大分車いすマラソン2020。土田選手は1時間39分42秒で優勝。2019-2021世界ランキング7位(3/8現在)のタイム(撮影・越智貴雄/カンパラプレス)
瀬立 今度は私から質問させてください。競技を始めて間もないころと今とでは、練習方法や体制も違うと思いますが、どのようにして構築していかれたのでしょうか。
土田 19歳で初めてパラリンピックに出場した時は、まだアスリートとしての体も知識も何も持ちあわせていなかったんだけれども、その後の4年間が大きかったかな。自国開催の98年長野パラリンピックに向けて国の強化体制が整えられ始めていったこともあって、多くのスタッフの方の力を借りながらフィジカル強化を図っていきました。また技術面に関しては、当時私がやっていたアイススレッジスピードレースという競技の発祥の地ノルウェーを訪れ、そこでいろいろと学ぶ機会をいただきました。そうして、ようやく長野での金メダルというところに到達したんだけれども、私の場合は長いスパンをかけて体制を構築してきたというところがあったかなと。モニカちゃんを見ていても、今はもっとスピーディに整えられるようになってきているなと感じています。それはパラリンピック競技への日本の強化体制が少しずつ整えられてきたということも関係しているかなと。いずれにしても、まだパラリンピック競技が周知されていなかった時代に、長野パラリンピックという自国開催の大会があったということは大きな転換期だったと思います。長野パラリンピックでの経験があったからこそ、アイススレッジスピードレースが廃止と決まった時も、自然と「じゃあ、次は夏のパラリンピックを目指したい」という気持ちが出てきて、夏場のトレーニングで行っていた陸上に転向することができました。
瀬立 和歌子さんにもう一つお伺いしたいのが、アスリートのセカンドキャリアについてです。どの選手も必ず現役を引退する日が訪れると思いますが、和歌子さんは引退後についてはどのように考えていらっしゃるんですか?
土田 自分を成長させてくれたスポーツという分野で恩返しをしたいと思っています。ただ、日本ではまだパラリンピック競技に対する強化体制は十分ではないと思いますので、そういう現状としっかりと向き合いながら、今の自分にできることを考えて次のステップに進んでいきたいと思っています。今はまだ具体的なことはお伝えできないのですが、多くの方々に支えられてきて今の自分があるし、多くの成功も得られてきたと思いますので、その方たちに恩返しをしたいなと思っています。
瀬立 私は以前は東京パラリンピックが終わったら、スパッと競技をやめようと思っていたんです。でも、和歌子さんをはじめ、世界で活躍する日本人パラアスリートの方々とお会いするたびに、「私も一流になりたい」という思いが強く芽生えるようになりました。それと和歌子さんの話を聞いていて、パラリンピックでメダルを取ったその先に何が見えるのかは、その時になってみないとわからないなと思ったので、まずは東京パラリンピックを目指してできる限りの努力をしていき、その後については選手を続けるか、それとも大学を卒業して一般企業に就職するか、あるいは医学部に編入学して、もともとの夢だった医師を目指すか……今はいろんな選択肢を考えています。
取材・文/斎藤寿子