9月5、6日の2日間にわたって、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場では、日本パラ陸上選手権が行われた。義足アスリートでは世界で唯一の2mを跳ぶハイジャンパー鈴木徹は、1m90にとどまった。記録が伸びなかったことに加えて、これまでとはまったく異なる跳躍のフォームだった鈴木のパフォーマンス。実は、そこには東京パラリンピックで金メダルを狙う10年ぶりの“再挑戦”があった。
完璧だったロンドンでの跳躍
大会2日目の6日、午後1時半にスタートした男子走り高跳び。鈴木は1m75、1m80、1m85、1m90をいずれも1本目で成功させた。しかし、その跳躍には何か違和感があった。楽々とクリアした1m75の時から、いつもはあるはずの空中でフワリと“浮く”感じがなかったのだ。バーの高さが上がっていくと、さらにその違和感は強まった。踏み切り後、鈴木の体は空中でいつものように弧を描くことなく、バーに吸い寄せられるように体が流れていた。そして、1m95は3本ともに失敗。最後の3本目は肩からバーにぶつかっていっており、明らかに体が上がり切っていなかった。
新型コロナウイルス感染拡大の影響により、本格的なトレーニングの始動が遅れたことを考えれば、まだ調整不足の状態だということは容易に想像できた。しかし、そのことを考慮しても、やはり鈴木の跳躍には不安にも思えるほど大きな“異変”が感じられた。
だが、実はその“異変”こそが、鈴木の今大会における最大の狙いだったのだーー。
鈴木が「過去最高の傑作」と感じているのが、2017年世界選手権(イギリス・ロンドン)での跳躍だ。1m85の1本目で内容的にもほぼ完璧の跳躍を見せると、1m90、1m95も1本目でクリア。1m98も2本目でクリアし、いよいよバーの高さは2m01に。世界でも数少ない“2mジャンパー”としての矜持を示す時が訪れた。
そして自らが「完璧だった」と言い切るほどのジャンプで、見事クリアした。最大の特徴でもある空中で美しい弧を描く最高のパフォーマンスを見せた鈴木。体のどの部分にも当てずに2m以上のバーを越えたのは初めてのことだった。
その3年前の跳躍が、今でも鈴木にとっての“ピーク”となっている。昨年まで鈴木は、東京パラリンピックではその跳躍を目指していた。「あの時の跳躍ができれば、2mジャンプを成功させ、メダルを狙える」と踏んでいたのだ。
その一方で、実は“頭打ち”となっている自分を感じてもいた。
「確かにロンドンの時の跳躍は完璧でしたし、自分史上最高でした。でも、あの時の跳躍では、跳べたとしても2m02か2m03くらいが精一杯だろうなとも感じていました。東京パラリンピックでの予測される金メダルラインは2m05から2m10あたり。そこまで到達するには、ロンドンの時の跳躍では難しいだろうなと」
それでも昨年、鈴木は今の自分の最高を求める決断を下した。昨年11月の世界選手権(UAE・ドバイ)で4位以内に入り、東京パラリンピック出場の内定をもらうことが先決だったからだ。さらにそこから本番までは1年もないことを考えれば、新しい挑戦に踏み切ることはできなかった。
ところが、今年に入って新型コロナウイルス感染が世界に広がり、東京オリンピック・パラリンピックは1年延期が決定した。これを受けて、鈴木はある決断をした。「2m05を狙う跳躍」を目指すことにしたのだ。
跳躍の軌道は“放物線”から“台形”へ
では実際、どのような跳躍を目指しているのだろうか。最大の違いは、踏み切った瞬間の姿勢だ。これまでは、すぐに頭がバーの方向に向かい、体が倒れていた。空中での姿勢は放物線が描かれ、一見美しい跳躍のように感じられるが、実はこれではジャンプの途中段階で体が横を向いてしまうため、高さが出し切れずに終わってしまっていたのだ。
一方、理想としているのは、丸みを帯びた“放物線”ではなく、角ばった“台形”。踏み切った後、打ち上げられたロケットのように、一度体が真っすぐ上空に向かって上がり、体を最大の高さまで引き上げたところで横向きになってバーを越え、マットへと沈んでいく、というイメージだ。
そして体を引き上げるためには、踏み切る脚の逆の脚を素早く振り上げることが重要なのだという。しかし、これまでのように踏み切る脚の膝を一度曲げて勢いをつけてからジャンプしたのでは、振り上げの脚が遅れてしまう。膝を曲げずに一瞬でジャンプし、踏み切った時には逆の脚がすでに振り上がっているような状態を作り出さなければならない。
「これまで見ていた人のイメージとしては、放物線を描く際に、一瞬、体が宙で止まっている感じがあったと思うんです。でも、そうではなくて、一度ドーンと体が上がっていって、上がり切ったピークのところで、バーに向かっていく感じ。いわゆる“二段モーション”のように感じられる跳躍を目指しています」
これが本来の走り高跳びの跳躍のフォームであり、健常者ではこの形の跳躍をしている選手が世界トップのジャンパーとなっていることが少なくないという。鈴木にとっても長年理想としてきたものだった。聞けば、約10年前に一度トライしたことがあったという。しかし、当時はまったくできなかった。
「練習で体を真っすぐに浮き上がらせることがまったくできなかったんです。今考えれば、跳躍の技術も、義足の使い方もまだまだ不足していたのに、形だけ求めていたからだったんだろうなと。それで諦めて、自分に合う跳躍を模索して、ここまできたという感じです。でも、しっかりと技術をマスターしてきた今の自分になら、できると感じたんです」
自粛期間中、本格的なトレーニングができなかった鈴木は、基本的動作を見直した。その際、元男子走り高跳び日本記録保持者の醍醐直幸や、リオ五輪日本代表の衛藤昂など多くのハイジャンパーを育成し、鈴木も師事する福間博樹コーチが出したメニューをやってみると、10年前にはできなかったことができたのだという。それがきっかけで、鈴木は長年理想としてきた跳躍にも、再トライすることを決意した。
挑戦は可能性を感じられる楽しみでしかない
そして臨んだ日本選手権。鈴木は1m90の1本目に「片鱗が見えた」という。しかし、傍から見れば、やはり体が流れているように感じられた跳躍だった。果たして鈴木は、どこに“片鱗”が見えたのだろうか。
「僕が手応えを感じたのは、腰から下。膝を曲げずに踏み切って、もう一方の脚を素早く振り上げるという部分です。でも練習してきたのはその部分だけで、上半身はまだ何もさわれていないんですね。だから下半身の部分が少しできたことによって、そこで力が生み出されてはいるんですけど、それに上半身がついていけてなくて下半身とのズレが生じ、上に上がらずに体が吹き飛ばされてしまったような状態でした。だから見た目的には、バーの方に体が流れてしまったように見えていたと思います。ただ、日本選手権ではその吹き飛ばされる感じを求めていたので、よしっと思いました」
2カ月後の11月7、8日には関東パラ陸上選手権が予定されている。その時には、上半身と下半身との“ズレ”を小さくすることを目標としている。しばらくは記録を出すことではなく、内容にこだわっていくつもりだ。
10年前に一度諦めたほどの跳躍は、もちろん一朝一夕でできるものではなく、時間を要することが予想される。加えて、実際に東京パラリンピックまでに完成させることができるのか。さらには、その跳躍で2m05を跳ぶことができるのか。それらは、すべて未知数だ。しかし、そこに怖さはないと鈴木は言う。
「理想の跳躍ができれば、2m05はいけると感じています。とはいえ、東京パラリンピックに間に合わせられるのか、実際に2m05が跳べるという保証はどこにもありません。でも、今のままでは絶対に2m05は跳べないことだけはわかっている。そんなふうに自分の限界を感じながら跳ぶよりも、新しい自分に出会える可能性があることをした方がやりがいがありますよね。せっかく1年の猶予をもらえたわけですし。難しい挑戦ではありますが、今はできるできないを考えるよりも、これから自分がどんな跳躍ができるのか、楽しみでしかないんです」
跳躍に人生を見出し、生きる術としてきた鈴木。彼の競技人生のハイライトは、まだまだこの先にある。
文/斎藤寿子 写真/越智貴雄