来年の東京パラリンピック開幕まで11ヶ月。東京大会から採用されるパラバドミントンでシングルスとダブルスの”W金メダル獲得”を期待されているのが、里見紗李奈(NTT都市開発)だ。
18歳で交通事故に遭い、車いす生活になった里見は、2017年にパラバドミントンを始め、それからわずか3年で世界選手権を制するまでに成長した。「こんな人生、想像していなかった」と笑う里見にこれまでの競技人生を振り返ってもらい、今のステージへと導いてくれた大切な人たちとのエピソードを聞いた。
里見が事故に遭ったのは、高校3年だった2016年5月。脊髄に損傷を負い、両下肢に障害が残った。その日から今日に至るまで、彼女の心身を常にそばで支えているのが両親だ。
「後で聞いた話ですが、母は事故の一報を聞いてその場に座り込んじゃうくらいショックを受けたらしいです。それでも、毎日病院に顔を見せに来てくれて、痺れる脚を私が寝るまでさすってくれたり、食べたいものを買ってきてくれたり。毎日顔を合わせるのでちょっと喧嘩することもありましたが、甘えさせてくれたから9カ月間の入院生活を乗り越えられたんだと思います」
父・敦さんもすぐに行動に移していた。娘の退院後を考え、自宅を大幅にリフォーム。扉はすべて引き戸に変え、車いすで移動できる昇降機を設置したり、浴室では床に降りずに湯船に浸かれるよう特注の椅子を用意したりした。「当時、実は父がリフォームを進めてくれていることを知らなくて。実際に見てみると、病院の先生が『すごい』というほどよく考えられていて、自宅でストレスなく生活できることがすごくうれしかったです」
里見がパラバドミントンを始めたきっかけも、敦さんだ。中学時代にバドミントンをしていたこともあり、敦さんの勧めで地元・千葉の車いすバドミントンチーム「パシフィック」の練習を見学に行った。最初は敦さんのほうが熱心で、里見自身は「趣味としてできれば」と考えていたが、次第にチームメイトたちと過ごす時間に居心地のよさを感じるようになり、「気づいたら、週6とかで通っていましたね」と笑う。
そして、このチームを設立し、率いていたのが、男子強化指定選手の村山浩。彼もまた、里見を競技の世界へと引っ張り上げてくれた人のひとりだ。里見は3年間のブランクがあるとはいえ、元バドミントン部。試しに村山と打ってみると、身体周りのショットは返球できた。だが、前後に揺さぶられると、まったく対応できなかった。片手でラケットを持ちながら車いすを操作し、ストップ&ゴーを繰り返すという作業は想像以上に難しく、同時に転倒の恐怖も思い知った。
だが、村山はこう里見に声をかけたという。
「一緒に世界に行こう」
パラリンピックに行けるかもしれない。そこから里見はシャトルを追うことに夢中になった。チェアワークのスキル、車いす使用のフォーム改造など、村山は里見を指導し続け、また少しずつ成長の階段をのぼる姿を常に見守ってくれた。
「それは今も変わっていません。大会の決勝前日は『大丈夫だよ』『一緒に金メダルをかけようね』とLINEでメッセージをくれたり、パラリンピックの延期が決まった時も『来年は絶対ふたりでパラに出ようね』って。村山選手は周りをよく見ているし、みんなに信頼されている。そんな村山選手が私の味方でいてくれることが、心の安定につながっていると思います」
急成長を遂げ、翌年にはアジアパラ競技大会に出場するまでになった里見。日本代表では金正子ヘッドコーチをはじめとする指導者陣が、里見をいちプレーヤーとして鍛えてきた。キャリアが浅い彼女にとってはジェットコースターに乗っているかのような、目まぐるしい日々だっただろう。多くの経験が確実に成長の糧となっていく一方で、気持ちが追いつかない時もあった。「私は基本的に、自分に自信がないんです」と言うように、自分を見失いかけたこともあった。
昨年の世界選手権の決勝では、競技を始めたころからの憧れの存在である元世界1位のスジラット・プッカム(タイ)に勝利し、初出場にして初優勝を成し遂げた。興奮と喜びの絶頂を味わったあと、「私が勝ってよかったんだろうか」と焦りが支配した。
その後のポイントレースは身が入らず、迷いが生まれ、心が定まらなかった。そんな時に古屋貴啓コーチがくれたあるメッセージが、里見のなかで切れかけていた心のスイッチをオンにしてくれた。
『あなたがこの舞台に立てているのは、それだけ努力した証拠。僕が一緒にこの景色を見られているのも、あなたのおかげだよ』
「どうすればいいかわからなくてもがいている時に、自分を認めてもらったような気がして、すごくうれしかったです。これをきっかけに、悩んだら周りの人にちゃんと自分の言葉で相談するようになりました。自分で考え、動き出すきっかけをくれたメッセージでした」
そしてもうひとり、里見が本音を打ち明けることができる相手がトレーナーの内部亮さんだ。競技を始めてからの知り合いだったが、2019年4月に里見の所属先が決まり環境が整ったことで、個人的にケアを依頼できるようになった。6月からフィジカルトレーニングを受け始め、周囲が見てもわかるほど、身体に変化があった。「内部さんのところでは車いすだと使える器具が限られるんですが、トレーニングはちゃんとキツイ」と笑う。
フィジカル面が強化されれば、自信がつき、前向きにもなる。トレーナーとアスリートは一心同体と言われるように、里見にとっても、「相談事は、思えば内部さんに一番しているかも」と言うほど頼りにしている存在だ。現在は自宅でできるメニューを考案してもらい、地道に取り組んでいる最中で、コロナ禍においても自分としっかりと向き合うことができている。その心の安定は、次の里見の言葉からも見てとれる。
「パラリンピックが1年延期になったことを聞いたときは、正直残念だなという気持ちでした。強豪の中国の選手なんかは若いので、この一年間でどれだけ強くなるんだろうと考えると、やっぱり怖かった。でも、ゆくゆく考えたら、私だってさらに強化した姿を1年後に見せられるんだし、とプラス思考でいるようになりました。気持ちはしっかり切り替わっていますね」
パラバドミントンを始めて、丸3年が経った。競技面以外で当初と異なることがあるとすれば、「影響を受けていた立場」から「人に影響を与える立場」になったことだろう。中学時代の恩師たちは東京パラリンピックの観戦チケットを取り、楽しみにしているそうだ。
また、いつも応援してくれている親友のひとりは、里見がパラバドミントンを始め、活躍する姿に刺激を受けて、高校を最後に一度辞めていたスポーツを大学進学後に再開したという。
「自分が身近な人に影響を与えられているんだと思うと、もっと頑張りたいという気持ちになる。両親、コーチ、トレーナーさん、バド仲間、友人たち……、そういう人たちの応援は本当に力になるんです。令和に入ってから、(地元の千葉が大きな被害を受けた)台風やコロナといった災害や前代未聞の出来事が起こっているので、来年、東京パラリンピックが開催されたらすごく明るいニュースになると思うんです。そのなかで自分が結果を残して、みんなに笑顔を届けたい。今は、そう思っています」
若き世界女王が、自分と向き合いたどり着いた、新たなステージと覚悟。11ヶ月後の東京パラリンピックでは、さらにスケールアップした姿を見せてくれるに違いない。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事をバックナンバーを配信したものです。
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荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu