大阪府堺市の浜寺公園のアーチェリー場に、いつも明るい声と笑顔をたずさえて現れる青年がいる。練習が始まると真剣な表情に一変。テンポよく放たれる矢が、70m先の的に折り重なるように刺さっていく。静寂の中、矢が空気を切り裂く音だけが規則的に響く。リオと東京のパラリンピックに2大会連続出場し、2022年の世界選手権で優勝したパラアーチェリー界のエース、上山友裕だ。
「高校時代はゲームセンターやカラオケで遊んでばかりだったので、大学では何かやろうかなと思って、たまたま友だちに誘われてアーチェリー部を見に行ったのがきっかけです。美人な先輩に勧誘され、“名前と電話番号と学部を書いて”って。ずっと男子校だったので、そんなこと女性から言われたのが嬉しくて、書いたらそのまま入部になりました(笑)」。初めのうちは好成績を出し、“1年生にうまいやつがいる”と評判にもなったが、以後伸び悩み、平凡な成績のまま大学を卒業したという。
「卒業後は一般企業に就職して、もうアーチェリーはやめて趣味でゴルフを楽しむことにしたんです」。だが会社のアーチェリー同好会から声がかかった。「全日本実業団大会でいつも予選落ちだから力を貸して欲しい、と頼まれて、アーチェリーとは縁が切れませんでした」
ところがそれと並行し、下肢に障害が現れ始めた。入社1年目の冬ごろから走りにくさを感じ、最初は運動不足が原因かと思う程度だったが、そのうち走れなくなり、歩けなくなり、松葉づえに。そして6年後には、完全に車いす生活に移行したのだった。「原因は不明です。先天的なものを持っていて、それがある年齢から発症することは、少なくないらしいんですよ。」上山は落ち着いて話す。「事故などで突然動けなくなるのでなく、徐々に進行したのがぼくにとってはよかったです。心の準備はできたし、精神的ダメージはなかったですね。障害者手帳も、映画や高速道路通行料が割引になるので、実利をとって、抵抗なくもらいに行きました」。そして、車いすでもできるスポーツ、“アーチェリー”に、再び向き合ってゆく。「なんかアーチェリーに引き戻されるんですよね。」と笑った。
この“引き戻し”により、今度は真剣にのめりこむことになった。上山は大学4年生のとき、一人の選手と知己を得ていた。現在、パラアーチェリー日本代表チームのコーチである末武寛基氏だ。氏は当時、上山の自宅近くの近畿大学寮生にいたアーチェリー部の1年生だった。のちにロンドン五輪のプレ大会に日本代表として出場するなどしたトップクラスの選手だ。「卒業後も友だちづき合いが続いていたんですが、アーチェリーを再開してから、ちょっと技術面で相談したら、自宅まで教えに来てくれたんです。“今から行きますわ~”って(笑)。本当にありがたいことでした」
「近畿大にはシドニー五輪で金メダルを獲ったキム・チョンテというコーチがいて、そのハイレベルな教えを受けた末武コーチから、ぼくが教わるわけです。アーチェリーのそもそもからして違っていて、今までの自分は何だったんだという感覚でした。大学で毎日練習していたときよりも、月に何度か末武コーチに教わっていたこの期間の方が点数が上がったくらいです。海外の大会で負けたときも、『末武どうしよう』と。なんでも相談してたら、自然とコーチのようになってくれて、今ではナショナルチームのコーチになってもらっています」
末武コーチとの出会いがなかったら、自分はパラアーチェリーで勝てる選手にはなってない、と振り返る。
さらに大きな転機となったのが、末武氏の紹介で約1年間、直接キム・チョンテコーチの指導を受けたことだ。「全部変えてくださいと頼み、弓の持ち方や矢のつがえ方など、基本から徹底的に指導してもらいました。10年の癖を直すのは大変だったけど、指導を全部受け入れました」。虚心坦懐、一から覚え直す覚悟で上山はキムコーチの教えを実践することに集中した。そして2023年の世界選手権でついに初優勝を果たす。
この経験から上山は、アーチェリーの極意に気づいた。「勝ちたい気持ちを消すのが大事」。アーチェリーは繊細なスポーツで、精神の安定が求められる。勝ちたいと思うと、どうしても体に力が入り、外れやすくなるという。「欲をなくす。僕は欲望の塊だから難しいけど、試合に臨むときはあえて『この試合どうでもいい』と自分に言い聞かせています」
アーチェリーは、車いすでオリンピックに出場もでき、健常者と同じ土俵で競えるスポーツだ。。「点数的にはほぼ変わらないので、同じ条件で戦えるのが面白い」。バリアフリーとは、障害のある人が社会に参加する上でのバリアをなくす意味で使われるが、アーチェリーには最初からバリアがない。「だから車いすだから負けたという言い訳は通用しません。これが本当の意味でのバリアフリーだと思います」と強調する。
国内では、パラの大会が少ないため、一般の全日本大会にも出場する。「パラの試合では負けられないプレッシャーがあるけれど、一般の大会では挑戦者の立場で臨めます。これが、ゲームの上級モードみたいな感じで面白いです」。
目標にしているのは、オリンピック選手に勝つことだという。「たとえば古川(高晴)選手は、オリンピック6大会連続出場の、めっちゃすごい選手ですけど、ぼく過去1回だけ2ポイント取ったことことがあるんです。70m先の的まで矢が届けば、勝つ可能性はゼロではないのがアーチェリー。また挑戦したいと思います」。世界のトップ選手に挑戦できるという開かれた競技性が、アーチェリーの最大の魅力なのだろう。
「世界選手権とアジアパラ競技大会のメダルは持っています。残っているのはパラリンピックだけ」。自宅の1階には、リオと東京の公式ユニフォームや表彰状、トーチを飾っている。「あとパラリンピックの金メダルを置けば“上山博物館”完成、コンプリートです!」と笑う。「勝ちたいと思わないようにしている」と前置きしつつも、この思いがパリのモチベーションになっている。
アーチェリーの心技を身につけた上山は、未来に広がる無限の可能性へ向かって矢を放つ。
【上山友裕】
うえやま ともひろ●1987年8月28日生まれ、大阪府東大阪市出身。同志社大学からアーチェリー部に入部。大学卒業後、原因不明の両下肢機能障害を発症したが、アーチェリーは続けた。2016年のリオパラリンピックに初出場し、リカーブ個人部門で7位入賞。東京パラリンピックでは混合リカーブ団体で5位。2022年の世界選手権で初優勝を果たす。三菱電機に所属。
【越智貴雄】
おち たかお●1979年、大阪府生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。2000年からパラスポーツ取材に携わり、これまで夏・冬、11度のパラリンピックを撮影。2004年にパラスポーツニュースメディア「カンパラプレス」を設立。競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆を行う。写真集出版、毎日新聞の連載コラム執筆に加え、義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」や写真展「感じるパラリンピック」なども開催。ほかテレビ・ラジオへの出演歴多数。写真を軸にパラスポーツと社会を「近づける」活動を展開中。
取材・撮影/越智貴雄[カンパラプレス]