11月7日~15日の9日間にわたってUAEドバイで開催されたパラ陸上の世界選手権。大会最年長として出場したのが、71歳の大井利江選手だ。世界の大舞台には2004年アテネから4大会連続出場。円盤投げではアテネで銀メダル、08年北京では銅メダルに輝いた。5度目の出場を目指している来年は、砲丸投げ(F53=運動機能障がい・車いす)で初のメダル獲得を狙う。そんな大井選手に、競技への思いや来年の大舞台を目指す理由について訊いた。
── 今回の世界選手権では、4位以内の選手には来年の出場が内定することになっていた大事な大会でした。どんなトレーニングをされてきたのでしょうか?
自己ベストが6m92ですので、世界選手権では必ず7mを突破したいと思っていました。そのために、「プール筋トレ」に力を入れてきました。圧力がかかる水中で、さまざまな運動をすることによって、体に負荷をかけたトレーニングです。パワーを身につけることはもちろんですし、体幹を鍛えることによってバランスのいいフォームで投げられるようにしてきました。
── 現地入りしてからの調整はいかがでしたか?
とても調子が良かったです。サブトラックで10球ほど投げたのですが、いい感じで飛ばせていたので、「よし、これはいける! 絶対に7mはいけるぞ!」と大きな手応えを感じながら本番に臨みました。遠くに飛ばすためには(砲丸を持っている)左腕を突き出して投げる際に、一度後ろに引いた体を勢いよく、そして素早く前に起こすことが重要です。また、その体が起きるのと、バーを持つ右手を引くタイミングを合わせるのが難しいのですが、それが一投目からとてもうまくできていました。その日の調子というのは、だいたい一投目の感覚でわかりますので、7m越えを確信していました。
── 残念ながら、4投目(6m60)以外はすべてファウルに取られてしまいました。
3投目が一番良くて、ファウルと取られなければ、絶対に7mを越えていたので、本当に悔しいです。投げた瞬間に「お! いった!」と思っていたら、赤旗が揚がって、もうがっかりでした。その後は、とにかくファウルを取られないようにと足ばかり気にしてしまって、思うような投てきができなかったことが残念でした。
── 結果は5位と、来年の出場内定の4位まであと一歩でした。
今回の審判はとても厳しくて、これまで一度も取られたことがないようなファウルを取られてしまって、選手全員がとまどっていました。普通なら8m台の記録が出るはずなのに、今回は一人もいなかったんです。自分の時も、一人の審判がOKでも、もう一人の審判が「足が動いていたからファウルだ」と言われて…。足にはがっちりとテープを巻いていたのに、それでもファウルだと言われて、途中からは足のことばかり気になって、投げる方に意識を集中させることができなくなってしまいました。3投目がファウルと取られなければ、4投目以降はもっと伸びたかもしれません。調子の良さを考えても、7m30はいけたと思うので、本当に残念です。ただ、まだチャンスはありますので、来年の大舞台に出場できるように練習を続けていきたいと思っています。
今年で71歳になった大井選手。今回の世界選手権では14歳の「最年少選手」(アメリカ)とともに、「最年長選手」として注目され、海外メディアからもインタビューを受けた。古希を過ぎてもなお世界の大舞台を目指す大井選手の原動力となっているものとは何なのか。
── 大井さんが4年に一度の世界最高峰の大会に挑戦し続ける理由はなんでしょうか?
何度出場しても「夢の舞台」です。「あの舞台に戻りたい」という思いが競技を続ける原動力となっています。
── 過去4度の出場の中での一番の思い出は何でしょうか?
やっぱり最初のアテネかな。開幕前はメダルを確実視していたのですが、実はあの時、現地に行ってから急遽クラスが「F52」から「F53」に変更になったんです。それまでよりも体の状態が良い選手たちと勝負しなければならなくなって、「これはメダルは難しいな」と思いました。それでも諦めずに精一杯の力を出そうと思って臨んだら、銀メダルが取れてしまって、ビックリしました。今考えると、「追う身」になって挑戦者として臨めたのが良かったのかもしれませんね。「追われる身」だと「絶対に取らなければ」とプレッシャーがかかりますが、そうではなかったので、肩の力が抜けて良い状態で投げられたのかなと。
── 世界の大舞台で2つのメダルを獲得していますが、プレッシャーのかかる本番で実力を発揮するために、何か工夫していることはありますか?
もちろん緊張はしますが、その緊張感を楽しもうと思っています。自分のモットーは「練習は本番のように厳しく、本番は練習のように楽しむ」こと。練習では本番さながらに緊張感をもってやるようにしています。あとは常に世界ランキングを見て、自分がどの位置にいるのかを把握するようにしていますね。そうすると、自然と練習で緊張感が生まれるんです。実際の本番ではリラックスして、とにかく楽しむことを一番に心掛けています。
── 最後に、5度目の出場を目指す来年の大舞台への思いを聞かせてください。
この年齢でも、高い目標があれば、元気に頑張れる、やれるというところを同世代に見せたいと思っています。ケガをして競技をやり始めて約30年。ですから選手としては「30代」だと思ってやっているので、気持ちはまだまだ若いつもりです(笑)。来年の本番は、これまでお世話になってきた方々にも見てもらうチャンスでもありますので、ぜひ切符を獲得し、高いパフォーマンスをお見せできるように頑張りたいと思います。
PROFILE
おおい・としえ●サントリーチャレンジド・アスリート奨励金 第2期~第5期対象
1948年8月29日生まれ。岩手県洋野町出身。漁師だった39歳の頃に仕事中のケガによって頚髄を損傷。その後リハビリを兼ねた水泳を経て、50歳で陸上の円盤投げをスタート。2004年アテネを皮切りに、北京、ロンドンと3大会連続で世界の大舞台に出場し、前回大会のリオには砲丸投げの選手として出場。来年の大舞台をキャリアの集大成に据えている。
SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト
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Photos:Takao Ochi/KANPARA PRESS Composition&Text:Hisako Saito