パラリンピックを目指すアスリート同士の対談企画。第2回は、パラ卓球・岩渕幸洋選手と、パラアーチェリー・上山友裕選手。ともに2016年リオパラリンピックに出場し、その経験を活かして東京パラリンピックでは金メダルを目指している。リオ以降、お互いに刺激し合いながら、友情を育んできた二人の対談は、真剣みとユーモアたっぷりのエピソード満載となった。
――お二人はリオデジャネイロパラリンピックを機に、親交が深まったそうですね。
上山友裕(以下、上山) リオパラリンピックの帰りの飛行機が、パラアーチェリーとパラ卓球が同じ便だったんです。乗り換えの待ち時間の時に話す機会があって、そこで初めて岩渕くんと話をしました。
岩渕幸洋(以下、岩渕) あれ? 僕の記憶では、リオの結団式でパラアーチェリーとパラ卓球の席が隣同士だったので、そこで上山さんと初めてお話したと思うんですけど……(笑)。
上山 あ、そうだ、そうだ(笑)! ごめん、すっかり忘れてた!
岩渕 いえいえ、大丈夫ですよ(笑)。確かに、打ち解けて話をしたのはリオの帰りでしたよね。パラ卓球の大ベテラン、別所キミエさんもいて楽しかったですね。別所さんがずっと話をするので、僕たち二人はほとんど聞き役でしたけど(笑)。
上山 岩渕くんとは、リオ以降仲良くさせてもらっていて、コロナ禍での自粛期間中もオンラインでゲームをしていました(笑)。
岩渕 実は、上山さんとは今も週1くらいでオンライン上でお会いしています(笑)。
――親交のきっかけとなったリオパラリンピックは、お二人にとって初めてのパラリンピックでした。それぞれ、どんな大会となったでしょうか。
上山 僕はリオの切符を手にする前からずっと「パラリンピックに出るだけじゃなく、成績を残して帰ってきます」と言い続けていました。そのうえで、東京パラリンピックにつなげる大会にしたいと思っていたんです。リオでは予選を4位で通過し、決勝トーナメントに進むことができました。決勝トーナメント前日の夜はしっかりと眠ることができたのですが、翌日朝起きたら気分が悪くて……。それでもルーティンを守ろうと、いつも通り朝ご飯にカレーライスを無理やり食べたんです。そのまま試合会場に行くと、体自体は動けていたのですが、会場の雰囲気は自分の想定以上のもので、そこでこれから自分が試合をやるのかと思ったら、1回戦の前にまた気分が悪くなってしまって……実はトイレで吐きました。でも、それですっきりした気分になれたのが良かったんでしょうね。1、2回戦と勝って、準々決勝であと一歩及ばずに負けはしましたが、7位入賞という結果を残すことができました。ただ、いざ現地に入ってからは金メダルしか頭になかったので、準々決勝で負けた時は悔しさだけでした。実は、準々決勝に残ったメンバーを見た時に、国際大会で表彰台に上がっている選手の名前がズラリと並んでいて、正直「すごい選手たちばかりだな……」と思ってしまった自分がいたんです。もちろん勝つつもりで試合に臨んではいましたが、今思えば、自分がその場にいることが不思議に感じている時点で負けていたなと。でも、今の自分は決勝まで残っても、それが普通。リオの時とは違って、試合前の気持ちで負けることがなくなったというのは、この4年間で強くなった部分だと思っています。
岩渕 僕は、試合前日までは割と平常心でいることができていて、夜もしっかりと眠ることができました。ところが試合本番の日、会場に入ると、 予想していなかった大勢の観客に面食らって、練習の時からいつもとは違う自分を感じていました。結局、気持ちをリセットできないまま試合に入ってしまって、予選リーグの第1、2戦ともにあっという間にストレート負けで、気づいたら終わっていた感じでした。当時の僕はパラリンピックに出ることだけでいっぱいいっぱいで、そこで結果を残すことではなく、出場することが目標となっていたのだと思います。今、上山さんの話を聞いて、改めてもう一段階上の目標を持って臨まなければいけなかったんだなと感じました。ただ、その経験をしたうえで東京パラリンピックに臨むことができるというのは大きいと思っています。それと、リオでは試合の時は個人競技ということもあって、孤独感を感じる瞬間もあったんですね。でも試合後に両親をはじめ、日本から応援に駆けつけてくれた方々にお礼を言いに行ったときに、たくさんの激励の言葉をいただき、「あぁ、自分は一人で卓球をやっているんじゃないんだな」ということを感じました。東京パラリンピックでは、その人たちの期待に応えられる結果を出したいと思っています。
――それぞれの競技の魅力や、ご自身たちの試合での見どころを教えてください。
岩渕 卓球はボールに回転をかけるなどして、細かい駆け引きが行われているのですが、「ここに打てば、こう返ってくる」と読みが当たった時は快感ですよね。18年世界選手権の準々決勝は、まさにそんな感じでした。相手は過去の戦績0勝5敗と一度も勝てていなかった強豪だったのですが、試合前にコーチと練った作戦通りに、いつもは速いボールを打ち返していたのを、あえてゆっくりめのボールを返したんです。そしたら予想通りのところにリターンが来てそれを狙いすまして決める、というシーンがいくつもあって、その選手に初めて勝つことができました。体格とかパワーではなく、少しタイミングをずらすなど工夫一つで勝つことができるのが卓球の魅力の一つ。試合中も切り口が見つかると、劣勢だったのが突然優勢になったりするので、そういうところは見ている人たちにも楽しんでもらえると思います。
上山 パラアーチェリーに関していえば、「リカーブ」という種目は障がいでのクラス分けがなく、車いすの人も義足の人もいれば、手だけでなく口で弓を引く選手など、さまざまな選手が一堂に会してメダルを争うところです。それとアーチェリー全般でいえば、健常もパラも、同じ土俵で戦うことができる、バリアフリーなスポーツという点ですね。障がいの有無によって勝敗に差がつくことがほとんどないんです。実際、ザーラ・ネマティ選手(イラン)はリオではオリンピックとパラリンピックの両方に出場しています。僕が試合の中で一番気持ちがいいのは、やっぱりど真ん中の10点の部分に矢が突き刺さった時。試合中は「今のはこうしたから外れたのかな。じゃあ、次はこうしよう」と、修正を繰り返しながら満点の10点を狙うんです。その作業が答え合わせしていく感覚に似ていて、すごく楽しい。昨年の世界選手権のベスト16決めの試合では、僕自身初めて30点満点を出しました。しかも、次のセットを取った方が東京パラリンピックが内定する、というプレッシャーのかかった局面で3本すべて満点だったので、思わずガッツポーズしたものの、僕自身が一番びっくりでした(笑)。
――ふだんから仲が良いお二人ですが、同じアスリートとしてどう感じていますか?
岩渕 僕は、いつも自信に満ち溢れている上山さんがかっこいいなと感じていますし、とても尊敬しています。日本のパラアーチェリー界を引っ張っていて、リーダーシップがすごいなって。僕はそういう部分がなかなか出せていないのですが、自信を持つためのコツや、気持ちの高め方はどのようにされているんですか?
上山 ありがとうございます(笑)。僕は、とにかく口に出して言うようにしているんです。そうすることで、逃げられない状況が自然と作れるので、もうあとは頑張るしかないんですよね。なので、東京パラリンピックに対しても「出たい」ではなく「出る」とはっきりと言っていましたし、リオ以降ずっと「東京の会場を満員にして、金メダルを取る」という目標を言い続けてきました。
岩渕 なるほど。僕もぜひ参考にさせていただきたいと思います。いつか、上山さんのようにオーラのある選手になりたいです!
上山 いやいや、そんなオーラなんてないですけど(笑)。でも、僕が口に出して言うようになったきっかけは、プロボクサーとして活躍していた亀田興毅さんなんです。“ビッグマウス”とかっていろいろと叩かれていましたけど、でも結局は世界チャンピオンになって有言実行すると、周りの評価もどんどん変わっていきましたよね。そんな姿がかっこいいなと思って、僕も大学生の頃から口に出して言うようにしていたんですね。でも、当時は何も達成できなくて「あいつはただの自信過剰なヤツだ」なんて陰口を叩かれたこともありました。でも、「有名になった時に」とサインを考えていて、今書いているのがその時のサインなんです。当時は「そんなん誰が欲しがんねん」と笑われていましたけど、今では「ほんまにサイン書くようになったんやもんな」って驚かれています(笑)。逆に岩渕くんは、試合をYouTubeで配信したり、今年11月23日には自ら企画した「岩渕オープン」を開催するなど、パラアスリートのなかでも発信という点でリーダー的存在ですよね。僕もSNSで自分や競技のことを発信していますけど、いつも岩渕くんを見習いたいと思いながら拝見しています。ちなみに今後、新しくやろうとしていることってあったりするんですか?
岩渕 リオ前から発信したいという気持ちはあったのですが、リオを経験していろいろな競技にたくさんすごい選手たちがいることを目の当たりにして、「このパラスポーツの素晴らしさを、もっと多くの人に伝えたい」と思ったことが一番大きかったと思います。リオ直後は単に試合の動画を配信するくらいしかアイディアがなかったのですが、その後、さまざまなサポートを受けられることになって、いろいろな提案ができるようになり、今に至っています。これから新しいことというよりは、今までパラ卓球を知ってもらいたいと思って試合の動画を配信したりしていたのですが、これからは「岩渕オープン」のように、実際に見てもらう場をもっと作っていきたいと思っています。
上山 僕とコラボ企画やるというのはどうですか? 何か、対戦するとか。
岩渕 それいいですね。実は僕、すでに上山さんとやりたい企画があるんです。アーチェリーでは絶対に勝てないので、ダーツはどうですか?
上山 じゃあ、卓球台の距離にしてダーツ対戦をやりましょうか。ただ僕、同じ矢を放つのでも、ダーツはめちゃくちゃ下手なんだよなぁ……(笑)。
岩渕 僕もぜんぜん自信ないです(笑)。でも、前に上山さんが「ダーツは苦手」っておっしゃっていたので、もしかしたら勝てるかもしれないなと思って、ずっとこの企画をあたためていました(笑)。ダーツじゃなくても、とにかくコラボ企画はやりたいですね。自分だけを発信するのではなく、世界にはすごい選手がたくさんいるので、そういう選手のことも伝えたいと思っているんです。なので、その第一弾として上山さんとコラボしたいので、よろしくお願いします!
――お二人には、座右の銘はありますか?
岩渕 織田信長の「絶対は絶対にない」です。この言葉を知った時に、自分なりの解釈ではあるのですが、人と同じ方法ではできなくても工夫次第で自分なりの方法を見つけてできることがある、というふうに勇気をもらったんです。これからもこの言葉を大切にしたいと思います。
上山 僕は「ファンあってのオレ」です。スポーツ選手は応援してもらってなんぼだと思っているからです。今回のコロナ禍では試合がなくなり、ファンとSNSなどでやりとりする機会も減ってしまいました。そこでファンとのオンライン交流会を開いたところ、直に応援の声をいただけたことで、すごくモチベーションが上がりました。「やっぱり応援してくれている人たちがいるからこその自分なんだな」と思ったので、「ファンあってのオレ」を座右の銘にしました。
――最後に、お二人ともに出場が内定している東京パラリンピックに向けてのお気持ちをお聞かせください。
上山 もちろん一貫して言い続けてきた「会場を満員にして金メダル」という目標は変わりありませんし、その目標に近付いているという手応えを感じています。リオの時は数百人だったTwitterのフォロワーの数が今では約3,400人にまで増えていて、オリンピックのアーチェリーも含めて日本のアーチェリー界では一番多いんです。だからオリンピックよりも多くの観客を入れたいという願望もあります。もちろん新型コロナでどうなるかわかりませんが、そこは僕がどうすることもできないので、とにかくその目標を達成することだけを考えていきたいと思っています。
岩渕 僕は「金メダル以上」ということを掲げて取り組んできたのですが、「以上」というのは、パラリンピックの面白さだったり素晴らしさを伝えたい、という思いが込められています。そこに、今回このようなコロナ禍で改めて「スポーツっていいな」と多くの人に感じてもらう、ということも「以上」に追加したいと思います。
【プロフィール】
いわぶち こうよう●協和キリン
1994年12月14日生まれ、東京都出身。先天性絞扼輪・先天性内反足。中学時代に卓球部に所属し、3年時に初めてパラ卓球の大会に出場した。高校卒業後、早稲田大学に進学、全国でも強豪の卓球部に所属し、パラ卓球では本格的に国際大会に出場するようになる。2014年、2年時にワイルドカードで世界選手権に初出場。同年のアジアパラ競技大会ではシングルスで銅メダルを獲得した。16年、4年時にはリオパラリンピックに出場。18年の世界選手権では銅メダル、19年メキシコオープンで優勝するなど、世界トッププレーヤーに。今年7月1日に東京パラリンピック代表に内定した。世界ランキング3位(20年12月現在)。
うえやま ともひろ●三菱電機
1987年8月28日生まれ、大阪府出身。小学校、中学校の時はラグビーに熱中した。大学でアーチェリー部に入部し、レギュラーとして関西大学リーグに出場するなど活躍。しかし脚の症状が悪化し、歩行困難に。大学卒業後に「両下肢機能障がい」と診断される。社会人でもアーチェリーを続けていくなかで、日本身体障害者アーチェリー連盟の誘いによって、2011年からパラアーチェリーの大会に出場し始めた。13年に初めて世界選手権に出場すると、16年リオパラリンピックでは7位入賞。19年世界選手権では6位となり、東京パラリンピック代表に内定した。世界ランキング2位(20年12月現在)。
取材・文/斎藤寿子