世界で初めて単独の車いすレースとして創設され、1981年に第1回大会が行われた大分国際車いすマラソン。11月21日には、第40回記念大会が開催された。昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて中止とされたため2年ぶりとなった今大会には、海外選手も招待され、日本を含む4カ国、131人がフルマラソン、ハーフマラソンに参加。マラソン男子では、優勝したマルセル・フグ(スイス)が22年ぶりに世界記録を更新。さらに準優勝し、日本勢トップでゴールをした鈴木朋樹がアジア新記録を樹立するという記念大会にふさわしいレースとなった。
スタートから1キロで “ 2人旅 ” に
気温13度の秋晴れのもと、ほとんど無風状態の中、朝10時に大分県庁前をスタートした42.195kmのフルマラソン。注目は東京パラリンピックで4冠を達成し、銀色のヘルメットにちなんで「銀色の弾丸(シルバー・バレット)」の愛称で呼ばれるフグだ。そのフグの牙城を崩す日本人選手として大きな期待を寄せられていたのが鈴木だった。
スタートからフグが先頭に立ち、一列になって追いかける集団をけん引。どこまでフグのスピードについていけるかが注目された。すると最初のポイントとなった舞鶴橋の上り坂で、鈴木以外の日本人選手が引き離され、橋を下り終えた時点で早くもフグと鈴木との “ 2人旅 ” となった。
今大会はコースがリニューアルされ、記録更新も見どころの一つに。道幅が狭く急カーブが続く往復約8キロの「テクニカルコース」がなくなり、より起伏の少ない平坦なコースとなったことで、超高速レースが展開されることが予想されていた。
その予想をはるかに上回るペースで走り続けるフグと鈴木。スタートから1キロ過ぎの時点で2人で抜け出し、他を寄せ付けない圧倒的なスピードで大分市内を駆け抜けた。だが、「実力差をひしひしと感じながら走っていた」という鈴木。ふだんならローテーションを繰り返し、後方を走る際には前方の選手を風よけにしながら体力を温存する方法がとられる。このレースでも何度かフグが鈴木に先頭を譲るしぐさをしたものの、鈴木にはフグのハイペースについていくのが精一杯だったようだ。
フグによれば、「最初の折り返し地点で鈴木選手に “ 前を走るか? ” と訊いたが、鈴木選手からは “ ハイペースすぎて無理 ” という答えが返ってきた。それで自分が先頭で引っ張っていくから、そのままついてきて一緒に記録を狙おう、ということになった」という。
一方、走りながらフグとの実力差を感じていたという鈴木には、「ペースがきついと感じながら走っている自分が先頭になることで、世界記録を狙うマルセル選手の邪魔をしたくはなかった」という気持ちがあった。
淡々と前を向いてレーサーを漕ぎ続けるフグと鈴木。22年前、1999年にハインツ・フライが同じ大分の地で刻んだ1時間20分14秒の世界記録、そして2019年に鈴木自身が大分のレースで刻んだ1時間22分55秒のアジア記録を上回る速さでゴールへと向かっていった。
最後まで圧倒的に強かった世界王者フグ
レースが動いたのは、37キロ付近。ゴールまで残り5キロの地点だった。フグ自身は特にスパートをかけようとしたわけではなかったというが、疲弊していた鈴木と最後の上り坂で距離が少しずつ離れ、単独トップへ。それ以降もフグのスピードは変わることはなく、世界王者は、淡々とゴールへと向かっていった。
フグとの距離が徐々に離されていく中、鈴木の気持ちも切れてはいなかった。レーサーに付けられたメーターを見ると、日本記録、アジア記録更新の可能性を感じた鈴木は、フグに無理についていくのではなく、自分のペースで走ることに切り換えたのだ。
ゴール地点の大分市営陸上競技場にトップで姿を現したフグは、観客が見守るなか、疲労の色をまったく見せることなくトラックを快走。余力をすべて使い切るかのように飛ばしたフグは、両手をあげてゴールテープを切った。タイムは1時間17分47秒。スイスの偉大な先輩ランナーの記録を2分以上回る好記録で、大会3連覇、通算9度目の優勝を果たした。
22年間破られなかった世界記録をついに更新したことについて、フグはこう喜びを述べた。
「ずっと破られなかった記録を今日、自分が破ったことが今でも信じられない。破れるとしても数秒差でと思っていたのに、(2分以上と)大幅に更新することができて本当にうれしい」
一方、新しいコースについて考える余裕もなく、沿道からの声援に力をもらいながら最後まで走り切ったという鈴木。フグのゴールから約1分後、1時間18分37秒のアジア新記録でフィニッシュした。
「今日のレースはマルセル選手と勝負ができたわけではなく、彼におんぶにだっこの状態だった。ただ記録更新はやろうと思ってできるわけではないと思うので、そのチャンスをつかみとれたというのは本当にうれしい」
アジア新の鈴木はパリに向けての好スタートに
東京パラリンピック後、10月にはボストンマラソン、11月にはニューヨークシティマラソンと、立て続けにメジャー大会を優勝し、好調をキープしてきたフグ。それに対し、鈴木は約1カ月間はレーサーに乗ることさえもしなかったという。ようやく練習を再開したのは、10月のはじめだった。
「東京パラリンピック後は、家族や友人、サポートをしてくださる方などいろいろな人と会って元気をもらっていました。3年後のパリパラリンピックに向けて応援している、という言葉をいただくなかで、“ よし、またがんばっていこう ” と思えるようになったことで、またレーサーに乗りたいという気持ちになりました」
練習再開後、東京パラリンピックまでに貯蓄してきたスタミナがまだあることを確認し、それが大分での結果につながると自分自身に期待をしてレースに臨んだという鈴木。アジア新記録樹立は、自身の期待に応えた結果となった。
「記録更新という結果を出すチャンスをつかんだことで、東京パラリンピックまでにしてきたことが間違ってはいなかったと確認できました。パリパラリンピックまで3年を切っているので、やることを明確にして一つ一つクリアしながらメダルを目指していきたいと思います」
未だに他を寄せ付けない圧倒的な力を誇示し続ける絶対王者のフグ。日本のエースはその強力なライバルとなるつもりだ。パリパラリンピックに向けて、今後のレースからも目が離せそうにない。
写真/越智貴雄[カンパラプレス] 文/斎藤寿子