アスリートが表舞台で見せるパフォーマンスの背景にあるのは、“日常”の積み重ねだ。本番での輝きは一瞬に過ぎない。その一瞬を追い求めて、アスリートたちは長い年月をかけ、ときには葛藤しながら“挑戦”と“成長”の日々を送っている。その一人、世界で唯一の2m台を跳ぶ義足ハイジャンパー鈴木徹の東京パラリンピックまでの軌跡をたどってきた連載の最終回。本番の舞台では、笑顔で跳躍に臨む鈴木の姿があった。
すべての跳躍で見せた笑顔と手拍子
2000年シドニーパラリンピックから6大会連続出場となった鈴木徹。過去5大会での最高成績は、12年ロンドン、16年リオでの4位。そんな鈴木にとって、パラリンピックでのメダル獲得は悲願とされてきた。
だからこそ、東京パラリンピックが延期となったこの約1年、メダルへ一歩でも近づくため、新たな跳躍にチャレンジをしてきた。本番の約2週間前、東京パラリンピックの開会式が行われた8月24日でのトライアルでは、自国の地で“自分史上最高のパフォーマンス”を披露する準備が整えられていることを示す手応え十分の跳躍を見せていた。
2021年9月3日、午前11時。鈴木にとっての東京パラリンピックの幕が上がった。数日前までの猛暑とは一転、肌寒く雨が降りしきる中、最後の7番目に登場した鈴木は、笑顔で両手を挙げ、そしてメダル獲得への意思を示したのだろう、右手の人差し指を天に突きさした。
まず、最初の1m83を1回目で難なくクリアした鈴木。跳躍前には会場に訪れていた子どもたちなど、スタンドに手拍子を求め、笑顔で東京パラリンピックを楽しむ姿があった。
しかし、義足を履く鈴木にとって地面に水たまりができ、足元が不安定な中での助走では、高さを生み出す跳躍は非常に難しかったに違いない。次の1m88の1回目は、体ごとバーに体当たりしていくような跳躍となり、失敗。2回目にはクリアしたものの、助走の最後は小刻みとなり少しあわせるような形になっていた。
やはり助走が気になっていたのだろうか。続いて行われた1m93の1回目、鈴木はスタンドに手拍子を求めた後、両手で地面を踏みしめる脚の動きを確かめるようなしぐさを繰り返した。実際、助走は修正され、大きなストライドでしっかりと地面を踏みしめられていた。踏み切りの膝の角度、そしてリードレッグの高さやひねりも十分だった。しかし、その後のクリアランスの部分で高さを生み出す前に、上半身がすぐにバーの方へと流れたことが原因だったのだろう。腰がバーを超えきる前に体が落ちてしまった。
次の2回目は、一瞬空中で止まるような感覚を覚える鈴木らしい跳躍だった。しかし、やや踏み切りがバーから遠く離れてしまったことが影響し、最後の奥行きがやや足りずにクリアすることはできなかった。この跳躍が鈴木にとっても、この日一番の手応えだったのだろう。マットの上で、手を叩きながら悔しい表情を見せた。
そして迎えた3回目。スタンドに手拍子を求めた鈴木は、「よっしゃ!」と気合いの言葉を吐き、スタートした。結果は失敗。それでもマットの上で深々と一礼をした鈴木の表情は、意外にも清々しく感じられた。
競技人生初、悔しさに勝った嬉しさ
テレビでのインタビューを終えて、記者たちが待ち構えるミックスゾーンに現れた鈴木は、少し疲れているかのようにも見えたが、いい意味で肩の力が抜けた、落ち着きが感じられた。
2mジャンパーの鈴木にとって、1m88(4位タイ)という記録は予想していたものとはあまりにもかけ離れた成績だった。原因は、やはり雨や寒さという悪条件もあったが、実は数日前にアクシデントがあったことが明かされた。
「年々、やはり年齢が影響していることもあるかなと。特に今年は春先から(義足側の)断端の部分のケガが多く、実は2日前にも大きく腫れてしまいました。そういうことが頻繁に起こっている中での試合だったので、こうして終わってみると、棄権をせずに終わり切れたということが一番良かったなというふうに思います」
昨年からの新たな挑戦については「本番で発揮することができずに非常に残念」としながらも、鈴木の表情が曇ることはなかった。その理由を、鈴木はこう語る。
「アップ会場や招集所で、日本人のスタッフやボランティアの方々が温かい声をかけてくださって、やっぱり自国開催は最高だなと思えました。今ある力はすべて出し切ったのですっきりしています」
2017年世界選手権で銅メダルを獲得している鈴木だが、「パラリンピックでメダルを取ってこそ本物」という思いで、東京パラリンピックへと歩んできた。そのメダルには届かなかったが、これほどまでに終始、笑顔で跳躍に挑む鈴木の姿は、これまでにはなかったことだ。跳ぶこと自体が楽しくて仕方ないというような彼の笑顔には、結果以上に見ている者を魅了するものがあったはずだ。
そしてもう一つ、鈴木の跳躍には大事な意味が込められている。
「今大会に義足でただ一人の僕が出場しなければ、義足での走高跳はないんだなと思われたと思います。そういう意味でも、僕がパラリンピックの舞台に上がるという強いこだわりがあります」
東京パラリンピックが幕を閉じた翌日、鈴木からこんなメッセージが届いた。
<結果を出せなくて悔しいというより、嬉しさが勝った大会は、競技人生初だと思います。目標までは届きませんでしたが、いろいろなことを乗り越えて立てた自国の舞台は最高の気分でした!>
もちろんメダルには届かなかったという悔しさはある。だが、それをも上回る喜びを感じることができたという鈴木。それは、さまざまな苦難を乗り越え、真剣に自分と向き合い、挑戦してきたからこそ得られたものだったはずだ。
東京パラリンピックは終わったが、鈴木の挑戦はこれで終わりではない。これからどんな姿をみせてくれるのか、鈴木徹というアスリートへの期待は膨らむばかりだ。
【プロフィール】
すずき とおる●SMBC日興証券所属
1980年5月4日生まれ、山梨県出身。中学からハンドボールを始め、高校時代には国体で3位入賞した実績を持つ。高校卒業直前に交通事故で右脚を切断。99年から走り高跳びを始め、翌2000年には日本人初の義足ジャンパーとしてシドニーパラリンピックに出場。以降、パラリンピックには5大会連続で出場し、12年ロンドン、16年リオと4位入賞。17年世界選手権では銅メダルを獲得した。06年に初めて2mの大台を突破し、16年には2m02と自己ベストを更新。東京パラリンピックでは3度目の4位となった。
写真/越智貴雄[カンパラプレス] 文/斎藤寿子