アスリートが表舞台で見せるパフォーマンスの背景にあるのは、“日常”の積み重ねだ。本番での輝きは一瞬に過ぎない。その一瞬を追い求めて、アスリートたちは長い年月をかけ、ときには葛藤しながら“挑戦”と“成長”の日々を送っている。その一人、世界で唯一の2m台を跳ぶ義足ハイジャンパー鈴木徹の東京パラリンピックまでの軌跡をたどる。
かみ合い始めた“振り上げ脚”と“踏み切り脚”
東京パラリンピックが1年延期となったことで、昨年から新たな跳躍に挑み始めた鈴木。一時は競技人生で初めて「跳び方がわからなくなった」が、そのトンネルから抜け、2020年の間に理想の跳躍に向けて大きくステップアップしている。
鈴木が目指しているのは、“台形型の跳躍”。踏み切った直後、体が打ち上げられたロケットのように一度、真っすぐに宙へと上がり、その最高到達点から奥行があるクリアランス(空中姿勢)へ。“自分史上最高超え”の跳躍は、その先にあると考えているからだ。
しかし、第一ステップとされた踏み切り後の垂直力を生み出す感覚が、なかなかつかめずにいた。ようやくその感覚をつかんだのは、昨年12月21日。地元の山梨県の陸上競技場で、一人で練習していた時のことだった。一般の走り高跳び選手がアップでするという、バーを置かずにマットに跳び上がる「跳びつき」というメニューを繰り返すなか、求めてきた感覚をつかんだ。それは、踏み切りの左脚が地面をとらえる瞬間と、右脚が振り上がる瞬間とのタイミングが寸分の狂いもなく“カツン”とかみ合った時に生まれるパワー。そのパワーによって、鈴木の体はフワッと垂直に浮き上がった。
“カツン”という感触とともに、垂直に上がるエネルギーをつくりだすことができた最大の要因は、踏み切る一歩前、義足の右脚にあった。右脚をしっかりと押し込むことによって、振り上がるスピードが増し、体が引き上げられ、そこに踏み切り脚の力が加わることで大きなパワーが生まれたのだ。現在の鈴木の跳躍を見ると、踏み切り脚が地面を離れる瞬間の振り上げ脚の膝は、直角に曲がり切り、すでに腰の近くまで上がっている。そのために体を垂直に上げるパワーがより大きく出力されるのだ。
「今までは踏み切り脚だけで、跳躍力を生み出そうとしていたので、義足の方のリードレッグ(振り上げ脚)は単に地面をついていただけでした。それでは力が加わってこない。そうではなくて、リードレッグをしっかりと押すことを意識して“駆け上がる”ようなイメージで踏み切りに入るようにしたんです。そうしたところ、求めてきた“カツン”という感触が得られた。これでようやく理想の跳躍に向けて、スタートラインに立てたような気がしました」
そして、もう一つは「助走のスピードに頼らない跳躍」への転換だ。これまでは補助走によって助走スピードで勢いをつけ、鈴木いわく「流れの中でだませてしまっていた」ため、跳ぶことができていたのだという。しかし、それでは限界がある。さらに高い跳躍力を生み出すためには助走に頼らずに、地面を一歩一歩押しながら振り上げ脚と踏み切り脚からパワーを生み出す必要がある。そこで12月14日、福間博樹コーチの下、ナショナルトレーニングセンターでの練習からは、全助走の3分の1ほど短くした距離からの「ゼロスタート」による跳躍練習にも取り組み始めた。これが、功を奏した形だ。
「ゼロスタートでは、助走スピードに頼ることができないので、自分の脚の“押し”がないと高さを生み出すことができないんです。なので、これまでは結構苦手としていて、跳べたとしても1m70cmあたりが精一杯でした。でも、逆にこの練習に取り組むようになってからは、しっかりと“押し”を意識するようになり、より踏み切りが安定するようになったことが大きかったですね」
NTCでの練習では、1m75cmだったゼロスタートからの跳躍も、その10日後の沖縄での代表合宿では自己新記録となる1m80cmを成功させている。新たな挑戦が、鈴木の潜在能力を引き出している。
近付きつつある“台形型の跳躍”
もちろん、この振り上げ脚と踏み切り脚の一連の動作は、一朝一夕でできたものではない。左右のタイミングがかみ合わさった“カツン”という感触を求めて、「跳びつき」のメニューを重点的に行うようになってから1カ月以上も要した。
「自分としては予想以上に時間がかかってしまったなと。練習を積み重ねていけば、できるようになるかなと思っていたのですが、全然でした。そこで、途中からはどうすればリードレッグを速く高く上げられるのか、試行錯誤し始めました。たとえば、踏み切りの時に一度、体の重心を落として反動をつけた方がいいのか、あるいは振り上げの義足を横に外すようにしてステップして振り上げた方がいいのか、といろいろと試したんです。そのなかで最も良い感触を得られたのが“押し”でした」
理想とする跳躍の原石とも言える“押し”によって、振り上げ脚と踏み切り脚がかみ合った時の“カツン”という感触は、体にしみこみ始めている。さらに、これまでは最高到達点にいく前に体がバーの方に倒れてしまっていたが、それも改善されてきている。踏み切った直後、肩から下はほぼ真っすぐに立っている状態で、両脚から生み出された垂直に上がっていくパワーの妨げにはなっていない。だからだろう。見た目からも、踏み切った後に鈴木の体がフッと宙に引き上げられていく感覚がある。
年明け後は義足側の右脚の切断面に傷ができ、練習をストップせざるを得ない時期もあった。それでも練習再開後には技術面に関して新たな気づきがあり、理想の跳躍にまた一歩近づいたという手応えを感じているという。
3月20~21日には、今シーズンの初戦「日本パラ陸上競技選手権大会」が、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場で開催される。
「これまでの自分史上最高の跳躍は、2m01をクリアして銅メダルを獲得した2017年世界選手権。でも、今はもうその時の跳躍とは全く違います。本来、ずっと理想としてきた高さと奥行きのある“台形型の跳躍”に近付きつつあると実感しています」と鈴木。シーズン初戦で、4年前とは違う跳躍を披露するつもりだ。
大会までの課題は、力感が出た時のフォームだという。
「リラックスした状態で跳躍していたなかでは、求めてきた“カツン”が高い割合で出せるようになってきているので、これからは試合の時のように力感が生まれた時にも、しっかりと出せるようにしたいと思っています。ただ、簡単なことではありません。リラックスした状態の時は、自分の体をコントロールできるなかで行っているもの。でも、試合ではそうはいきません。“記録を出したい”とか“成功させなくては”という力みが出る。その時にも“カツン”を感じられるくらい自動化させていきたいと思っています」
東京パラリンピックまで、5カ月あまり。本番への弾みとなるシーズン幕開けとするつもりだ。
【プロフィール】
すずき とおる●SMBC日興証券所属
1980年5月4日生まれ、山梨県出身。中学からハンドボールを始め、高校時代には国体で3位入賞した実績を持つ。高校卒業直前に交通事故で右脚を切断。99年から走り高跳びを始め、翌2000年には日本人初の義足ジャンパーとしてシドニーパラリンピックに出場。以降、パラリンピックには5大会連続で出場し、12年ロンドン、16年リオと4位入賞。17年世界選手権では銅メダルを獲得した。06年に初めて2mの大台を突破し、16年には2m02と自己ベストを更新。東京パラリンピックでは初のメダル獲得を狙う。
写真/越智貴雄[カンパラプレス] 取材・文/斎藤寿子