パートナーには、健常者がついた。両腕でガードをしてくるので、隙がない。それでも戦いながら相手のクセや弱点を見極めて、すばやく蹴りを入れていく。障がい者と対戦するよりははるかに難しい相手と戦うことで、東京パラリンピックでは、より厳しく攻めることができる。
「健常者の(攻めるのが)難しい相手と対戦させてもらったので、すごくいい練習ができました」
そう、充実した表情を見せる。
田中の得意技は、カットだ。半身で構えた時、前側の脚で相手と距離を取りつつ、前脚で蹴るもので、「ボクシングのジャブみたいなもの」と言う。
「相手に懐に入られると僕は両腕に障がいがありますが、相手が片腕の場合、近い距離で押しながら蹴られると自分の強みを出せないんです。そのため、脚を使ってうまく距離を保つことを意識しています」
カットの精度を高め、回転蹴りなどで高ポイントをとる。田中が思い描くスタイルは、テコンドー発祥の地である韓国の伝統的な美しいスタイルだ。
「韓国の多くの選手は試合中も姿勢がよく、オーソドックスな戦い方の選手が多いんですが、僕はそういうところにテコンドーの本来の魅力があると思っているので、そのようなカッコいいスタイルで勝ちたいですね」
田中をサポートする支援者も増えた。
道場の師範や仲間はもちろん、地元で歩いていると子どもたちに声をかけられる機会も増えた。また、昨年12月に結婚し、奥さんが田中を献身的にサポートしてくれているという。
「すごく助かっていますね。前は練習が終わると疲れてご飯を作れないので、スーパーの総菜を買って食べていたんですけど、今は帰るとちゃんとご飯が出てくる。これはすごくありがたいです。本番に向けて体重のコントロールも必要になってくるんですけど、そこも考えてくれていますし、僕が競技に集中できる環境を作ってくれています。合宿から帰ってきた時の豚汁とか、ほんと最高です(笑)」
最近はコロナ禍の影響もあり、オフの日はなかなか出歩けないが、近所の沖縄料理店で、ソーキそばを食べるのが楽しみだという。地元を愛し、愛され、声援を受けるのは飾らない田中の人間性に魅力があるからだろう。庶民派のアスリートは、いつの時代も人気者だ。
東京パラリンピックに向けて、今は細部にこだわって調整している。先だって開催された東京五輪は、田中にとっていい刺激になっている。
「僕は福岡の久留米が実家なんですが、東京五輪で柔道の素根輝選手が金メダルを獲ったので、地元がすごく盛り上がっているそうなんです。僕も負けたくないですし、いいニュースを地元に届けられるようにしたいですね」
素根からいい流れを受け継ぎ、田中も結果を出せば地元はさらに盛り上がるだろう。そのためには、メダルが不可欠になる。
「東京パラリンピックでの目標は、メダル獲得です。その戦いを通して、パラテコンドーを多くの人に知ってもらいたいですね。そうして障がいがある子どもたちをはじめ多くの人たちが見て、この競技をやってみたいと思ってもらえるようになるとうれしいですし、そういうプレーをしたいと思っています」
大会前は減量が続くので試合が終わったら好きな物をたくさん食べたいと語る。
9月2日の決勝に勝ち、メダルを土産に家に帰ると、奥さんが大好物の豚汁を作って待ってくれているはずだ。
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*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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佐藤俊●文 text by Sato Shun photo by Kyodo News