昨夏の東京2020大会を記念して新設された「東京レガシーハーフマラソン2022」が10月16日、東京の国立競技場を発着とするコースで開催された。東京パラリンピックのマラソンコースと重なる21.095㎞のロードレースに、国内外のトップランナーから一般ランナーまで約15,000人が参加した。
その中には車いすや義足のほか、視覚や聴覚、知的などさまざまな障がいのあるランナー約100名も含まれ、それぞれの目標を胸に東京の街を疾走。フィニッシュしたパラアスリートたちからは、「沿道や一般ランナーからの声援が温かく、励みになった」「名前を呼んで応援してくれて嬉しかった」といった感謝の声も聞かれ、「多様性と調和」をコンセプトに掲げた東京2020大会のレガシーを象徴する光景が広がっていた。
記念すべき第1回のレースは8時ちょうど、車いす部門からスタートした。14人が出走した男子は、東京パラ代表で世界記録(38分32秒)保持者の鈴木朋樹(T54)が42分19秒で走破し、初代王者に輝いた。スタートダッシュで先頭に立ち、7㎞手前で一人追走していた渡辺勝(同)も振り切り、力強くマイペースを刻む。フィニッシュでは2位の渡辺に3分41秒差をつける圧勝だった。
鈴木は今後の海外勢との戦いを見据え、日本人のみの出場となった今大会では「ぶっちぎりで勝たないと、と思っていた」と明かし、狙い通りの勝利に、「来年(5月)のパリの世界選手権に向けてもいいスタートが切れた」と達成感をにじませた。
同女子は4人が出場し、ともに東京パラ代表の土田和歌子(同)と喜納翼(同)が終盤まで競り合う展開となったが、「上り基調を好む」という土田が「勝負のポイント」とした最後の上り坂で喜納を引き放して20秒差をつけ、50分01秒で初代女王の座についた。
自身のもつ日本記録(48分46秒)の更新はならなかったが、「(平均速度が速い)喜納選手の力も加わってハイペースのレース展開になってよかった。お互いに持ち味を生かすことは強みになる」と話した。
敗れた喜納は、「私は上りが苦手なので、その差」と課題を口にしたが、「二人で競り合い、ローテーション(先頭交代)ができるのはレース的に大きい」と振り返った。今後、二人の切磋琢磨による記録更新も大いに期待される。
8時5分にエリートや一般ランナーとともにスタートした、視覚障がい部門は好記録連発にわいた。7人が出場した男子は東京パラ5000m銀メダルの唐澤剣也(T11)が1時間8分30秒をマークして初優勝を果たした。スタートから伴走者とともにリズムよく飛び出し、プラン通りの1km3分10秒前後を刻み、独走。最後の上り坂も粘りの快走を見せ、自身の世界記録を4分更新した。
今年4月から実業団のSUBARU陸上部に所属し、競技に専念できるようになり練習環境が充実した。「この半年間、いい練習ができたので自信をもってこの大会に臨め、その成果を発揮できた」と笑顔で振り返った。「ハーフマラソンでスタミナと脚筋力の確認ができた」とし、2024年パリ大会で狙うメインのトラック種目に向けたスピード強化への自信を深めていた。
2位には東京パラのトラック種目でメダル2個獲得の和田伸也(同)が入った。唐澤には2分以上離されたが、マークした1時間10分53秒は自己ベストで、従来の世界記録も上回る好走だった。「唐澤選手が最初から速かったので、自分のペースで行った。今ある力はすべて出し切り、(メインの)マラソンにつながる走りはできた」と手ごたえを口にした。
6人が出走した同女子も、初代女王に輝いた井内菜津美(T11)が1時間31分41秒をマークし、南アフリカ選手がもっていた世界記録を1分51秒も更新した。「目標より1分以上いいタイムで自信になった。世界記録を目標に準備してきたので達成できて、とても嬉しい。ここにくるまで、伴走や体のケアなど、たくさんの方の力があった。この結果で、やっと感謝の気持ちを表すことができ、それも嬉しく思う」と充実の表情で語った。
なお、世界新連発には選手の努力はもちろんだが、もう一つ特殊な背景もあった。国内で「視覚障がいクラスとして記録が公認されるハーフマラソン大会」はほとんどなく、例えば、唐澤が持っていた元世界記録は公認マラソンレースでのハーフ通過タイムだった。他の選手もほぼ同様で、ハーフとして走った今大会の記録が上回ることはある程度予測できた。ともあれ、近年、健常者のマラソン同様、障がい者のマラソンも高速化が進み、スピード強化が欠かせない。ハーフマラソンの公認大会の誕生は、パラリンピック種目であるマラソンへのステップとして貴重な目標大会となっていくことだろう。
「東京大会のレガシーに」という大会趣旨に賛同して果敢な挑戦を果たし、新たな手ごたえを得たパラアスリートたちもいた。
水泳のパラリンピアンで、東京大会では100mバタフライで悲願の金メダルを獲得した木村敬一もその一人だ。「レガシーを残そう」という取り組みに、「アスリートとしてできる形で関わりたい」と“畑違いの長距離走”に参加を決めた。伴走者に導かれ、約1カ月半の特訓にもトップアスリートならではの心身の対応力を発揮。目標を上回る、1時間23分2秒で東京の街を駆け抜けた。
「めちゃめちゃ、しんどかった。全身が正座した後のような感じで、鼻先までしびれている」と持ち前のユーモアを交えて初挑戦の苦しみを語ったが、「楽しい冒険だった」と振り返った。さらに、「びっくりするくらい声をかけてくださり、すごく気持ちがよかった」と耳に届いた周囲からの応援も踏まえ、「スポーツはする人も、応援する人も楽しいものだと思い出し、改めてスポーツの力を感じた。一生懸命やれば、何かに出合えると分かったので、何かは分からないが、これからも挑戦は続けていきたい」と前向きだった。本業の水泳にもつながる、貴重な経験となったようだ。
また、両脚義足のアスリートで短距離走や走り幅跳びを主戦とする湯口英理菜は、初めて車いすレースに挑戦。やはり1カ月半ほどの練習で、専門外の起伏もある長距離のロードレースに挑み、1時間24分56秒で完走を果たした。「たくさんのランナーと走ったのは新鮮で、途中、心が折れそうになる場面も何度かあったが、すれ違うたびに温かい声援のおかげで漕ぎ続けることができた」と感謝し、車いすレースは「これでいったん終わるが、何事も挑戦して自分の力を出し切れば、いい結果に終わると改めて実感した。(この挑戦で得た)持久力や忍耐力を、専門の種目に生かしていきたい」と力を込めた。
エリート女子で日本勢1位、全体でも3位に入った山口遥は東京パラで視覚障がいランナーの伴走者としてもこのコースを走っており、パラアスリートが多数参加した今大会について、「とても嬉しい。パラの選手にとってもいい環境なので(大会を)継続してほしいし、他の大会でも一緒に走れる機会が増えるといい」と、多様なランナーを受け入れる大会の発展や広がりにも期待を寄せていた。
一方、第1回大会ならではともいえるアクシデントもあった。視覚障がいクラス女子の部で、東京パラ金メダリストの道下美里(T12)が1番手でフィニッシュしたが、伴走者が先にフィニッシュラインを越える違反により、失格となったのだ。ルールでは選手が先にフィニッシュしなければならず、同着でも違反となる。フィニッシュタイムの1時間23分34秒は世界記録(女子T12)を2分以上も更新していたが、幻となった。さらに3番手で完走した西村千香(同)も同じ違反で失格した。
道下の伴走者で、東京パラでもペアを組んだベテランの志田淳ガイドによれば、タイミング的にフィニッシュエリアは多くのランナーで混雑しており、係員の誘導指示も聞こえにくく、戸惑うなかでフィニッシュラインに到達してしまったなど複数の要因が重なっていたようだ。志田ガイドはレース後、「すべて伴走者のせい。ミスリードなので」と話し、「すごい記録を出した彼女は素晴らしかった」と道下の力走を称えた。道下は、「こんなこともある」と明るく応じ、東京パラ後も継続してきた練習で、「力がついていることは示せた」と前を向き、会場を後にした.
今大会は、「より多くのパラアスリートに挑戦の場を提供し、可能性を広げる機会にしてほしい」と多様な障がいのランナーを受け入れた。ハーフという距離もマラソンよりは挑戦しやすく、実際に多くのランナーが完走を果たし、フィニッシュエリアでは充実の笑顔が印象的だった。
残念ながらアクシデントも発生したが、障がいの有無に関わらず、誰もが同じコースで競い合える大会は貴重だ。主催者には課題を検証し、運営面の改善やサポート体制の拡充などを図り、パラアスリートも一般ランナーもベストなパフォーマンスを発揮できる大会へと進化させていってほしい。強く、願う。
写真/小川和行・ 文/星野恭子