−市川さんはかねてからパラリンピックスポーツに興味をお持ちだったとうかがっています。どのようなきっかけで観るようになったのでしょうか?
市川 きっかけはウィルチェアーラグビーです。激しくぶつかり合う迫力に魅了されて、今ではプライベートで観に行ったりもしています。鉄道や車などの乗り物好きとしては、競技用の車いすがその選手に合わせたものになっていたり、調子が悪いときにメカニックの方にピットインするようなところにも惹かれていたり。パラリンピックスポーツはメカ好きとしての楽しみも多いなぁと感じています。
上原 道具と体が一体化する感じといいますか、選手が道具をどう使いこなしているのかを知ることもパラリンピックスポーツの魅力の1つでもあると思うので、市川さんのように“乗り物目線”で観ていただくことは我々としても非常にうれしいことだと思います。
市川 アイスホッケーも選手によって使う道具が違うんですよね?
上原 おっしゃる通りです。アイスホッケーはスレッジというものに乗って行うスポーツなのですが、その刃の幅などが選手個々の障がいの度合いやピジョンによって違いますし、スティックも体型によって使うものが変わってきます。
市川 アイスホッケーは、今回上原さんにお会いするということでパラリンピックの試合をじっくり観させていただきましたが、ウィルチェアーラグビーに勝るとも劣らない迫力に衝撃を受けました。車いす同士が当たるラグビーに対して、アイスホッケーは体が丸ごと当たるんですよね。怖さはないのですか?
上原 パラリンピック競技の中で一番体と体がぶつかりあうスポーツがアイスホッケー。だから始めた当初は怖かったですよ。よく脳しんとうを起こしていましたし。ただ、当たられ方を覚えていくにつれて、だんだん上手にかわす気持ちよさの方が勝ってくるんですよ。私は145cm・53kgくらいで、ノルウェーなどには190cm・120kgという選手もザラにいますが、今ではそのように体格差があっても怖さを感じることはありませんね。
−市川さんは報道番組のキャスターを務められた経験もお持ちですが、日本のパラリンピックスポーツや障がいのある方を取り巻く社会環境についてはどうお考えですか?
市川 報道面で言うと、以前は「障がいがあるのにがんばっている」という視点だったのが、近年は取材自体も社会部の記者ではなくスポーツ記者が取材を行うようになるなど、パラリンピックスポーツ関連のニュースが普通のスポーツニュースとして扱われるようになってきていると思います。大きな変化ですよね。
上原 それは私たちもすごく実感していますね。
市川 ただ課題も多いと思います。パラリンピックを盛り上げましょうと言いながらも、いざ始まってみるとオリンピックに比べて圧倒的に放送される機会が少ない。その辺りがもったいないぁと感じますし、モヤモヤしますよね。
−インフラ面ではいかがでしょうか。日常生活の中でもそのようなモヤモヤを感じることはありますか?
市川 そうですね。私たちでさえ、たまに荷物が多い時などに「ここはエレベーターがあるから」と思いつつ、そのエレベーターにたどり着くまでに階段があって不便だなぁと感じたりしますから。パラリンピックスポーツに対する注目度は上がっていますが、まだまだ障がいのある方への理解という点では社会全体にしっかり浸透していないように思います。
上原 そうなんですよ。いろいろなバリアフリーの情報もあるんですが、どれが一番アップデートされているのかがわかりづらい。情報にまとまりがないんですよね。
市川 そのあたりの情報をどう発信していくかも2020年に向けての課題ですよね。これはすごく自分勝手な意見なのですが、私は鉄道好きなので古くて趣のある駅も好きなんですね。そのような文化的に価値のあるものをどうアップデートして使いやすくするか。バリアフリーは必要だけれど風情も残したい。そのあたりの折り合いのつけ方もとても大事だなと感じています。
上原 古いものを大切にするヨーロッパなどはそこをうまく工夫していますね。逆に“こちら側”も、「不便であったとしても必要だから古いものが守られている」という意識がちゃんとあるんですよ。
−上原さんは試合や遠征で頻繁に海外に出られていましたし、市川さんはアメリカで生活なさっていたこともあります。海外経験が豊富なお2人からみて、環境面での日本と海外の一番の違いは何ですか?
上原 大きくは2つあります。1つは、日本は“ポーズ”が多いこと。とりあえずスロープをつけてはいるけれど急すぎて登れないとか。それが海外ではあまりないかなと。2つ目は“人”ですね。例えば私が階段の前で困っていたとして、日本だと「私1人だと手伝ってあげられないな、どうしよう」となるのが海外では一人が手伝い始めると周りが自然とチームのように「自分も、自分も」となる。
市川 その違いは大きいですね。それに海外は障がいのある方との距離も近いように思います。私は小・中学校時代をアメリカで過ごし、クラスメートに1人車いすの子がいたのですが、そもそも当然のように授業も一緒でしたから違和感を感じたこと自体が一度もないんですね。
上原 みんなで一緒にやろうとか、ダイバーシティという言葉を掲げながらも、いざ教育の場となると障がい者と健常者が分けられることが多いのが日本。企業は障がい者用の部署や特定の子会社を作ったり。それがお互いを知る機会を少なくしている。ずっと男子校だったのが大学で急に共学になって、女の子との関わり方がわからないのと同じですよ(笑)
市川 日本人特有の“気遣い”が良くない方に表れているということですかね。
上原 その気遣いをもっと上手に表現していかないと。他に国にはない、“おもてなし”の文化をもっといい方向に活かしていくべきですね。
市川 そうですね。みんな、手伝いたくないわけではなく、手伝うことが失礼にあたるんじゃないかと思っているだけ。電車で席1つ譲るだけでも勇気が必要な文化ですから。でも発想の転換1つで良い方向に向けられる可能性はあると思います。障がいのある方に対して「何か違う」ではなく、「ここが同じ」という意識に変えてみるだけで全然違うと思いますよね。
上原 そういう意味でも、2020年は文化そのものをチェンジさせる、日本の社会に新しいスイッチを入れる絶好の機会だと思うんですよ。
−そのための新しい技術開発やプラットフォーム作りが、まさに上原さんがNECの社員として取り組んでいることですよね。
市川 上原さんは具体的にどのような取り組みをされているのですか?
上原 そもそもは、社会貢献活動の社会企業塾に友達が参加していて、NECが、盲導犬キャラバンなど、共生社会への取組みを本気でやっている会社だと分かったのが入社を決意したきっかけなんです。今うちの社で、すごく作りたいなと思っているのが「パラリンピックアスリートの友達を作ろう」、通称「パラ友」アプリ。友達が出ているだけでその競技により注目するようになりますし、何より障がいのある人と知り合い、街を一緒に歩くだけで気づくことも増える。そんな新しいスポーツ文化を構築していきたいなと。
市川 それって、すごく素敵ですね! そのようなユニークなアイデアはどこから湧いてくるんですか!?
上原 私のように障がいを持つ人間は常に課題をたくさん抱えているのですが、その課題を福祉で解決したくないという思いからですかね。ポップに、スポーティーに、ユーモアを持って解決したいですし、そこから新しいビジネスが生まれる可能性は無限にあると考えています。
市川 私はどちらかというと、乗りたい鉄道の路線にただ乗って帰ってきたり、好きなことに1人で没頭してしまうタイプなので……上原さんの視野の広さは純粋にすごいなと思います。私自身、廃線の危機に直面してる路線を応援したい、というような気持ちはもちろんあるのですが、自分で掘り下げて終わりということが多く、世の中に積極的に発信したり広めようとはしていませんでしたから。
上原 わざわざ乗りにいかれているのだから市川さんも十分アクティブですよ! 電車つながりでお話すると、交通系ICカードを使って駅のゲートを通る際、車いすだと普通の人よりも時間がかかるので混んでるときなどは後ろからのプレッシャーがすごいんですよ。190cmのノルウェーの選手よりも迫力があるんじゃないかってくらい(笑)。例えば得意分野である「顔認証システム」をゲートとマッチングさせ、将来的には“顔パス”で通れるようにするとか、NECの最新ICTを活用して貢献していきたいと思っているんです。
市川 その技術は駅だけじゃなくいろんな場所に導入できそうですね!
上原 はい。実際に障がい者用トイレに導入しているところもあります。NECは顔認証の分野では世界一の技術を持っているので、2020年ではその技術をもっともっと有意義に、かつユーモアのあるプロジェクトとともに生かしていきたいなと思います。
市川 すばらしいですね。ぜひ実現させてください。
上原 NECでは他にも、顔認証を使って、イベントなどで借り物競走ならぬ「顔借競争」を行なってみたり、またボッチャというパラリンピックスポーツの普及活動の一環として「ボッチャ甲子園」の大会サポートをし、出場する学校を増やすためにボッチャのボールを学校にお届けして先生たちにルールを教える活動なども行なっています。
市川 そうなのですね。昔からよくある車いす体験などは、「障がいのある人たちはこんなに苦労してるんだよ」で終わることが多かったように思います。本来伝えるべきはそこじゃないというか、苦労=かわいそうにつながらない取り組みを心がけていくべきと考えると、上原さんのおっしゃるポップさってすごく大切なことだなぁって実感します。
上原 さきほどお話しした顔認証のシステムがもっともっと普及していけば、
乗り物やトイレなどの心配が減り、それまで引っ込み思案だった人も「私も街に出てみようかな」ってなると思うんです。街に出れば社会との関わりを感じられ、ひいてはスポーツをしたくなるところまでつながっていくこともあると思うんです。そのように、誰もが一つ一つの課題をクリアしていける社会を作ることが僕のこれからのテーマなんです。
−それこそが上原さんの目指す「誰もが自己ベストを出せる社会」ですね。
上原 言わば、健常者も障がい者も分け隔てなくみんなが外に出ていきたくなる社会。そのためにも、ポーズではなく“当事者”の声がしっかりと反映されたリアリティのある社会を作っていかなくてはいけない。
市川 “自己ベスト”と聞くとプレッシャーに感じてしまう人もいるでしょうし、そこは無理なく、ベストを出せるオプションが常に用意されているというのが大事ですよね。
上原 “自己”のベストですからね。他人が決めるベストではなく。私は、障がいを持つ子供たちが大人になった時に、「やっぱりアメリカの方が良さそうだからあっちに行こうかな」ではなく、「日本で育ってよかった」と思える社会を作っていきたいんです。自分が今嫌だなと思ってることは子供たちもそう思っている。それを1つ1つ無くしていくことが子供たちの将来につながることだなと考えています。
市川 だから2020年が、ゴールではなく次の世代に向けたスタートでなくてはいけないということですね。
上原 まさにそうですね! 市川さん、今日はありがとうございました。
市川 こちらこそ貴重な経験をさせていただきました。アイスホッケーのスレッジ、乗り物好きとしてすごく気になるので今度ぜひ乗せてくださいね(笑)
上原 ぜひぜひ!
PROFILE
うえはら・だいすけ●1981年生まれ、長野県出身。生まれながら二分脊椎という障がいを持ち、19歳でパラリンピックアイスホッケーを本格的にスタート。その後日本代表に選出されトリノ2006冬季パラリンピックに出場。続くバンクーバー2010冬季パラリンピックでは銀メダルに輝く。2013年の現役引退後、2016年にNECに入社。2017年に現役復帰し、平昌2018冬季パラリンピックでは全試合に出場した。
PROFILE
いちかわ・さや●1987年、愛知県名古屋市生まれ。アメリカ人の父親と日本人の母親のもと、4歳から13歳までアメリカ・デトロイトで育ち、帰国後、16歳の頃からモデルを始める。近年は雑誌バイラ、マキアなどで活躍するほか、2016年4月から2017年9月にかけて報道番組「ユアタイム」(フジテレビ)でMCを務めた。鉄道や相撲、アニメ好きとしても有名で、週刊プレイボーイの連載「ライクの森」では自身のマニアライフを綴る。J-WAVE「TRUME TIME AND TIDE」(毎週土曜21時〜)、MBSラジオ「市川紗椰のKYOTO NOTE」(毎週日曜17時10分〜)に出演中。
【市川さん衣装】 ワンピース(Tavii)・バングル(dix)/UTS PR(03-6427-1030) ピアス/somnium(03-3614-1102)
Photos:Teppei Hoshida Hair&Make-up:Yuki Hakkaku[nude.](for Ichikawa) Stylist:izumi Fukunaga(for Ichikawa) Composition&Text:Kai Tokuhara
※NECはJPCゴールドパートナー(パブリックセーフティ先進製品&ネットワーク)