その決断に至った背景には、東京大会に向かう中で感じたある思いがあった。
「まだまだマイナーな自分の競技を盛り上げたいし、もっとパラアスリートの魅力を知ってほしい。すごいスター選手が出てきたらそれもいいかもしれないけど、応援してくれるファンが増えていくことがスポーツを盛り上げる大切な要素だと思います。だから、僕も選手としてできることがあるのではないかと考えるようになったんです」
これまでは仕事をしながら競技を続けることにこだわってきた。だが、アスリートとして世界最高峰で結果を残すための練習をしながら発信していくとなると、時間はいくらあっても足りないと感じた。ならば、思い切って環境を変えてみてはどうか。2個の金メダルを獲得したアジアパラ競技大会を終えた2018年末には独立の意向を固めていた。
とはいえ、各企業はコロナの影響で冬の時代。佐藤が所属先に退社の意を伝えたとき、スポンサー契約を期待できる企業があったわけではなかったという。オリンピックのメダリストでさえ、スポンサー探しに苦労するニュースが流れるなか、今後の競技生活への不安はなかったのだろうか。
「会社を辞めると言ったものの、この先どうなるかはまったく見えなかったです。コロナ禍ですし、普通に考えたらサポートしてくれる企業は見つからないかもと思うこともありましたが、まぁ進んでいくうちに道は開ける、とポジティブに考えることにしました。いろいろ模索しながら進んでいけたらいいかなって」
瀬長あすか●取材・文 text by Senaga Asuka 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo