壮絶な打ち合いの末、チャンピオンシップポイントを手にする。彼のテニスは勢いを増し、追い込まれた相手は返球するのがやっとだった。メルボルンの夏の青空に向かって高く上がったボール。彼はその下で体勢を整えると、渾身の力でスマッシュを叩きこんだ――。
今年最初のグランドスラムである全豪オープンテニス車いすの部の男子シングルス決勝で、第1シードの国枝慎吾(ユニクロ)が28歳のゴードン・リード(イギリス)を6-4、6-4で破り、2年ぶり10度目の全豪タイトルを手にした。
優勝を決めた瞬間、国枝は雄叫びとともに両手を天に突き上げ、喜びをかみしめた。四大大会を制したのは、2018年の全仏以来。この数年で若手選手が台頭し、誰が勝ってもおかしくない戦国時代に突入している男子。この2月に36歳を迎えるベテランは、「今回を逃したらもうタイトルを獲れないかもしれない、本当にラストチャンスになるかもしれないという思いで、この舞台に臨んでいた」と明かす。
試合後のオンコートインタビューで、カギとなったプレーについて尋ねられると、国枝は少し困惑した表情を浮かべて「まったく覚えていないですね」と苦笑いする。それだけ無我夢中で、ボールを追いかけていた。
第1セットは好調のリードが試合の主導権を握った。力強いショットで国枝を翻弄し、4-1と突き放しにかかる。だが、国枝も序盤からウィナーを取るなど、決して調子が悪いわけではなかった。「リードはここまで100点の出来だけど、勢いは続かないだろうという思いもあった」。国枝は自分の力を信じ、あえて真っ向から打ち合いを挑んだ。
先行されながら、バックハンドのトップスピンなどを決めて追い上げ、デュースに持ち込んで第6ゲームをキープしたのが大きかった。その勢いが流れを引き寄せ、続く第7ゲームもポイントを先に取られながらも、左利きの相手に有効なバックハンドのダウンザラインを決めてブレークに成功。そこから戦況をひっくり返し、一気に5ゲームを連取した。
第2セットも1-3と先行されたが、強気を崩さず再び逆転に成功。第8ゲームは国枝にしては珍しいダブルフォルトを犯しながら、相手の4度のゲームポイントをしのぎ、キープした。リードもこの日最速の141キロのサーブを決めてさすがの粘りを見せるが、追いつくことはできなかった。
グランドスラムの決勝にふさわしい、ハイレベルかつ紙一重の戦いだった。そのなかで決してあきらめることなく、勝機を見出し、ひたすらに自分のテニスを追求した国枝のすごさを、あらためて感じる試合だった。
ロッカールームに引き上げた時、国枝はトロフィーに刻まれた「2007 Shingo Kunieda JPN」の文字を眺めていたという。
「ずいぶん長いことやっているなと思って…」。
2007年は彼が初めて全豪を制した年だ。その前年に初めて世界ランキング1位になっていた。
「この時は、その座を守るのに必死だった。これがあと何年続くのかと想像すると、10年は決して続かないだろうと思っていました。それが今年で14年目になるわけですから、我ながらよくやってるなと思います」
2007年11月から3年にわたり、公式戦のシングルスで108連勝という前人未到の記録を打ち立てた。「世界のクニエダ」と称され、車いすテニスの枠を超え、スポーツ界で時の人となった。その後、右肘のケガなどで苦しむ時期があったが、「それを乗り越えた今が、キャリアのなかでいちばん強い」と言い切る。
「いちばん勝っていた当時の自分と戦ったら、苦戦はするでしょうが、今の自分が勝つと思います。地位に満足せずに自分の技術を磨き続けてきた結果だと捉えています。今月36歳になりますけど、年々自分のテニスはよくなっているし、37歳になっても、40歳になっても、今がベストだと言えるように努力を怠らずにやっていきたい」
その言葉のとおり、彼は挑戦を続けている。とくに、約3年前から改造に取り組んでいるバックハンドは、今大会でも幾度となく窮地を救った。昨年のウインブルドン前に変えたグリップは、冬のあいだにさらに改良を重ね、コツを掴んだことで、インパクトの力強さが増した。
より攻撃的なフラット系のショットで相手に時間を与えないテニスを構築した国枝。今季初戦のスーパーシリーズのツイーズヘッズで試したところ、確実な手ごたえがあったといい、彼のテニスはもう一段階、高いところへと進化した。
ライバルたちも、スケールアップしている。全豪の決勝で戦ったリードは、金メダルを獲得した2016年のリオパラリンピック後は調子を落とした時期があったものの、力強いストロークは健在で、この大会で復活を印象づけた。リードが1回戦で破った26歳のグスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)は昨年、全米以外の3大会を制し、国枝に抜かれるまでは世界ランキング1位をキープしていた。
また、昨年末の世界マスターズから新たなコーチを迎え、全豪の前哨戦ともいえるメルボルンオープンで優勝したヨアキム・ジェラード(ベルギー)については、「いい取り組みができているようだ」と国枝も岩見亮コーチも警戒する。
国枝は「ライバルとの差はわずか。みんな急激に伸びたりするので、いつ逆転されるかわからない」と話し、気を引き締める。
プロ車いすテニスプレーヤーとして国枝が目指すのは、グランドスラムでの勝利だ。だが、今年のパラリンピックは自国開催の東京大会。彼にとっても特別で、「2020年はやっぱり東京のタイトルが欲しい」と話す。国枝は2018年のアジアパラ競技大会シングルスで優勝しており、すでに東京パラリンピックの出場権を獲得している。2014年のアテネ大会に初出場し、前回のリオ大会までの4大会で、シングルス2連覇を含む3個の金メダル、2個の銅メダルを獲得している。東京でも、金メダル候補の筆頭として注目される。
「ホームのパラリンピックは、僕にとっても初めての経験。自国ということでプレッシャーを感じるかもしれないし、もしかしたら普段のパラ以上に楽しくなるのかもしれない。どんな緊張感、どんな気持ちになるのかは怖くもあり、楽しみでもありますね」
今大会の前、「全豪で優勝すると、やっぱりその1年ハッピーに過ごせる。だから今年の全豪は勝ちたいな」と話していた国枝。有言実行の最高のスタートを切り、この流れをパラリンピックへとつないでいきたいところだ。
また、これまでパラの年は日程の都合で開催されていなかった全米オープンの車いすテニスの部が、今年は実施される見込みだ。信念と情熱の男が、タフなこの一年をどう過ごしていくのか、見守っていきたい。
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荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu