パラ陸上・石田駆選手(上)と車いすバスケットボール・赤石竜我選手(下)
パラリンピックを目指すアスリート同士の対談企画。第4回は、パラ陸上100m、400m(T46・上肢機能障がい)の日本記録保持者で、400mでの東京パラリンピック出場が内定したばかりの石田駆選手と、18、19年とチーム最年少で車いすバスケットボール男子日本代表として国際大会に出場し、今や主力の一人となった赤石竜我選手。ともに現役大学生でもある2人にキャンパスライフの様子、そしてそれぞれの競技について訊いた。
――お二人は、これが初対面なんですよね。
石田駆(以下、石田) はい、そうなんです。赤石選手は僕の一つ下ということになるのかな。でも、ぜんぜん敬語じゃなくてため口でいいので(笑)。
赤石竜我(以下、赤石) ありがとうございます! そう言っていただけると、すごくありがたいです!
――現役大学生のお二人ですが、キャンパスライフはいかがですか?
石田 昨年は一部を除いてほぼすべてがオンラインでの授業でした。今年に入ってようやく対面授業が始まったのはうれしいのですが、4年生なので単位を結構取り終わっている友だちも多くて、学校に行ってもなかなか会えないんです。なので3年生の時に大学に行けなかったのが、ちょっと悔しいというか、もったいなかったなと思ったりしますね。
赤石 僕も昨年はずっとオンラインでのリモート授業で、授業では一度もキャンパスに行けませんでした。ようやく今年に入って対面授業も再開して新しい友だちもできました。また少しずつ楽しいキャンパスライフを送れるようになってきたので、すごくうれしいです。
――石田選手は「駆」、赤石選手は「竜我」と、とても素敵なお名前なのですが、その由来を教えてください。
石田 父親が陸上選手だったので「足の速い子に育ってほしい」という願いがあったみたいですね。だからといって陸上をすることを強制されたことはなくて、陸上部に入って走ることが好きになったのは偶然なんです。
赤石 僕、辰年生まれなんです。それで親が「竜」という字を入れたかったようですね。それと「我」というのは「周りに流されず、自分を持って生きてほしい」という願いが込められているみたいです。
――コロナ禍で現在も厳しい状況が続いていますが、2020年からの1年間、どのような思いで過ごされてきたのでしょうか。
赤石 まだまだ大変な状況が続いているので、東京パラリンピックが本当に開催されるのかな、という不安がありましたし、今もまだあります。ただ僕たち選手の努力ではどうにもならないこと。どういう状況になっても今自分たちができることをやろうというマインドでずっといます。もちろん開催が1年延期と決まった時はショックを受けましたが、今となっては1年間の猶予をもらえたのは幸運なことだなと。実際、1年前と今との自分を比較した時に、成長していると感じた部分もありますし、男子日本代表チームとしても完成度が高くなっていると感じているので、この1年というのはポジティブに捉えているんです。
石田 パラ陸上では「24カ月ランキング6位以内であれば内定」ということになっていて、本来はその期限が2020年4月1日となっていました。僕は5位だったので、そのままいけば東京パラリンピックの出場が内定する予定でした。ところが、その約1週間前の3月24日に東京オリンピック・パラリンピックの1年延期が決まり、内定の期限も1年延びることになったんです。その瞬間はとてもショックでした。でも、トレーニングができる猶予期間を与えてもらったというふうに考えました。あれから1年が過ぎて今年の4月1日付での24カ月ランキングで5位をキープすることができました。5月10日に正式に内定の発表がありましたので、あとは本番に向けてしっかりと調整していきたいと思っています。
写真/越智貴雄[カンパラプレス] 取材・文/斎藤寿子