「チャレンジド・スポーツ プロジェクト」を掲げ、多彩なパラスポーツとパラアスリート支援に力を注ぐ「サントリー」と、集英社のパラスポーツ応援メディア「パラスポ+!」。両者がタッグを組み、今最も注目すべきパラアスリートや、パラスポーツに関わる仕事に情熱的に携わる人々にフォーカスする連載「OUR PASSION」。東京パラリンピックによってもたらされたムーブメントを絶やさず、未来へ向けてさらに発展させるためのチャレンジに挑む!
数あるパラスポーツ競技大会の中でも、トップクラスの規模と知名度をほこる「大分国際車いすマラソン」。1981年に世界で初めて車いす単独の競技大会としてスタートして以来、毎年秋に開催され、昨年11月で41回目を迎えた伝統の大会は、今や世界中の車いすアスリートたちが凌ぎを削るグローバルイベントとして知られている。そこで、いかにして大分国際車いすマラソンが日本を代表するコンペティションへと進化を遂げてきたのか。その真に迫るベく、現地で大会運営に携わる人々の声を聞いた。第一回はまさに最前線である「大分国際車いすマラソン事務局」の日々の奮闘を紹介する。
OUR PASSION #29-2 ②通訳ボランティアグループCan-Do、41年の信頼
OUR PASSION #29-3 ③世界が愛する“OITA”のルーツは「日本のパラリンピックの父」
昨年11月21日に行われた第41回大会は、マラソンとハーフマラソン合わせて158人の選手たちが出場。マラソン男子(T34/53/54クラス)では前年に同大会で世界新記録を出したマルセル・フグ選手(スイス)が4連覇、2位には2年連続で東京パラリンピック日本代表の鈴木朋樹選手(トヨタ)が入り、またマラソン女子(T34/53/54クラス)では同じく東京パラリンピックに出場した土田和歌子選手が自身7度目の優勝を飾った。さらには男子T51クラスではピーター・ドゥ・プレア選手(南アフリカ)が世界新記録を樹立。そんなパラ陸上界のスター選手たちの活躍に加え、3年ぶりに海外からの一般参加や沿道からの応援を解禁して行われたこともあって大いに盛り上がりを見せた。
大会は、大分県、日本パラスポーツ協会日本パラリンピック委員会、日本パラ陸上競技連盟、大分市、大分合同新聞社、大分県社会福祉協議会、そして大分県障がい者スポーツ協会によって主催され、運営は「大分県福祉保健部障害者社会参加推進室」内にある「大分国際車いすマラソン事務局」によって行われる。大分県庁の職員として2021年から同事務局の主査を務める阿部友輝さんに、まずは3年ぶりに有観客で行われた第41回大会を終えてみての率直な思いからうかがった。
「大会の1週間ほど前になると、街中で選手たちの姿をちらほら見かけるようになります。車いすのアスリートたちが当たり前のように街を歩き、居酒屋で食事をし、商店街などで買い物をする。そんな光景を市民の方々に普通のこととして捉えていただいていることが何よりすばらしいことなのだとあらためて感じましたし、沿道での応援もすごく温かかったので大会そのものが地元から愛されている実感が湧きました。これまで積み重ねてきたことの意義を強く感じましたね」(阿部さん)
大会に携わる関係者はボランティアを含めて2,300人ほど。そして開催準備には約5ヶ月もの期間を要するという。まさに県をあげたビッグプロジェクトだ。
「毎年6月にまず運営方針を決め、8月に選手募集を開始します。そして8月末に締め切ると、参加選手の人数に応じて開会式、大会当日に向けてスタッフの配置などのマニュアルを綿密に作成していきながら参加者の送迎や宿の手配もします。そして10月になると本格的に大会準備に入り、県民の皆さんには交通面など様々な点でご迷惑をおかけすることもありますので広報活動も積極的に行っていきます。それこそコロナの感染対策など以前にも増して気を使わなければならない点もありますし、とにかく大会当日までやることが途切れません。したがって私たち事務局の人間は、正直なところ当日を迎えるまではやりがいを感じる余裕はほとんどありません(笑)。すべての選手たちが42.195 kmを走り終え、競技場の芝でリラックスしている光景を見たり、彼らが無事に帰路についてようやく、やってきたことが報われたなと思えるんです」(阿部さん)
「おそらく大分県民で車いすマラソンを知らない人はほとんどいない」。そう語ってくれたのは事務局の最前線でバリバリ働く若手スタッフの松井沙希穂さん。彼女自身、幼少から車いすマラソン大会の存在を当たり前のように知っていたそうだ。2016年に、事務局の悲願だったというテレビの生中継がスタートしてからはより関心が強くなり、純粋に仕事としての憧れを抱いて2年前に民間企業の事務職から転職してきた。
「私は主に車の導線を担当しているのですが、入った年からコースが新しくなったこともあって、選手と並走する審判員の車、万が一の事故に備えてスタンバイする救急車をはじめ50台ほどの車の動きを分単位、秒単位、数メートル単位で計測しながらフォーメーションを組み直すところから始まったのでものすごく大変でした。でも大変だったからこそ味わえた感動がたくさんありました。初めて携わった第40回大会ではフグ選手の世界記録が出たことで涙が出そうになりましたし、何よりこの2年間、障がいのある方々とたくさん接してきたことで多くのことを学びました。お1人お1人、サポートが必要な度合いは違いますし、できる限りのことを自分でやりたい方もいらっしゃいます。そういったことも踏まえて、街中で車いすの方がいらっしゃっても変に気を使いすぎないようになりました」(松井さん)
松井さんも阿部さんと同じく大分県福祉保健部障害者社会参加推進室に所属。そのためマラソン大会の運営スタッフであると同時に他のパラスポーツ振興やアスリートサポートにも従事しており、全国大会に出場する大分県の派遣選手たちに帯同することも多い。それゆえマラソン大会終了後も多忙な日常が続くが、その過程で大きなやりがいを感じている。
「直に選手たちの話を聞く中で何より感じたのは、この先もし私自身が何らかの要因で車いすの生活になったとしても必ずスポーツをやろうということ。きっとそれが生きていく糧になるんじゃないかなって。そして大分国際車いすマラソンをテレビだけではなくSNS なども駆使しながら若い世代に向けてもっともっと広めていきたいです」(松井さん)
県を挙げて、41回という歴史を積み上げて来た大分国際車いすマラソン。大規模な国際大会の先駆者として、今や国内外のパラ競技の大会運営担当者が視察に来るまでになった。その道程では、大分県庁の職員や事務局スタッフの尽力はもちろんのこと、無償で大会に協力するボランティアの力も大きく貢献してきた。次回は、1981年の第1回からサポートして来た通訳ボランティアグループのメンバーにお話をうかがう。
OUR PASSION #29-2 ②通訳ボランティアグループCan-Do、41年の信頼
OUR PASSION #29-3 ③世界が愛する“OITA”のルーツは「日本のパラリンピックの父」
SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト
www.suntory.co.jp/culture-sports/challengedsports/
Photos:Takao Ochi Composition&Text:Kai Tokuhara