――さて、東京パラリンピックまで残り3カ月となりました。本来なら20年にあったわけですが、その1年前の19年にはそれぞれ大事な大会がありました。まず赤石選手は、東京パラリンピックの予選を兼ねて行われた「アジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)」(タイ・スパンブリー)がありましたが、男子日本代表は4位という結果でした。東京パラリンピックは日本は開催国枠がありますが、本来なら初めてパラリンピックの切符を逃すという結果でした。赤石選手はどう受け止めたのでしょうか。
赤石 大会に出場した一選手として、本当に恥ずかしい結果だったと思います。もちろん選手たちも一様に落ち込みましたし、チームとしては苦しい大会でした。ただ個人としては、大きな手応えを感じてもいました。僕は18年のアジアパラ競技大会でA代表デビューしたのですが、その時はチーム最年少ということもあって、自分に自信を持ってプレーできなかったんです。でもAOCでは初戦からスタメンに抜擢されてコーチ陣からも信頼されていたと思いますし、僕自身物おじせずに堂々とプレーできるようになっていました。それまではミスをすると試合中ずっと引きずることも少なくなかったのですが、AOCではまったくそういうことはありませんでした。個人としてはどんな場面でも自信を持ってプレーできたので、成長を感じることができた大会でした。
――一方、石田選手は東京パラリンピックが内定する4位以内を目指して、世界パラ陸上選手権(UAE・ドバイ)に出場しました。スタートから非常に勢いのある走りだったと思いますが、ゴール手前で残念ながら5位に後退と、あと一歩で内定を逃したわけですが、ご自身にとってはどんな大会となりましたか。
石田 日本代表として初めて出場した国際大会で、それまでとは緊張感がまったく違いました。それとコールルームでの呼ばれ方ひとつとっても、また食事一つとっても、慣れない環境にとまどいもありました。そういう経験値の低さもパフォーマンスに影響したのかなと思います。レース自体を振り返ってみると、まず一つは決勝ではスタートが一番外側の9レーンだったんです。そうすると、スタートの位置が一番先頭なので、走り始めてすぐはほかのランナーがまったく見えません。いわゆるペースメーカーになる選手がいないので、アウトレーンって一番走りにくいんです。でも、そもそもなぜ9レーンになったのかというと、予選で組3位だったから。もし予選でもっと上の着順だったら、決勝では4、5、6レーンあたりに入れていたはずです。そう考えると、予選の走り方にまず問題があったなと。それと予選では得意のはずの後半に失速をしていて、ゴール後も30分くらいベンチの上で倒れて起き上がることができなかったんです。考えてみると、水分は摂れていたと思いますが、緊張のあまり十分な食事が摂れていませんでした。それが予選で実力が発揮できなかった要因の一つだったと思いますし、その予選での結果が決勝にも影響したのかなと。レース本番で力を発揮するためには、それまでの準備するプロセスが大事なんだということに気付けたという意味では、良い教訓になったと思います、
――東京パラリンピックはもちろん、2022年には石田選手は神戸で世界パラ陸上選手権、赤石選手は千葉で男子U23世界選手権が控えています。今後の意気込み、目標を教えてください。
石田 パラ陸上を始めた大学2年の春に初めて出場した日本パラ陸上選手権で、100mと400mで日本記録を出しました。その時からずっとパラリンピックでメダルを取るということを目標にしてやってきて、コロナ禍のこの1年もその目標はまったくブレませんでした。3カ月後の東京パラリンピックでは世界新記録樹立と金メダルという目標を実現できるように、精一杯頑張りたいと思います。また東京後も、来年神戸で開催される世界選手権、そして24年パリパラリンピックでも世界のトップレベルで戦えるように努力を積み重ねていきたいと思います。それと健常の陸上でも、今年最後のチャンスとなる全日本インカレ出場、そして日本選手権出場を目指していきます。
赤石 僕も、まずは東京パラリンピックでの金メダル獲得が目標です。車いすバスケ男子日本代表はパラリンピックでは12年ロンドン、16年リオと9位でしたし、18年世界選手権でも9位でしたので、周囲からすれば笑ってしまうくらい高い目標ではありますが、僕たち自身は本気ですし、自信もあります。それに口に出せないようでは実現しないと思いますので、あえて公の場で金メダルと言うことは大事なことだと思っています。東京パラリンピック本番でも胸を張って「金メダルを獲る」と言えるような自分、チームでありたいと思っています。そして来年にはU23世界選手権があります。僕自身、前回のU23世界選手権の予選で初めて代表のユニフォームを着て、本戦での4位という結果をきっかけに注目され、A代表の強化指定選手にも入りました。なので、僕にとってU23はとても強い思い入れがあります。前回はあと少しのところでメダルを取りこぼして4位。3位決定戦の後、ロッカーで泣くくらい悔しい思いをしたのは今も忘れていません。あの時の悔しさは、同じU23の舞台でしか晴らせないものなので、東京パラリンピックに続いて、絶対に金メダルを獲りたいと思います。
【プロフィール】
いしだ かける●愛知学院大学
1999年4月6日生まれ、岐阜県出身。中学1年から陸上競技部に所属し、400mで活躍。中学3年時には全国中学生陸上競技大会、高校3年時にはインターハイに出場した。スポーツ推薦で進学した愛知学院大学でも陸上競技部に入部したが、1年春に左の上腕に骨肉腫を発症し、筋肉除去、人工関節を入れる手術を受ける。退院後は陸上部に復帰し、2年からは全国インカレとともにパラリンピック出場も目指す。日本代表デビューとなった19年の世界パラ陸上選手権では400mで5位入賞。今年4月1日までの24カ月ランキングで世界5位となり、東京パラリンピック出場に内定した。
あかいし りゅうが●日本体育大学/埼玉ライオンズ
2000年9月11日生まれ、埼玉県出身。5歳の時にホプキンス症候群を患い、車いす生活に。友人や兄の影響でもともとバスケットボールが好きで、中学1年の時に車いすバスケットボールを始める。その年、東京パラリンピック開催が決定したニュースを見て、運命を感じる。17年、高校2年の時に男子U23日本代表に選出され、U23アジアオセアニア選手権で準優勝、U23世界選手権でベスト4進出に大きく貢献した。翌18年にA代表の強化指定選手入りし、チーム最年少の19歳でアジアパラ競技大会に出場。19年アジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)では主力として活躍した。東京パラリンピックでの活躍が期待されている若手の一人。
写真/越智貴雄[カンパラプレス] 取材・文/斎藤寿子