「全国ボッチャ選抜甲子園」。特別支援学校の生徒たちがチームを組み、日本一を目指す大会だ。その第7回となる決勝大会が8月13日、東京都の港区スポーツセンターで開催され、全8校が日本一を競った。決勝大会に集ったのは、北海道から沖縄県まで24都道府県から42校(チーム)がエントリーした予選会(6月10日~18日、オンライン)を勝ち上がった上位7校と前回優勝でシードされた1校だ。
負けたら終わりのトーナメント形式で1回戦から接戦がつづいた熱戦の末、決勝戦には石川県立いしかわ特別支援学校のTEAM I (アイ)と福井県立福井特別支援学校のNNTK Espoirの2校が進んだ。勝てばどちらも初優勝という緊張感のなか、決勝戦はその名にふさわしい大接戦に。試合は青ボールのTEAM Iの先攻でスタート。第1エンドは、TEAM Iが1点を取ってリードするも、第2エンドは赤のNNTK Espoirが1点を返して追いつく。第3エンドでTEAM Iが1点を加え、2-1で迎えた第4エンド。NNTK Espoirも好ショットをつなげて粘ったが、先に持ち球の6球を投げ終わった。
この時点でTEAM Iはまだ3球を残していた。まず、青木蓮選手が投げ、1球目は少しずれたが、2球目はピタリと寄せた。最後の1球は高橋昴暉主将に託された。「ボッチャはよく考えて投球する奥深さが魅力。考え方がみんな違うのも楽しい」と語る高橋主将が思い切りよく強いボールを密集に投げ込むと、ジャックボールに赤と青の球が1球ずつ、ほぼ接触するように“ビッタビタ”に寄った状態で試合は終了した。
ジャックボールにより近いのは青か赤か──。審判による測定が始まった。用いるのは「隙間ゲージ」と呼ばれる薄い板状の測定用具。厚みの異なる何枚もの板を代わる代わるボールの間に差し込み、慎重に距離を確かめていく。祈るような表情の選手たちはもちろん、会場の全員が固唾を飲んで見守るなか、約5分間にもわたる入念な測定の結果、「ワンポイント・フォー・ブルー」のコール。軍配はTEAM Iに上がった。逆転の立役者となった高橋主将は表彰式後、「金メダルはめちゃくちゃ重いです」と達成感あふれる笑顔で話した。
ピタリと寄せたり、隙間に滑り込ませたり、ジャックボールを弾いて展開を大きく変化させたり。両チームとも磨いてきた技術や戦略を存分に発揮し、ボッチャの醍醐味がつまったハイレベルな好勝負だった。1球ごとにチームで話し合い、声を掛け合う姿も印象的だった。好ショットには「ナイス!」、ミスでしょげる仲間には「大丈夫だよ」、緊張する場面では「深呼吸!」……。互いに称えあい、励ましあってゲームを進めた。
審判の測定をドキドキしながら見守ったという青木選手は「勝ててよかった。今まで頑張ってきた練習や大会などが思い出され、涙が出そうだった」とコールの瞬間を振り返り、「優勝の重さを感じます」と首にかけた金メダルを見つめた。
西村遥哉選手は、「ボッチャは障がい者も健常者もいろいろな人ができて、障がい者でも頑張れば、勝てることが楽しい。次の目標は、全国障害者スポーツ大会で勝つこと」と目を輝かせ、吉本彪流選手は、「策略を考えながらプレイすることがボッチャの魅力。誰でも楽しく気軽にできるスポーツなので、もっと広まってほしい」と言葉に力を込めた。
同校教員の鈴木清貴監督は、「みんな楽しそうに練習に臨んでくれた。練習を一つ一つ大切に積み重ねて、その成果を試合で出すことができた。間の取り方や時間の使い方なども冷静だった」と教え子たちの活躍に目を細めた。チーム練習は週2回。基礎技術を身に付け、同校教員チームを相手にゲーム形式の実戦練習で磨いた戦略とチームワークで頂点に立った。
優勝したTEAM Iは来年3月に開催予定の「東京カップ2023」への出場権も手にした。2022年大会で優勝した社会人チームのNECや日本代表の火ノ玉ジャパンチームらと戦える晴れの舞台に向け、練習の日々はつづく。
なお、決勝戦の前に行われた3位決定戦も実力拮抗の好勝負となったが、前回優勝校の東京都立小平特別支援学校の小平プレミアムズが最終4エンドで逆転。前々回優勝の愛知県立一宮特別支援学校のサザンクロスを5-4で下し、2連覇がついえた悔しさを笑顔に変えた。
「ボッチャ甲子園」は特別支援学校でのボッチャの普及や定着を図ることなどを目的に、2016年に新設された。以来、多くの生徒たちにとって日ごろの練習成果を披露する目標大会となり、回を重ねるごとに参加校も増え、競技レベルも確実に上がっている。
2020年に予定されていた第5回大会はコロナ禍に見舞われたが、大会の意義を重視し中止は選択せず、できる方法を模索した。日程を2021年春に延期し、初めて予選会にオンライン形式を導入。各校の拠点コートで、統一の課題に取り組む様子を撮影した動画を実行委員会が審査し、上位の数校が決勝戦に進むという形だ。この年は決勝戦も各校をリモートでつなぎ、大会名称を「全国ボッチャ選抜甲子園〜with コロナ〜」に変え、歴史をつないだ。
苦肉の策で生まれた「オンライン予選会」だったが、移動の必要がなく参加しやすいことからむしろ好評で、導入以降、予選参加校が増えているという。コロナ禍をプラスに変えた形だ。
ボッチャ甲子園はまた、若い選手たちが経験を積む貴重な場にもなっている。実際、ここをステップに日本代表として世界で活躍する選手たちも生まれている。たとえば、この日、選手激励のトークイベント「教えて火ノ玉ジャパン」のゲスト選手として参加した江崎駿もその一人だ。ボッチャ甲子園には第2回大会(2017)に初出場して準優勝、第3回大会(2018)は惜しくも4位だったが、その後、東京パラ代表となり、BC4ペア戦で8位入賞を果たしている。
「(ボッチャ甲子園は)懐かしい気持ちと、出場経験がある分、選手の気持ちも分かるので緊張感も感じながら観戦した。どのチームも選手同士がよく話をしていて、コミュケーションもプレイもうまいなと思った」と後輩たちのプレイぶりを称えた江崎。自身のボッチャ甲子園出場は、「どうしたら相手に伝わりやすいのか、仲間とのコミュニケーションを考えるきっかけになった。その経験は今に生きていると思う」と振り返り、大会の意義を語った。
イベントには、リオ、東京とパラリンピック2大会連続でメダルを獲得した日本代表のベテランエース、廣瀬隆喜もゲスト参加した。高校3年でボッチャを始めた当時はまだ、ボッチャ甲子園のような大会はなかったという。
「学生時代から、このように戦える舞台があることはいいこと。選手同士で話し合い、考えを一つにまとめて戦術を立て、投球するという経験ができる。予選会の課題の難易度も年々上がっていて、選手たちもよく考えながら戦っているなという印象を受けている」と話し、「今後も全国の特別支援学校から幅広く参加してもらい、技術を高めあい、この中からパラリンピック代表選手が出てほしい」と“次世代のエース候補”たちにエールを送った。
「今年の特徴は、決勝戦が石川県と福井県の戦いとなったこと」と話したのは、東京パラリンピック後に就任し、次の24年パリパラリンピックに向けた新生火ノ玉ジャパンを率いる井上伸監督だ。ボッチャ甲子園ではこれまで、上位校は東京都など競技人口の多い地域の学校が多かったが、初めての北陸対決となり、「ボッチャが全国に広がりつつある。東京パラでの代表の活躍も地域での普及につながったと思うし、ボッチャ甲子園の広がりがまた、代表の育成や強化にもつながっていく」と好循環の手ごたえを語った。
井上監督はまた、ボッチャの基本はジャックボールに近づけることだが、最近はジャックボールに自球をぶつけて場を大きく動かし大量点を狙うなど、各校の「技術や戦術の幅が広く、見ごたえあるプレイが多かった」と将来性にも手ごたえを得た様子だった。
喜びや悔しさ、達成感や無念さなど、さまざまな思いが交錯し、大きな可能性も示したボッチャ甲子園。また来年、どんな新星や好プレイに出合えるのか、今から楽しみだ。
写真・ 文/星野恭子