アスリートの「覚醒の時」――。
それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。
ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。
東京五輪、そしてパラリンピックでの活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく――。
東京五輪・パラリンピックの開催が決まった翌年の2014年は、当時20歳の車いすテニスプレーヤー・上地結衣(三井住友銀行)の成長が強く印象に残る一年だった。
そのなかでも、6月の全仏オープンでの活躍は忘れられない。2年前から車いすテニスのグランドスラムに出場するようになった上地は、この大会のシングルスで屈強なライバルを倒し、日本人女子選手として初めて頂点に立ったのだ。
「魔物が棲む」とも言われるローランギャロスのクレーコートは、車いすを漕ぐほど轍が深くなり、車輪がひっかかることもある。さらにボールは高く弾み、座ってプレーする車いすテニスプレーヤーにとって、チェアワークとショットのコントロールがより難しくなるサーフェスだ。
だが、上地はコートの上で誰よりも輝きを放った。身長143cmながら躍動感あるスピーディーな動き、とくに決勝で見せた戦略的かつ粘りのあるプレーは観る者を惹きつけた。相手はロンドンパラリンピック銀メダリストのアニク・ファンクート(オランダ)。上地と同じサウスポーで、体格を生かしたパワフルかつ安定したストロークが持ち味の強敵だ。
第1セットの序盤は上地がリードしたものの、第7ゲームでサーブの調子を落とすと逆転を許す。そこから互いにブレークする我慢の展開が続くが、粘って相手のミスを突き、タイブレークを制した。その勢いをキープしつつ、第2セットは冷静なプレーを貫徹する上地。追い込まれて大声を上げるなど、徐々に感情をあらわにするファンクートを退け、見事にストレートで勝利した。
赤土の上で「信じられない」と喜びの涙を流す新女王に、激闘を見守った観客からは暖かい拍手が送られた。
快挙はこれだけに留まらない。コンディションを維持し、なんと上地は全米オープンでも優勝。ダブルスにいたっては、1年間で4大大会すべてを制覇する年間グランドスラム達成という快挙を成し遂げており、まさに飛躍のシーズンだった――。
1994年4月に兵庫県明石市で生まれた。先天性の潜在性二分脊椎症で、成長とともに車いすの使用を始め、11歳から車いすテニスを始めた。今でこそ、各地でジュニアの大会が開かれているが、この頃はジュニア世代の選手が非常に少なく、大人に交じってプレーをしていた上地。そのおかげでぐんぐんと成長すると、14歳の時には史上最年少で日本ランキング1位にまでたどり着いた。
急伸の契機となったのが、高校3年生で初めて出場した2012年のロンドンパラリンピックだ。当時の女子は、前人未到の4連覇を達成したエスター・バーガーを筆頭に、オランダ勢が席巻していた。そのなかで単複ともにベスト8の成績を残した上地は、日の丸を背負う誇りと世界のプレーを肌身で感じたという。そして、就職か進学を考えていた高校卒業後の進路に、「車いすテニスプレーヤー」という選択肢が加わった。
その一歩を踏み出すことを決めた上地は、練習環境を整え、主戦場を世界へと移した。前述の全仏オープンで優勝したのは、グランドスラムに参戦して3シーズン目。強敵にもまれ、加速度的に進化を遂げるなかでの出来事だった。
ただ、自身が成長するにつれて、車いすテニスの奥深さも同時に感じていた時期だ。「優勝はとてもうれしい。でも、これはリオパラリンピックへの過程にある、ひとつの試合」と自身の立ち位置を冷静に見定め、千川理光(ちかわ・まさあき)コーチもまた「“本当の世界一”に見合うように、これからしっかりと練習に取り組まないと」と語っていたことが印象に残る。
この時、車いすテニス界は男子も女子も競技力が大きく向上し、とくにトップクラスは誰が勝ってもおかしくない稀にみる混戦模様だった。全仏を振り返り、2人は「頂点に立っても、結果は対戦相手の調子による面も大きく、強化してきたことを毎回本番で出すことは簡単ではないことを痛感していた」と、語っている。2人が目指す“本当の世界一”の姿は、まだ先にあるのだ、と。
だからこそ覚悟を決め、そこからブレずに邁進し続けることができた。最高峰のパラリンピックという目標に向けて、サーブの改良や競技用車いすの改造にも積極的に取り組み、体格の勝る海外勢に対抗するため、バックハンドトップスピンの習得にも挑戦した。低い弾道で相手コートの前方にボールが落ちる有効なショットだが、ボールを打つ際に身体のひねりや強い筋力が必要になるため、当時は女子でマスターする選手はほぼいなかった。
ハードな体幹トレーニングを重ねていった上地は、精神面でも大きく成長し、2016年リオパラリンピックで銅メダルを獲得。そして、現在の活躍につながっている。
2018年にジャカルタで開かれたアジアパラ競技大会で、上地はシングルスで優勝。男子を制した国枝慎吾(ユニクロ)とともに、東京パラリンピックの出場権を獲得した。早々に代表内定を得たことで、これから選考に臨むライバルたちよりも十分な準備をして本番に臨むことができる。
自分のテニスをさらに追求するなかで迎えた2019年は、グランドスラム制覇はならなかったが、満を持して臨んだ今年の全豪オープンで、上地はシングルスで3大会ぶり2度目の優勝を果たした。さらには、盟友ジョーダン・ワイリー(イギリス)とペアを組んだダブルスも制して単複2冠を達成するなど、調子を上げている。
コロナ禍の影響でパラリンピック開幕は1年延期になったが、常に自分と向き合い、壁を乗り越えてきた彼女に迷いはないだろう。来年、27歳で迎える3度目のパラリンピックで目指すのは、金メダル。今もなお強敵ぞろいのオランダ勢をはじめ、すべてのライバルを倒して手にする“本当の世界一”だ。これまでの経験と自国開催のエネルギーを力に変え、さらにパワーアップした姿を見せてくれるに違いない。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事をバックナンバーを配信したものです。
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荒木美晴●文 text by Araki Miharu photo by Getty Images