世界パラ陸上競技連盟(WPA)公認の車いすマラソン大会、「Challenge Tokyo Para 42.195km in 立川」が3月7日、東京・立川市の自衛隊立川駐屯地内を周回する特設コースで開催された。コロナ禍で国際大会の中止や延期が相次ぐなか、この大会はその名の通り、東京パラリンピック男女日本代表選考会の「ラストチャンス」として急遽企画された特別レースで、国内の有力選手、男子9名、女子2名が出場した。
レースは気温8.6度、北寄りの風2mの曇天のなかスタート。約2.5㎞のコース16周を1時間30分40秒で走り切り、優勝したのは洞ノ上浩太(ヤフー)だった。だが、3大会連続のパラリンピック入賞ランナーに笑顔はなかった。
「今回は、優勝はもちろんだが、東京パラのマラソン(代表の)最後の枠取りとして明確なタイム目標があった。だが、2、3周目くらいで達成できないなというペースになってしまった。そこから気持ちを切り替えて、今後の競技キャリアにつながればと最後まであきらめずに頑張ったが…。急遽、この大会を開いてもらったのに、申し訳ない気持ちです」
悔しさを滲ませながらも時に笑顔で取材に応じる、優勝した洞ノ上浩太
洞ノ上のいう「明確なタイム目標」とは、東京パラ出場資格につながるタイムのことだ。WPAが定める東京パラ出場条件は今年4月1日までの24カ月内にマークしたタイム順に並べた「参加資格ランキング」で6位以内、かつ2019年世界選手権で内定した4選手を除く上位2人というもので、男子の1位相当タイムが1時間20分59秒、2位相当が1時間22分23秒だった。世界記録(1時間20分14秒)や洞ノ上自身がもつ日本記録(1時間20分52秒)にも迫る高い目標で、「かなりチャレンジングなレースだった」という洞ノ上のフィニッシュタイムは8分以上も及ばなかったことになる。
「苦戦」にはいくつかの要因も重なった。寒さや終始吹きつけた風の影響も小さくなく、コース特性にも難しさがあった。滑走路を利用したほぼ平坦なコースで、昨年の箱根駅伝予選会にも使われ超高速レースの舞台となっていたため、今大会でも好タイムが期待されたが、洞ノ上はこう話す。
「ランナーのマラソンと違い、車輪のついた乗り物に乗っているので、フラットだとずっと漕ぎ続けることになる。アップダウンがあるほうが上りでがんばって下りで休み、その勢いで上るほうがタイムは出やすい。今日はずっと(車輪を)回し続けて、かなり疲れました」
レース展開も序盤で思惑とは異なるものになった。平均時速20~30kmほどの高速となる車いすレースでは、風速2mでも向かっていれば、かなりの空気抵抗があり、疲労しやすい。この抵抗を軽減しようと、車いすレースでよく見られるのが、選手が縦一列に並び、風よけとなる先頭を適宜交代しながら走る、「ローテーション」と呼ばれる戦略だ。どういう順序で交代するかの駆け引きもあるが、集団が大きいほど交代要員も多くなり、ペースを維持しやすい。
4人でローテーション(先頭交代)しながら、ペースキープ。先頭は優勝した洞ノ上浩太
だが、この日は5km地点で先頭集団はすでに4人に絞られていた。洞ノ上は、「大きい集団で展開できるのが理想だったが、早い段階で崩れた。後ろを見たら、いなかった。(目標)タイムを目指すなら、あのペースで行かないといけなかった。こんなに早く4人になるんだ、と残念だった」
結局、5000mを主戦とし、ペースメーカー役を担った樋口政幸(プーマジャパン)が25kmすぎに戦列を離れて以降は、洞ノ上に加え、吉田竜太(SUS)、副島正純(ソシオSOEJIMA)が三つ巴でレースを進め、それぞれ2秒差で2位、15秒差で3位となった。4位の西田宗城(バカラパシフィック)は4分32秒差でのフィニッシュだった。
スピード強化やフォームの改良を重ね4度目のパラを目指した洞ノ上は、「何が何でも突破してやるという気持ちだったが、残念」と肩を落とした。
星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko 小川和行●写真 photo by Ogawa Kazuyuki