2020年の東京大会を目指すパラアスリート連載が再始動。今回はMOREと縁の深い、憧れのママアスリートが登場!
内田 子育てをしながらお仕事もしている谷さん。どうやって練習時間を確保しているんですか?
谷 朝は5時くらいに起きて9時くらいまでトレーニングしています。その間に夫が息子にご飯を食べさせて、保育園まで送ってくれるんです。私は朝練後に家事や夕食の準備を済ませてから次の練習、もしくは会社へ。夕方に保育園へ迎えにいき、ご飯を食べたりお風呂に入ったりして、一緒に20時半には寝ちゃいます。だから、朝は早いですけど、睡眠時間は結構あるんですよ。
内田 ご主人のサポートも大きいんですね。
谷 遠征も多いので、そういうときは本当に申し訳ないなって思います。でもすごく安心して任せられますね。普段も『料理はするけど片づけはお願い!』って感じで、お互いストレスを溜めないように役割を分けているので、ケンカもないんです。
内田 優しいー! そんな素敵な人、どこで出会えるんだー(笑)。
谷 彼とはもともと五輪招致の仕事を通じて出会ったので、競技を続けることにはすごく理解があるし、サポートもしてくれています。
内田 競技するうえでのお名前も、独身時代の“佐藤”から“谷”に変更されていますよね。
谷 心機一転という意味もあったし、子供にとっては“谷”のほうが、ママが頑張ってることがわかりやすいかなと思ったので。「谷真海」として新しいスタートを切りました。
内田 独身時代とは違い、家族の存在があるから頑張れると実感することは何ですか?
谷 何でも話し合える夫がいますし、帰って子供の顔を見たら上手くいかなかった練習のことも忘れられるので、オンオフの切り替えはしやすくなりましたね。何事も“Take it easy”って感じで、良くも悪くも悩まなくなったかも。優先順位も変わりましたね。子供が熱を出したりしたら、当然、計画していた練習をやめて一緒にいますし。ちょっと子供の体調が落ち着いてきたら、様子を見ながら家の中で30分くらいバイクをこいだりして、柔軟にやっています。
内田 私はどうしても不規則な仕事なので、自分の時間を管理しながら家族との時間も大切にする谷さんは、大人の女性として憧れます。
谷 私も20代の頃は全然そんな余裕なかったし、自分の生活に誰かが入ってくるなんて考えられなかったですよ。結婚願望もまったくなくて(笑)。
内田 え! そうだったんですか。まさに私が今その状態です(笑)。
谷 快適ですよね。私もひとりの時間をエンジョイしてました。
内田 考えが変わったのは、運命の人と出会ったから? それとも自分が変わったから運命の人と出会えたんですか?
谷 両方のタイミングが重なったのかもしれないですね。競技も仕事も東京五輪招致のプレゼンも終わって、なんとなく無我夢中で走ってきた時期がひと段落して、そろそろ結婚も出産もしたいなという時期に夫と出会ったので。
内田 谷さんのお話を伺っていると、常に立ち止まらずに前に前に進もうとしているからこそ、タイミングや運が舞い降りてくるんだろうなって思います。
谷 モアから出した本のタイトルも『ラッキーガール』っていうんですけど、走幅跳に出合えたり、パラリンピックに出場できたりした私は、本当に運に恵まれているなと思っていて。出版当時はもう運を使い果たしたんじゃないかと思ったんです。でもそこから10年以上たった今も、さらに運に恵まれていると実感しているので、運って使い切ることはないんだなと思ってます。
内田 谷さんみたいに、私も目標を持って進んでいかなきゃ!
谷 ぜひぜひ! 自分の心に蓋をしたり失敗を恐れたりせず、やりたいと思うことにチャレンジしてみてください。そうすれば自然と扉が開けたり、支えてくれる人とのいい出会いがあったり、新しい世界が見えてくると思いますから。
【プロフィール】
谷 真海(旧姓 佐藤)さん
たに・まみ●1982年3月12日生まれ。2001年に骨肉腫を発症し、右足ひざ以下を切断。走幅跳競技で2004年から3大会連続でパラリンピック出場。2013年には東京五輪招致委員会のプレゼンターとしてスピーチを行い招致に貢献した。『サントリーホールディングス』勤務
(※この対談は2018年7月6日に行われたものです。)
◆パラトライアスロン谷 真海さん×モアモデル内田理央さん 対談でアスリートの素顔を「知る」(前編)はこちら>>>
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取材・文/松山 梢 撮影/三山エリ ヘア&メイク/市岡 愛(PEACE MONKEY/内田さん) 秋山 瞳(PEACE MONKEY/谷さん) スタイリスト/福永いずみ