パラリンピックを目指すアスリート同士の対談企画。初回は、車いすラグビー日本代表のキャプテンを務める池透暢選手と、義足アスリートとして世界で唯一の2mハイジャンパー鈴木徹選手。同じ1980年生まれの2人は今年、不惑の年を迎えた。世界を相手にトップアスリートとして活躍し続けている池選手と鈴木選手。世界で戦ううえで大切なこと、長きにわたって活躍し続けるために必要なことなどを語ってもらった。
――東京オリンピック・パラリンピックの開催が1年延期となりました。どんな思いで日々を過ごしてきましたか?
鈴木徹(以下、鈴木) 僕は2000年シドニーから16年リオまで、過去5大会のパラリンピックに出場しましたが、いずれも自分のケガ以外は、4年間順調に調整をして臨むことができました。今回のように延期となったのは初めてのこと。今まで当たり前にスポーツをしてきましたが、世界の情勢が安定していないとできないものなんだなということを、今回身を持って知りました。でも、だからこそより一層、東京でオリンピック・パラリンピックを開催して、多くの国・地域から選手や観客を招き入れたいなという気持ちが強くなりました。スポーツの祭典というだけではなく、世界情勢が安定しているという証にもなると思うからです。
池透暢(以下、池) 今年8月に開幕する東京パラリンピックを目標に定めて、2018-2019シーズンにアメリカリーグに挑戦し、過去最高である自分を作り上げてきました。ですので延期と決定した時には、悔しいけれど「中止にならなかっただけでも本当に良かった」と思いました。その後も状況が変わらず、「もしかしたら中止になってしまうのだろうか」など、不安との戦いの日々を送っていましたが、延期になったことをプラスに考えようと思い直し、今は1年後に開催されることを信じて、来年8月24日の開幕を目指し、心も体も作り直しているところです。
――鈴木選手にとっての走り高跳び、池選手にとっての車いすラグビーとは、どんな存在でしょうか?
鈴木 もともと高校まではハンドボール選手として国民体育大会にも出場したりしていました。大学でも続けて、ゆくゆくはオリンピックを目指したいと思っていたんです。でも、高校卒業を間近に控えた時期に事故でケガをしてしまい、右脚の切断手術をすることになったんです。それで義足を履いてできるスポーツを探していたところ、パラ陸上の走り高跳びに出合いました。でも、走り高跳びを始めたのは、僕にとっては自然なことでした。幼少時代から運動が得意で、特に跳躍には自信があったんです。ハンドボールを始めたのも、それが理由でした。だから、「誰よりも高く跳びたい」と走り高跳びに夢中になった。「跳ぶ」ことは自分自身の最大の表現方法でもありますし、一番のアイデンティティだと思っています。
池 僕は、ケガをする前、中学校時代はバスケットボール部員だったこともあって、最初は車いすバスケットボールでパラリンピックを目指していました。日本代表候補の合宿にも呼ばれるくらいまではいったのですが、自分の体の状態ではそれ以上のレベルアップが難しく感じ、壁にぶち当たっていたんです。そんな時に偶然テレビでロンドンパラリンピックでの車いすラグビーの試合を観て、「これだ!」と思いました。もともと車いすラグビーの関係者から自分の障がいが車いすラグビーに向いていると勧誘されてはいたのですが、当時はあまり興味が持てなくて……。でも、その試合を観て、「自分に言い訳なく挑戦し、輝くべき場所はここだ」って思えたんです。実際、僕たち日本は16年リオパラリンピックで史上初の銅メダルを獲得し、18年世界選手権では優勝しました。世界トップのステージで挑戦できる競技で、すごくやりがいを感じています。
――車いすラグビーとパラ陸上では、チーム競技と個人競技とで違いがありますが、それぞれの魅力を教えてください。
池 車いすラグビーには、持ち点によるクラス分けが行われています。0.5~3.5点の間に0.5刻みで7段階のクラスがあって、選手の障がいの内容や度合いによって変わってきます。使える身体機能はさまざまですので、プレーの幅やスピードも選手によって違います。でも、その違いがあるからこそ、選手それぞれに役割があって、そのことをお互いに共有しながら“最高の結果”を出すために“最善の策”を導き出していくというチームスポーツならではの醍醐味があります。それと、車いすラグビーではコート上の4人の持ち点の合計が8点以内にしなければならないというルールがあります。そのために、選手同士の“組み合わせ”が非常に重要となりますので、自分がメンバーに残るためには一緒に組む選手たちとの連携が重要になるんです。言ってみれば、4人は“運命共同体”。その運命共同体がチーム内にはいくつもあって、お互いにレベルアップしていかないと運命共同体、つまりチームは強くならないんです。“自分だけがうまくなればいい”というわけにはいかないところが、難しさでもあり、魅力でもあります。
鈴木 陸上は、全て自分が出した記録の数字がそのまま世界ランキングに反映されるので、勝負の付き方が非常にシンプルでわかりやすい。全て一人で責任を負わなければいけないので大変さもありますが、結果に対して誰のせいにもできないので、気持ちのふんぎりがつきやすいというところはあるかなと思います。あと走り高跳びの醍醐味と言えば、助走から踏み切り、空中姿勢とすべてがうまくいった時のジャンプは、すごく気持ちがいい。特に観客からの手拍子に乗って、イメージ通りの跳躍ができた時には、何物にも代えがたい快感があります。
池 鈴木選手は06年に初めて2mを跳んで、その10年後には2m02と自己ベストを更新しましたよね。ふつうに考えれば、年齢とともに難しくなるはずなのに、10年後に記録を伸ばした要因って何だったんですか?
鈴木 一番大きかったのは、コーナーリングの技術を身につけたことでした。競技用義足って、「J」のような形になっているので地面をしっかりと踏み込むことが難しいんです。以前は、助走でコーナーリングの時に、義足の接地面が外側に倒れていたんですね。それを次のステップの時には、元に戻して、また倒れて……という余計な動作をしていました。でも、ある時に息子とショートスキーをする機会があって、その時に内側のエッジに体重をかけるという技術を習得したんです。それを助走にも活かしたところ、コーナーリングでスピードを落とさずに踏み切りに入れるようになりました。それが大きかったですね。
――今年で40歳のお二人ですが、世界のトップで活躍し続ける秘訣として、例えば競技への考え方や練習の取り組み方など、以前と変化したことはありますか?
鈴木 30歳を過ぎて、初めて単独で海外チームのトレーニングに参加したことが一つ大きな経験でした。オーストラリアとスウェーデンに行って、オリンピック選手もいるチームで一緒に練習させてもらったんです。そしたら意外と海外の方が基本に忠実で、メニューもトレーニング器具もクラシカルなものが多かったんです。日本だと、例えばその時に記録を出しているスター選手のトレーニング方法がブームになったりすることってありますよね。トレーニング器具も最新のものを揃えるのが良いとされていたり。でも、海外のやり方を目の当たりにして、やっぱり昔からやられていることで大事なことってたくさんあって、それをないがしろにしてはダメなんだなと思いました。新しいものとか海外で流行っているから良いんじゃなくて、自分にとって何が良いのか、あるいは何を新しく取り入れるべきなのか、選択することが大事なんだなって。
池 僕は、若い頃は単に必死で頑張ることが良いと思っていたところがありました。先輩たちがやってきたことを見よう見まねでやって、「この人たち以上に頑張ればうまくなれる」と思っていたんです。でも振り返ってみると、意外と成長を感じられるようになったのは、自分自身に合ったトレーニング方法を探すようになってから。休むこともその一つですね。以前は休むことがマイナスにしか思えなかったんです。でも、銅メダルを獲得したリオパラリンピックから帰国後、講演や挨拶まわりなどがあって、なかなか練習時間が取れなかったんですね。ところが、意外とパフォーマンスが落ちなかったんです。逆に気持ちの面でしっかりとリフレッシュできていたので、次に進むモチベーションが高かったんです。それで自分でも調べてみたら、休むことの重要性は科学的にも証明されているものだとわかり、やっぱりそうなんだなと。今は「どのように休むか」と「どのように練習を再開するか」を考えて、休む時にはしっかりと休むようにしています。
――お二人は世界のトップステージで活躍し続けていますが、世界で戦ううえで大切ことは何でしょうか?
鈴木 陸上は個人競技なので、「自分は自分、他人は他人」で勝負に挑めばいいと思っていました。それこそリオパラリンピックの時はすべてを遮断するようにして、試合に集中するようにしていたんです。ところが、それだとあまりいい結果が出なくて……。それで、ふと思い出したのが、ヨーロッパの選手たちのこと。彼らは試合が始まっても合宿のようにワイワイやっていて、そういう選手ほど不思議と結果を出すんです。それで、ちょっと自分もやってみようかなと思って、パラの翌年の世界選手権では他国の選手と話をするようにしたんです。そしたら意外とリラックスして跳躍に臨むことができて、銅メダルを獲得しました。それでわかったのは、もちろん周りはライバルではあるんですけど、同じ競技をする仲間でもあるんだなって。そう思えることで、自分の気持ちにも余裕ができて、試合を楽しめるようになりました。結局、世界で戦うには、まず世界の輪に入って、自分の力を発揮しやすい環境にできるかどうか。個人競技だからこそ、そういうことが大切なのかもしれませんね。
池 僕はまずは、自分探し(己を知る)が大切だと思っています。いかにして自分を高めていくのか、その方法を分析し、常に成長し続ける自分をイメージしていくこと。「これをやり続ければ、こういう自分になれる」と、自分の成長を信じ続けること。自分に負けないこと。一方で何か違和感を感じた時には、ストップする勇気を持てる自分でもあること。そんなふうに常に自分に対して模索し続けるなかで、離れているチームメイトも成長し続けていることを信じることかなって思っています。
――最後に、東京パラリンピックでの目標を教えてください。
池 東京パラリンピックでは、最高の仲間と最高のプレーをして、最高の結果を出すこと。そして、これまで支えてきてくれた方々や、応援してくれている方々の前で最高のパフォーマンスを披露することが最大の目標です。また、今回の新型コロナウイルスという自分たちにとっての向かい風に立ち向かっていく姿を見せることも、アスリートとしての大事な役目かなと思っています。この逆境を乗り越えて、来年は最高のパフォーマンスをお見せしたいと思っています!
鈴木 世界選手権ではメダルを獲得しているのですが、過去5度のパラリンピックではまだ表彰台はなく4位が最高なので、東京パラリンピックではとにかくメダルを取りたいと思っています。そのためにも最低2mを跳ばないといけないと思っているので、そこに挑戦するのみです!
池 僕も鈴木選手が跳ぶ時には、スタンドからうちわで仰いで上昇気流を出します(笑)!何としてでも鈴木選手には、初のメダルを取ってもらいたいです!
鈴木 ありがとうございます!やっぱり同世代の選手が活躍しているのって、大きな刺激になりますし、年齢を言い訳にできない分、いいモチベーションにもなりますよね。しかも、池選手とは1980年の“松坂世代”ですからね(笑)。今日初めていろいろとお話をさせてもらいましたが、すでに親近感を抱いています。
池 ありがとうございます!僕たちは大会の前半に試合があるので、車いすラグビーが金メダルを取って、その勢いを持って鈴木選手の応援に駆け付けたいと思います!
鈴木 僕の試合は割と後半なので、前半は車いすラグビーの応援に行きたいですね!ぜひ、お互いに良い結果を出せるように、頑張りましょう!
【プロフィール】
いけ ゆきのぶ●日興アセットマネジメント、Freedom所属
1980年7月21日生まれ、高知県出身。19歳の時に交通事故に遭い、左脚を切断、左手は感覚を失うなどの障がいを負う。当初は、車いすバスケットボールでパラリンピックを目指していたが、2012年に車いすラグビーへの転向を決意。翌13年から日本代表候補となり、主力として活躍。翌14年からはキャプテンを務める。16年リオパラリンピックで銅メダル、18年世界選手権で金メダルに輝く。2018-19シーズンには米国リーグでプレーし、全米選手権にも出場。東京パラリンピックでは主将、エースとして金メダルを狙う。
すずき とおる●SMBC日興証券所属
1980年5月4日生まれ、山梨県出身。中学からハンドボールを始め、高校時代には国体で3位入賞した実績を持つ。高校卒業直前に交通事故で右脚を切断。99年から走り高跳びを始め、翌2000年には日本人初の義足ジャンパーとしてシドニーパラリンピックに出場。以降、パラリンピックには5大会連続で出場し、12年ロンドン、16年リオと4位入賞。17年世界選手権では銅メダルを獲得した。06年に初めて2mの大台を突破し、16年には2m02と自己ベストを更新。東京パラリンピックでは初のメダル獲得を狙う。
文・斎藤寿子 写真・越智貴雄/カンパラプレス