東京2020パラリンピックの3位決定戦。車いすラグビー日本代表は最後の力を振り絞り、前回王者のオーストラリアを破って2大会連続の銅メダルを死守した。この最終戦で出場機会がなかったチーム最年少の19歳・橋本勝也(三春町役場)は、ベンチから人一倍大きな声を出してチームを盛り上げると同時に、想いを新たにしていた。
「絶対に、世界一のプレーヤーになる」
先天性の四肢欠損。中学2年で車いすラグビーに出会い、2018年に高校1年で日本代表に初招集された当時から自分を鼓舞し続けてきた言葉。金メダルを逃した今も、顔を上げ、前へと突き動かす糧となっている。
パラリンピック閉幕から2カ月半がたった11月下旬、橋本の躍動する姿がコートにあった。千葉ポートアリーナで開催された「2021ジャパンパラ車いすラグビー競技大会」。日本代表候補選手25人が3チームに分かれて対戦するもので、橋本のBチームは2位に終わったものの、個人では予選と決勝を合わせて最多の74得点をマークし、存在感を見せた。
圧巻だったのは、Cチームの島川慎一(バークレイズ証券)との手に汗を握るマッチアップだ。クラスは橋本が3.5、島川が3.0で「ハイポインター」と呼ばれ、両者ともスピードとパワーが持ち味だ。島川は5大会連続でパラリンピックに出場したベテラン。経験に裏打ちされた展開の読みと切れ味鋭い突破力を発揮してトライを量産する。一方の橋本は、経験値の違いもあって、これまでは島川との1on1で抜かれる場面もあったが、今年は並走してブロックするなど、成長を見せた。「相手に時間をかけさせるプレーができた。こんなにシンさんを止められることはなかった」と、本人も手ごたえを口にする。
パラリンピック後、とくに競技用車いす=通称「ラグ車」の操作性の向上に取り組んできたという橋本。漕ぎだしのタイミングと力強さは、島川に引けを取らない。橋本によれば、これまでのスタミナ重視のトレーニングメニューからがらりと変えたといい、今はラグ車に乗って短い距離と長い距離を走りこむことでチェアワークを鍛えているそうだ。
トレーニングは決して楽なものではないが、「後悔はしたくないから」と橋本。東京パラリンピックで自分のプレーをさせてもらえず「世界の壁」を感じた悔しさ、そしてトレーナーや家族ら、支えてくれている人たちの存在が原動力となっている、と明かす。
東京パラリンピックでは、前述のとおり準決勝が橋本の最後の出場機会になった。彼が最終戦の3位決定戦に出場できなかったのは、同じチームに島川やキャプテンの池透暢(日興アセットマネジメント)、池崎大輔(三菱商事)といった世界に誇るハイポインターがいたこともあるが、橋本のクラスが大会中に3.0から3.5に変更されたことが影響している。
車いすラグビーの選手には、障害の程度によって0.5点から3.5点まで0.5点刻みで7段階の持ち点があり、コート上の4選手の持ち点の合計が8点以内というルールがある。日本代表も当然、そのルールに準じて複数のラインナップを用意しており、橋本も3.0クラスとして練習を積んできた。急遽、3.5クラスの選手として出場したとしても、連携ミスが起こるリスクが高い。橋本自身はクラス変更をこの準決勝の後に聞いたといい、銅メダルの涙には、こうした背景もあった。
日本代表の金メダルは、3年後のパリ大会に持ち越された。橋本はすでに気持ちを切り替え、リスタートしている。日本車いすラグビー連盟によると、橋本は国際大会で再びプロテストを受ける予定だというが、本人は「3.0でも3.5でも、自分がやることにそれほど変わりはないんです。世界一のプレーヤーになることも変わらない」と言い切り、前を見据える。
そんな橋本に対して、島川は「はやく俺を追い越してみろ」と厳しくも愛あるエールを送り、同時に「日々成長している。戦うたびに伸びている」と評価する。日本代表のケビン・オアーヘッドコーチも「カツヤは3.5クラスでもチームの中心になれる。新しいラインナップにも取り組んでいる。潜在能力もあるし、リーダーシップを取って成長してほしい」と期待を寄せる。
来年の世界選手権(デンマーク)、そしてパリパラリンピックの頂点に向けて、より高いレベルを追求していく日本代表。そのなかで、橋本はどんな結果を残し、どのように世界一のプレーヤーへの階段を登っていくのか。「次世代エース」から「真のエース」へ、彼が歩む道のりに注目したい。
写真/小川和行 文/荒木美晴