「変化を恐れず、限界の蓋を外す」。そんな信条を胸に、走幅跳からパラトライアスロンに転向して自身4度目となる夢の舞台をめざしている谷 真海。自ら招致スピーチを行った「東京2020パラリンピック」をアスリート人生の集大成に。パラリンピアンの顔である彼女の、飽くなきチャレンジを追っていく。
前回の記事でお伝えした8月17日のパラトライアスロンワールドカップ東京大会から11日後。谷 真海は国際オリンピック委員会本部のあるスイス・ローザンヌに渡った。世界最高峰の舞台である「ITU世界パラトライアスロン選手権」シリーズのグランドファイナルに出場するためだ。
なにしろ猛暑の東京での激走からわずか2週間弱という強行スケジュール。コンディション面のリカバリーが100%でなかったことは想像に難くないが、それでも東京2020パラリンピック出場に向け、獲得できるポイント設定が高い本大会だけに出場に迷いはなかったという。レース3日前から現地でトレーニングを始めた彼女に密着した。
東京からヘルシンキ経由のフライトでチューリヒへ入り、そこからバスでローザンヌに到着したのは前日深夜。長時間移動に東京のレース後の疲労も重なり、当然ナーバスになっている部分があるかと思いきや、初日からバイクのテストランやスイムのコースチェック、2日目は街中でのランニングと、いつになくリラックスした表情で軽快にトレーニングに取り組む姿が印象的だった。
からっとした空気、ときおり肌に優しく吹きかかる心地よい風、そして暖かい日差しに美しく映える街並み。そんな夏終わりのローザンヌ特有のムードが、ストイックなチャレンジを続ける彼女の心境をほどよく和らげていたのかもしれない。
「ローザンヌは好きな場所です。昨年もここで行われた大会に出場しましたし、以前に東京2020の招致活動で訪れたこともある思い入れのある街。その際に夫と初めて出会いましたしね(笑)。それにIOCの本部やオリンピックミュージアムがあるので、歩いているだけでオリンピック・パラリンピックの雰囲気を感じることができるパワーのある街でもあります。不思議な縁というか、ああ、今年も帰ってくることができたなぁという感じです」
しかしながらパラリンピックをめざす競技者であると同時に母でもある彼女。家族と離れ、自身の夢のために海外のレースに出場することに少なからず葛藤もあるという。
「こうしてヨーロッパまで来て1人で競技と向き合える時間をもらえていることはすごく贅沢に感じます。でも、やっぱり何かが足りないなぁと。家族がいて、会社で仕事をして、トレーニングをする、という日々が自分にとっては当たり前の日常なので少し寂しさも感じます。いつも時間が欲しい、欲しいと思っているのに、いざ1人になるとそう思うものなんですよね(笑)。夫と息子への感謝の気持ちを実感します」
そんな家族への思いもまた、パラアスリート谷 真海のあくなきチャレンジの原動力になっていることは言うまでもない。
8月17日のワールドカップ東京大会では従来のPTS4クラスで2位表彰台に上がった。しかしながら前回の記事でもお伝えしたように、彼女がパラリンピック本大会に出場するためには上位クラスであるPTS5も含めたランキングで順位を上げる必要がある。そのための最大の課題と彼女自身が認めるのがバイクであり、東京に続きここローザンヌでもそこをポイントと捉えている。
「今年は納得できるようなレースがなかなかできていない中で、自分には力がないんじゃないか、というような思いが頭の中をぐるぐる巡ることもあります。だからこの大会では、バイクが思ったよりも良かった、というような収穫が何かしら欲しいですし、苦手の坂道も多いので賢く自分をマネジメントしながらレースに挑みたいですね。ベースの力は去年よりも着実についてきてはいるので、日本でやってきたことと自分の伸び代を信じたいと思います。とはいえ気負いすぎず。シーズンを通して最も大きな大会なのでもちろん表彰台をめざしたいですし、高いポイントを取りたい。でもここが終わりではないので。まずは“次に向けたステップ”というものをしっかり踏むことを意識したいです」
果たしてレースではどのようなパフォーマンスを見せてくれたのか。その詳細は、次回お届けしたいと思う。
PROFILE
たに まみ●1982年3月12日生まれ、宮城県気仙沼市出身。旧姓・佐藤真海。早稲田大学在学中に骨肉腫によって右脚膝下を切断。卒業後サントリーに入社し、走幅跳でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場。2013年にはIOC総会の最終プレゼンテーションで招致スピーチを行う。2016年からパラトライアスロンに転向し、2017年の世界選手権で優勝を飾る。
写真/矢吹健巳[W] 構成・文/徳原 海