■世界新やアジア新の快走
昨年12月20日に、山口県防府市で開かれた第51回防府読売マラソンでは同時に、「第21回日本視覚障がい者マラソン選手権大会」も行われた。日本ブラインドマラソン協会(JBMA)の強化指定選手10名(男子4、女子6)が出場し、うち6選手が自己記録更新を果たした。コロナ禍で多くの大会が中止や延期されるなか、例年より8割以上選手数を減らすなど感染対策を徹底しながら開かれた大会運営への感謝と、走れることの喜びを表現するかのように、ブラインドランナーたちは渾身の力走を見せた。
まず、女子の部を制したのは、東京パラリンピック代表にも内定している道下美里(三井住友海上)で、マークした2時間54分13秒は昨年2月に別府大分毎日マラソン(大分県)で自身が出した記録を9秒短縮する、T12(強度弱視)女子の世界新記録だった。異なる2大会で世界記録を連発し「絶対的な強さ」を示した。
1人だけ、次元が違った。スタートからハイペースで突き進み、ハーフで1時間27分10秒と従来の記録を30秒以上も上回るハイペースを刻んだ。終盤は向かい風の影響もありペースダウンしたが粘り切り、「記録更新」の目標を見事に達成した。
コロナ禍で練習環境が整いにくい期間もあったというが、一人でできる練習をさまざま工夫したり、伴走者ら仲間たちの協力も得るなど、秋以降は「思い通りのいい練習ができ、地力がついている」と自信をもってスタートラインに立ったという。
「世界新は嬉しいが、2時間52分台を目指していたので、悔しい気持ちもある」と振り返ったが、「ペースが落ちながらも何とかもがき、最後まで諦めずに走れたのは、伴走者をはじめ記録更新を共に願い信じて応援していただいた皆様の後押しがあったから。いいペースで39キロまで刻めたこと、世界記録更新宣言をし、更新できたことは東京(パラ)に向けて大きな自信となった」と手ごたえも口に。リオ大会で届かなかった金メダルを獲りに行く東京パラに向けて、「もっと強くなりたい」と、飽くなき向上心を示した。
男子の部でも新記録が誕生した。優勝した堀越信司(NTT西日本)が、モロッコ人選手がもつT12男子の世界記録(2時間21分23秒)ペースで快走。残念ながら35㎞以降にラップを落としたが、2時間22分28秒でフィニッシュ。自己記録を約3分半も縮め、アジア記録を塗り替えた。
堀越も昨年4月、ロンドンマラソンで銅メダルを獲得し東京パラ代表に内定したが、その後、ひざの故障が長引き、苦しい期間を過ごした。だが、50㎞走など長距離の走り込みなどでじっくり脚力強化を図り、この日を迎えた。
「貴重なレースで、大幅に自己ベストを更新することができたのはよかった。ただ、終盤で失速し(世界記録の2時間)21分台には届かなかった点は大いに反省すべきだと思う」と課題も挙げた。リオ大会は4位で、東京パラでは悲願のメダル獲得に挑む堀越。「パラリンピックで戦うにあたり、この課題をクリアしていかなければメダルはない。もっと力をつけ、自信を持って本番のスタートラインに立てるよう、これからしっかり頑張りたい」とさらなる進化を見据えた。
JBMAの安田亨平常務理事(強化委員長)は、二人とも世界記録更新を果敢に狙ったチャレンジに、「よく走ってくれた」と話し、この時期の「記録更新」は海外のライバルたちに与える「インパクトが違う」と東京パラでの活躍に期待を寄せた。
■東京パラを目指す、熾烈な戦いも
「タイム」と戦っていた道下、堀越の後方では、ライバル同士の激しい戦いも繰り広げられていた。今大会は東京パラ視覚障がい者マラソン代表の「推薦選手追加選考大会」も兼ねて行われていたからだ。昨年2月までに推薦選手選考会は終了し、男子2名、女子3名の推薦選手が決定していたが、東京パラの1年延期を受け、JBMAは不測の事態などに備えるため、新たに補欠選手などを決める追加選考会として今大会を指定したのだ。
まず女子は、道下を除く5選手の混戦となったが、終盤に抜け出した藤井由美子(びわこタイマーズ)が自己記録を4分以上も更新する3時間9分48秒で準優勝し、東京パラ代表の推薦4位(補欠)も勝ち取った。
「いつも言われていた『強い気持ちを持って走ること』が、30㎞以降に実践できた。『負けたくない、抜かれたくない』と言い聞かせながら走れたことが、自分でも信じられない好タイムにつながった」と快心のレースを振り返った藤井。実際、後半のタイムが前半より約1分半速いネガティブラップだった。「それもこれも、二人の伴走者さんがうまく導いてくださったお陰」と弱視(T12)の藤井を支えた上島学ガイド(前半)と武田浩志ガイド(後半)に感謝した。
また、惜しくも敗れた後続の選手たちも軒並み好タイムをマークする健闘ぶりだった。3位に入ったのはリオ大会5位の近藤寛子(滋賀銀行)で、昨年3月の卵巣摘出手術を乗り越え、「やるべきことはやったので、あとは自分を信じて力を出し切るだけ」とスタートし、3時間10分32秒の自己新でフィニッシュ。「悔しいが、清々しい気持ちもある」と振り返り、4位の松本光代(JBMA)は2度目のマラソンで自己記録を7分以上も伸ばした。松本は道下とは異なるT13(軽度弱視)クラスに属し、3時間13分10分の記録は同クラスの世界新記録となった。東京パラではT13のマラソンは実施種目でないため、トラック種目の1500m走にも取り組む。「苦しい中での踏ん張りをトラックレースにも活かしていきたい」とさらなる成長を誓った。
5位の西村千香(岸和田健康クラブ)も自己記録を6分以上短縮した。6位の西島美保子(福井市陸協)は推薦2位を決めているが、終盤に失速。悔しさを次に生かす。
男子は、岡村正広(RUN WEB)が3位の山下慎治(コロプラ)を振り切って2位を死守し、推薦3位をつかんだ。岡村は銅メダルを獲得したリオ大会以降、ひざの故障や慢性疲労などで苦しい時期を過ごした。「正直なところタイム(2時間37分34秒)は満足できるものではないが、マラソンを走りきったことを嬉しく思う」と復調の兆しをようやくつかみ、安堵の表情を見せた。
推薦4位(補欠)となった山下は、「残念ながら思うような結果を出せなかったが、自己ベスト更新を目指して挑んだことに悔いはない。今回の結果を次に活かせるかどうかが大事」と前を向いた。すでに推薦2位を得ている熊谷豊(三井住友海上)は足の不調から25㎞で途中棄権した。「大会半月前から足に違和感があったものの、スタートラインに立ち、挑戦した。悔しさは残るものの結果には満足している」と、今後の巻き返しを誓った。
■「練習はうそをつかない」
世界新をはじめ、好レースが展開された今大会を、安田氏は、「よく頑張ってくれた。ガイドも含め、選手たちが愚直に練習を積み重ねてきた結果が出た。練習はうそをつかない」と評価した。
コロナ禍でブラインドランナーたちは、伴走者など支える人たちとの距離や、手で周囲に触れて確認する日常生活にも苦労が多かったという。それでも、各自が創意工夫し、自宅や地元で「できる限りの練習」を重ねた。JBMAでも感染防止ガイドラインに従い、昨年6月後半から強化合宿を再開し、全体での強化も図ってきたと言う。
強化合宿といってもマラソン2時間20分台の男子トップから3時間前半の女子まで走力や走歴も幅広く、いわゆる「集団走」などは難しいが、今大会での好走に「秘めた可能性」を感じ、それぞれの走力や目標に応じた「身の丈に合う練習をきっちりやっていくことが大事だと改めて思った」と安田氏。世界記録やアジア記録保持者など世界クラス選手たちや息長く活躍するベテラン勢などの存在が刺激となるメンタル的な効果なども強さの要因に挙げた。
コロナ禍というピンチをバネに、進化を示したブラインドランナーたち。ともに高め合う仲間や伴走者たちとの絆も深めながら、それぞれの結果を求め、これからも走り続ける。
星野恭子●写真・取材・文 photo&text by Hoshino Kyoko