3月23~26日の4日間にわたって、日本財団パラアリーナでは車いすバスケットボール男子次世代強化カテゴリーの強化合宿が行われた。
A代表候補の「ハイパフォーマンス強化指定選手」を目指す「次世代強化指定選手」は、30歳が上限とされている。昨年度は16~28歳までの22人が選出され、その全員を対象とした合宿は今回が初めてとなった。さらに3人のトライアウト生も追加招集され、事情により欠席した3人を除く22人がフィジカル強化に励んだ。今回は、2019年以来の強化合宿に臨んだ26歳の熊谷悟(3.5)と、トライアウト生の一人として参加した18歳の岩田晋作(4.5)に迫る。共に今年度の次世代強化メンバーだ。
「U23の頃に一緒に切磋琢磨してきた仲間が、日本代表のステージで待ってくれている。僕はそう思っているので、何としてでも代表に上がって、また一緒にプレーしたいんです」
そう語る熊谷悟の表情からは充実感が伝わってきた。それは久しぶりに、そしてようやく見ることのできた姿だった。
熊谷は、2017年にカナダ・トロントで開催された男子U23世界選手権に出場し、主力の一人として4強入りに貢献した選手だ。もちろん、将来を有望視されていた一人だったことは間違いない。ところが、厳しい現実が待ち受けていた。
熊谷とともに世界の舞台で戦った当時のメンバーは、U23世界選手権での活躍をステップに次々と飛躍していった。17年には当時U23日本代表のキャプテンを務めた古澤拓也(3.0)、現男子日本代表キャプテンの川原凜(1.5)、緋田高大(1.0)、翌18年には岩井孝義(1.0)、赤石竜我(2.5)、21年には髙柗義伸(4.0)、22年には丸山弘毅(2.5)がA代表デビュー。さらに古崎倫太朗(2.5)もA代表の強化指定選手に選考された実績を持つ。一方、熊谷は選考会に招集されても、A代表の強化指定選手に名を連ねることは一度もなかった。そしてU23カテゴリーから年齢的に外れた20年以降は代表のステージから遠ざかって行った。この3年間、熊谷は競技者としてのモチベーションが下がりかけたこともあったと吐露する。
「U23を引退した後は、練習に熱が入らなくてトレーニングをさぼってしまったりしたこともありました。“代表を目指す”と言葉にはしていながら、行動が伴っていなかったですね」
そんな熊谷にとって救いの手となったのが、JWBFが示した日本代表における新たな強化体制だった。これまで男子はU23カテゴリーを年齢的に外れた場合、A代表候補の「強化指定選手」に選出されなければ、強化合宿に呼ばれる機会はなくなっていた。しかし、今年度からはA代表候補を「ハイパフォーマンス強化指定選手」とし、その下に30歳までを対象とした「次世代強化指定選手」を置く新体制がスタートしたのだ。昨年7月に行われた選考会の結果、熊谷は「次世代強化指定選手」入り。彼が“強化”というステージに立ったのは3年ぶりのことだった。
もちろん、喜んでばかりはいられない。熊谷も「僕が今手にしているのは、(代表への)最後の切符」と自身の置かれた状況をしっかりと理解していた。だからこそ今回の合宿に向けても、しっかりとトレーニングを積んできていた。するとその成果は、合宿初日のフィジカルテストで発揮された。「3周走」と「28mスラローム」のタイムおよび、「チェストパス」の距離では、トップの数値を叩き出したのだ。
「U23での3年間の活動中、フィジカルテストでは一度も一番になったことがなかったんです。特にスラロームは苦手としていました。でも、その苦手を克服しようと2年前から通っているジムでトレーニングしてきたんです。その成果が出たんじゃないかなと思います」
それは、合宿最終日に行われたゲームでも表れていた。これまで熊谷といえば、ミドルシュートのエキスパートというイメージが強かった。しかしこの日のゲームでは、ベースラインを狙うなど自ら1 on 1をしかけ、インサイドにアタックする姿が目立っていたのだ。それは殻を破って背水の陣で臨む強い気持ちが表れたプレーであるように感じられた。
今、熊谷には日本代表を目指す新たな理由がある。それは、ある選手の言葉がきっかけだった。今回初めて一緒に合宿をした山下修司(2.0)だ。
「これまでは自分が脳性麻痺であることを口に出して言うことはほとんどありませんでした。でも、同じ脳性麻痺の修司がU23世界選手権の時に“脳性麻痺の子どもたちに勇気を与えたい”と言っていたんです。その言葉にすごく感動しました。今回の合宿で修司に会った時にそのことを伝え、“一緒に頑張っていこう”と言いました。僕もこれからは同じような障がいの子どもたちに勇気を与えられたらなと。そんな存在になれるように頑張りたいと思います」
競技者として、人として、さらに成長しようとする熊谷の姿に、今後の飛躍を期待せずにはいられない。
今回の合宿にトライアウトとして追加招集された3人は、いずれも男子日本代表の京谷和幸ヘッドコーチ(HC)や藤井新悟アシスタントコーチ(AC)が、期待を寄せて声をかけた選手たちばかりだ。そのうちの一人が岩田晋作、函館工業高等専門学校に通う18歳だ。彼について、藤井ACはこう評価した。
「今回の合宿を見ていて、何より頑張れる選手だなと。きついメニューでも、一番辛いところでもうひと踏ん張りできる。諦めずに、自分の限界をもう一つ超えてやろうという気概を感じました。そこが、まずはとても素晴らしい選手だなと。また話をしていても、人間性も素晴らしい。これから大きく成長していけるんじゃないかという期待感が膨らみました」
当の本人はと言えば、初めての強化合宿でフィジカルトレーニング中心の日々に「いつもの練習以上のことをやったので体は疲れました」としながらも「同世代と一緒にやれたのが楽しかった」と笑顔を見せていた。
奇しくも次世代カテゴリーには、岩田と同じ学年の選手が多い。現段階で25年U23世界選手権の代表候補に挙がっている選手は、8人。そのうち岩田を含めて5人が、同学年なのだ。ふだん所属しているチームでは年輩の選手ばかりという岩田にとって、同学年あるいは同世代とともに汗を流した今回の合宿は、いい刺激となったようだ。「仲間でもありライバルでもある同世代の選手が、全国にこれだけいるんだなと。彼らのプレーを見て、闘争心が出てきました」
それは久々に味わう感覚だったのかもしれない。実は、岩田は小学校から高校まで野球一筋で昨夏まで野球部員だった。しかし先天性内反足という障がいのある左足は、少しくらいなら走っても平気だが、長時間のランニングや何本もダッシュを繰り返していると、足首に痛みが生じてしまう。そのため野球部の練習では限界に挑戦することができずにいたのだという。
その一方で、小学生の時に出会った車いすバスケットボールは違った。「野球は好きだったけれど、“足首のせいで、どうやっても勝てない”とか“足首さえ痛くなければ、負けないんじゃないかな”と思うことがよくありました。悔しいけれど、いつも“仕方ないこと”と諦めるしかありませんでした。でも、車いすバスケでは(競技用の)車いすに乗ってしまえば対等に戦うことができるし、クラスも分かれているので平等にチャンスがもらえる。それがいいなと思ったんです」
これまでしたくてもできなかった限界への挑戦。岩田は今、それができることが何よりうれしい。だからこそ苦しいところでもうひと頑張りできるのだろう。「たとえば最後の一本となった時に、もちろんめちゃくちゃ苦しいのですが、そこで力を緩めたらせっかくそれまで全力でやってきたのにもったいないなって思うんです。だからやるからには最後まで全力でと思ってやっています」
野球部では小学生の時からずっと投手を務めていたという岩田。障がいのある左足のつま先は使えないため、かかとだけで踏み込み、あとは上半身の力を使って投げていたのだという。下半身が使えずに苦労した分、自然と上半身は鍛えられたに違いない。それが、車いすバスケではプラスとなるはずだ。
長身のハイポインターである岩田の台頭は、2年後の男子U23世界選手権で連覇を狙う日本にとっても非常に大きい。これまでは対象年齢である選手の中で、ハイポインターは、唯一昨年のU23世界選手権を経験した渡辺将斗(4.0)一人だったからだ。京谷HCも藤井ACも、「次のU23世界選手権で、将斗と一緒にハイポインターの軸を担ってくれる存在」として大きな期待を寄せている。
そんな岩田には、憧れを抱くハイポインター先輩たちが全国にいる。「この間、大会で髙柗選手を間近で見て、スピードがあってすごいなぁと思いました。同じクラス4.5では北風(大雅)さんのプレーもすごかったです。もちろん、(藤本)怜央さんのすごさにも憧れています」
今の目標は「まずは同世代のみんなに追いつくこと」。限界に挑戦できる喜びをかみしめ、岩田は一歩一歩、着実に成長という階段を上がっていくつもりだ。
写真・文/斎藤寿子