4月24、25日、屋島レクザムフィールド(香川県高松市)で2021ジャパンパラ陸上競技大会が開催された。本来は地元の小学生などが応援に来場する予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて無観客に。出場選手や関係者、メディアなどは感染予防対策を徹底して大会が実施された。そんななか多くの選手にとって東京パラリンピックへの切符をかけた最後のアピールの場となった今大会、9個のアジア新、25個の日本新、56個の大会新と好記録が続出した。
リオからの課題を乗り越え、見事自己ベストを更新した辻沙絵
辻、2年ぶりの自己ベスト更新にガッツポーズ
大会初日の24日、女子400m(T47=上肢障害)で2年ぶりに日本記録である自己ベストを更新したのが辻沙絵だ。スタートから快調に飛ばしていった辻は、他のクラスのランナーを大きく引き離し、第3コーナーをまわりホームストレートへ。ここからが現在の彼女の強さを如実に表していた。向かい風にもかかわらず、失速することなくストライドの大きな走りでゴールを目指していく辻。腕の振りもブレることなく、しっかりと推進力を生み出していることがはた目からもわかった。
最後まで勢いを感じさせる走りでゴール。日本新記録となる58秒45というタイムを確認すると、辻は喜びをかみしめるようにして小さくガッツポーズをした。そこには2年間の苦しみに耐え、ようやくトンネルを抜けたことへの喜びと安堵の気持ちが含まれていたように感じられた。
東京パラリンピックの出場に大きな意味を持つ東京パラリンピック出場資格ランキング(2019年4月1日~2021年4月1日)で、辻は6位。同ランキングの3位から7位までが58秒台後半のため、辻は58秒台前半を狙っていた。その目標通りの58秒45は、同ランキング2位の選手に0.1秒差に迫る好タイム。いよいよ2大会連続でのメダル獲得も現実味を帯びてきた。
先天性前腕欠損ながらハンドボールの選手として活躍していた辻は、高校時代にはインターハイにも出場した実績を持つ。スポーツ推薦で進学した日本体育大学でもハンドボール部に所属していた。しかし度重なるケガもあり、本来の力は発揮できずにいた。そんななか恩師の薦めや大学からのバックアップを受け、大学3年からパラ陸上を始めた。4年時に初出場した2016年リオデジャネイロパラリンピックでは銅メダルを獲得し、辻は日本パラ陸上界を代表する一人となった。
冬季トレーニングで培われた終盤での力強さ
しかし19年春以降は、記録を更新できずにいた。4位以内に入れば東京パラリンピックが内定するとされた2019年世界選手権では、予選、決勝のいずれも1分を切ることができず、決勝では7位に終わった。当時、辻はこうレースを振り返っている。
「前半から勢いよくいくという走りはできましたが、後半は思うような走りができませんでした。(第3)コーナーをまわって直線に入った時に加速することができなかった。調子は良かったし、アップの時も動きにキレがありました。それだけに自分の実力不足を痛感しました。後半が一番の課題です」
それはリオの時からの課題だった。ホームストレートに入り、海外のトップ選手が最後にもう一度ギアを上げていくなか、辻の足の動きは重くなり、思うように前に進んでいくことができずにもがいている様子が見てとれた。その傾向は、リオ後も続いていた。
しかし、今シーズンはまったく違う。実は今回ジャパンパラでの自己ベスト更新の予兆はすでにあった。1カ月前、3月の日本パラ陸上選手権だ。公式試合としてはシーズン最初の同大会では記録は59秒62と、狙っていた58秒台には届かなかったが、それでも最後のホームストレートに入っても足がしっかりと動き、ゴール後もまだ余裕があるようにさえ感じられたのだ。辻自身も「以前は足が動かなくなっていたラスト50mでの成長が感じられた」と手応えを語っていた。
終盤の走りにも力強さが出てきた背景には、冬季トレーニングでの成果がある。たとえば100mごとのタイムを決めて1000mを数分のインターバルを入れて4本走るメニューを行い、100mのタイム、インターバルの時間は毎週短くなっていくという過酷なトレーニングを行ってきたのだ。
さらに用具も刷新した。これまでは右腕に義手を付けて走っていたが、後半になるとしびれを感じていたという。そこで3月の日本選手権後からは義手は付けず、右腕に重りを付けて走り始めた。それがしっくりときていると言い、最後までしっかりと腕が振れ、ストライドの大きな走りにもつながっている。
目標としてきた57秒台も射程圏内に入った辻。17年以降の4年間、WPA(世界パラ陸上連盟)公認のレースで57秒台をマークしたのは、世界でわずか3人しかいない。そこに食い込めれば、メダルが確実に見えてくる。4カ月後、東京パラリンピックではさらに進化した辻の姿が見られるに違いない。
写真/(株)つなひろワールド 取材・文/斎藤寿子