4カ月後に迫った東京パラリンピック。新国立競技場で行われるパラ陸上競技では多くのメダリスト誕生が期待されている。そんなパラ陸上の競技力向上に大きな影響を与えている人物がいる。現在日本パラ陸上競技連盟(以下、日本パラ陸連)の強化委員会テクニカルディレクターを務める原田康弘さんだ。原田さんは、日本陸上競技連盟(以下、日本陸連)で日本陸上競技連盟強化委員長、日本代表短距離ヘッドコーチなどを歴任し、日本を代表するスプリンターの育成、強化を担ってきた。日本陸連の元指導者がパラ陸連の指導者になったのは初めてのケースだ。オリンピック、パラリンピックの垣根を越えて、日本陸上界のために奔走し続けている原田さんにインタビューした。
高校、実業団、日本代表の強化に寄与
現役時代は日本選手権で100m、200m、400mで優勝し、200m、300m、400mの元日本記録保持者でもある原田さん。現役引退後は宮城県で高校の体育教諭を11年間務めた。赴任した白石工業高校、利府高校で陸上競技部の顧問として指導。利府高では赴任して2年目の時には県大会で総合優勝に導いた。
その指導者としての手腕を買われ、東日本実業団陸上競技選手権大会で2度総合優勝した実績を持つ光カメラ販売陸上競技部の監督を4年間務めた。その後はクレーマージャパンに入社し、昨年まで勤務。アメリカの最新トレーニングの用具を輸入し、普及、販売などに携わった。メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスのキャンプにトレーニングの視察に訪れたこともあるなど、SAQ(スピード、アジリティ、クイックネス)トレーニングのノウハウを持つ原田さんは、陸上関係だけでなく高校野球やプロ野球、Jリーグ、ラグビー日本代表などにも招致され。選手やコーチへの臨時トレーニングコーチを務めるなど幅広く活動してきた。
一方、高校の教員時代から日本陸連のジュニアの部の強化に携わっていた原田さんは、光カメラ販売の監督就任に伴って上京後に日本陸連での仕事も本格化。男子短距離の強化部長、女子短距離の強化部長、男女短距離の統括部長、ジュニア育成部長を歴任し、2012年11月から15年まで強化委員長を務めた。その当時、日本陸連と日本パラ陸連とのつながりはほとんどなかったという。
「もちろんパラリンピック選手も日本パラ陸連さんの存在も知っていましたし、頑張ってほしいなという気持ちはありました。ただ、実際に携わることはなかったですね。私が強化委員長を務めていた時に一度パラ陸上の関係者から“ナショナルトレーニングセンターを使用させてもらえないか”という打診を受けたことがありました。その時は“もちろんご協力いたします”という返事をしたのですが、関りといえばそれくらいでした」
パラ陸上に関わり始めたのは、原田さんが16年リオデジャネイロオリンピック前まで日本陸連の理事を務め上げた後のこと。日本パラ陸連の三井利彦理事長から打診を受けたのがきっかけだった。リオパラリンピックで日本選手団は金メダルゼロに終わり、ほかの競技と同様に日本パラ陸連も次の東京パラリンピックに向けての強化を急務としていたことは想像に難くない。そこで三井理事長が白羽の矢を立てたのが、原田さんだったのだ。
「三井さんからは“東京に向けていろいろと変えていかなければいけないと思っています。ぜひ日本陸連で強化に携わってきた原田さんのお力をお借りしたい”と言われました。正直、パラ陸上界のことは何も知らない状態でしたが、それでも自分にできることならとお引き受けすることにしました」
東京パラでの活躍が最も期待される一人、髙桑早生選手(右)を指導する原田さん
パラ陸上は過去の経験を生かしながらの探求の場
その後、パラ陸上界のことを知るためにヒアリングを重ねたという原田さん。健常者の陸上には男子、女子しかないカテゴリーが、パラ陸上界では障がいの程度や運動機能によっていくつものクラスに分けられていることを初めて知るなど、最初は驚くこともしばしばだった。
「初めは知らないことばかりで“これは大変だなぁ”と思いました。とはいえ、同じ陸上競技。指導者としては、選手それぞれの特徴をつかんで“この選手が速く走るためにどうすればいいのか”を考えるというのはこれまでと何ら変わらないな、とも思いました。なぜなら健常者の選手だって、フィジカル的な能力は選手それぞれ。パラ陸上ではそういう部分が、たとえば片方の脚や腕が麻痺で効かなかったり、目が見えない、義足を履いているということだけであって、速く走るための追求の仕方は一緒。簡単に言えば、結局は地面からの反動の力をうまく引き出してスピードに転換していく体の動きや体幹バランスが大事ということに尽きる。そのためのアプローチの仕方やプロセスが選手によって違うというのは、障がいの有無はまったく関係ありません」
では、実際に指導してみて、パラ陸上の世界はどんなふうに感じているのだろうか。
「健常の選手たちもフィジカルにそれぞれの特徴はあるとはいえ、それでも“こうすれば、こうなる”という大きな柱があるわけです。でもパラ陸上は選手それぞれ体の状態がまったく違いますから、アプローチの仕方も何本もの幹に分かれる。さらに日本陸連にあるような指導法のマニュアルがないので、模索していきながら答えを見つけていかなければならない。大変ではありますが、ただ未開の世界だからこそ探求していく面白さを感じています」
そして、こう続けた。
「それと私が良かったなと思うのは、高校の陸上部を指導した経験があること。というのも、パラ陸上の指導には幅広いノウハウが必要になります。そういう意味では中学や高校の陸上部の顧問というのは、トラックもフィールドもさまざまな競技の指導を一手に引き受けなければいけませんので、幅広いノウハウを身に付けることが求められるんです。代表クラスの、しかも短距離だけというエキスパートな指導をしてきた経験はもちろんですが、高校の教員時代の経験も非常に生かされていると感じています」
男子若手アスリート陣と談笑する原田さん
陸上とパラ陸上との“架け橋”に
現在、原田さんが主に担当しているのはブラインド(視覚障がい)と脳性麻痺の短距離選手。トレーニングや指導法も健常の選手たちとほとんど変わらないという。原田さんが指導する選手のなかで記録を伸ばしているのが、高松佑圭だ。左腕に麻痺の障がいがある高松は、27歳のスプリンター。脳性麻痺(T38)のクラスでの女子100m、200m、400mの日本記録保持者で、2017年の世界選手権では400mで銀メダルを獲得している。
そのほか上肢に障がいがあるクラス(T46)の男子100m、400mの日本記録保持者で、2019年世界選手権では400mで5位入賞した22歳の石田駆も、昨冬からトレーニングメニューを見ている選手だ。今年3月の日本選手権ではその時期では好記録の50秒32をマークし、東京パラリンピックへの手応えを感じている。
原田さんという存在の影響は、選手の強化だけに限らない。日本陸連のジュニア部門を請け負っていた際、一緒に指導をしていた2人のコーチを招き、現在日本パラ陸連で指導を行ってもらっているという。これまでつながりが皆無に等しかった日本陸連とパラ陸連の“架け橋”ともなっているのだ。
「これまでのパラアスリートの指導は主に障がい者スポーツ指導員の資格を持った方と聞いています。その方たちの功績は非常に大きいと感じています。しかし競技力向上という点を考えると、外から違う血を入れることも必要かなと。私がパラ陸連に入った意味というのはそこにあると思っています。私のように以前日本陸連に携わっていて、今は退いているという人の中には素晴らしい指導者がたくさんいます。そういう人たちをもっと有効活用して強化につなげることもできると思うんです。私がロールモデルの一つとなって、これからはさまざまなかたちで日本陸連と日本パラ陸連との交わりができるといいなと願っています」
豊富な経験からさまざまなノウハウを培ってきた原田さん。選手の能力を引き出す役割とともに、障がいという垣根を超えた日本陸上界の活性化に寄与する活動にも注目だ。
写真/越智貴雄[カンパラプレス] 取材・文/斎藤寿子