「フラットで攻めていこうと思ったんですが、どうしてもスピンをかけてしまいがちで……。技術的なことなのか、気持ちでチキっていたからなのか……」
もどかしげに首を捻りながら、自分に問いかけるように彼は言った。
逆転負けを喫した敗退から、さほど時間をかけずに向かった記者会見。まだ気持ちの整理もつかぬなかで、国枝慎吾はウインブルドン初戦敗退の現実と原因を、まだ処理しきれぬ様子だった。
ウインブルドンの芝のコートは、軽快なチェアさばきを武器とする国枝にとって、決して相性のいいフィールドではない。ただ同時に、今の国枝にとっては、ひとつの試金石となりえる大会でもあった。
球足が速い芝のコートでは、回転を抑え、低い軌道でコートに刺さる”フラット”な打球が効果的だ。だからこそ国枝も、フラットショットでの速攻テニスを標榜していた。
もちろん、直線的な打球はネットにかかるリスクが高い。カウンターで返されれば、反応する間もなくポイントを失う怖さもある。
そのリスクと対価の天秤の針は、国枝のなかで揺れた。
「頭でわかっていても、身体で体現できないもどかしさはあります」とも明かす。
そのうえで彼は、「ランキングが邪魔している感じがありますね」と、ひと息に吐き出した。
国枝の現在の世界ランキングは「1位」である。
ただ、彼のなかでは、最強の証左であるはずの数字と自分のパフォーマンスとの間に、埋めがたい乖離がある。
「1位にいるけれど、自分のテニスは、今年よくない。結果もそうですが、内容もよくないので、1位にいるのはポイントが凍結されているだけ」
車いすテニスのランキングポイントは、基本的に獲得から52週で消滅する。そのため世界ランキングは、過去1年間の戦績に依拠するのが通常だ。
ただ、現在に限ってはコロナ禍による半年のツアー中断期があったため、2019年3月以降のランキングポイントは凍結され、いまだ有効になっている。
国枝の場合、現在のランキングを支えるポイントの大半が、昨年3月のツアー中断期より以前に獲得したものである。その現実が「1位」という地位を、どこか居心地の悪いものにさせているようだ。
34歳のノバク・ジョコビッチ(セルビア)が君臨する男子テニス界では、コロナ禍による中断期に若手がフィジカルと技を磨き、ツアー再開後は勢力図が変化しつつある現状がある。
それと同じ現象は、車いすテニス界でも起きていると言えるだろう。現在、世界2位で23歳のアルフィ・ヒューイット(イギリス)は自信を持つバックハンドを一層強化し、先月の全仏オープン決勝では国枝を力でねじ伏せた。
今回のウインブルドンで国枝が敗れた29歳のゴードン・リード(イギリス)も、ここ数年の低迷から脱却。かつて座した世界1位に戻るべく、モチベーションを高めている。
昨年9月のツアー再開後、車いすテニスもヨーロッパが主戦場になっているため、日本に住む国枝に地理的なハンデがあるのは否めない。今回のウインブルドンにしても、欧州の選手たちは芝の前哨戦に出ているのに対し、国枝は直前の現地入りでの”ぶっつけ本番”だ。
その差異については、「ヨーロッパの選手と比べると、試合数的に足りてないのは頭でわかっている」と国枝は認める。だが同時に、「あまり、試合勘という言葉だけで片付けたくない」とも言った。
それは、直近のグランドスラム3大会で優勝を逃している真の理由は、自分の内にあると感じているからだろう。
「挑戦者モードに、どこかで持っていかないといけない。どこかで守っている、置きにいっているというか……グワッと相手を叩き潰すんだという気持ちが、最初から最後まで持続しない。そういうモードに自分を持っていかないといけないというのが、ここ数試合で感じていることです」
挑戦者に身を置くべきという思いと、それを拒む、世界1位という数字。その狭間に足を取られたのが、今回の敗戦だろう。
その陥った窪みとは、果たして芝のコートにあるのか。それとも、自身の心構えや技術面にあるのか?
それらの解を見極めるためにも、国枝はこのままイギリスに残り、ハードコートの大会に出てから、自身が選手団の主将も務める東京パラリンピックへと臨む。
「主将に選ばれたのは、もちろん光栄なこと。東京では、しっかり役目を務めたいなと思います」
そう気持ちを引き締める東京パラリンピックまで、残された時間は1カ月半。
「ここから残り1カ月半、どう過ごしていけるかが大切だと思っています。技術よりは、精神面。必要なのは、試合に入り込むメンタルだと感じています。それを自分自身で体得するのか、あるいは思い出すのか……」
積み重ねた数々の栄光が、時に”足かせ”となることもある。
王者のみに許される高次な葛藤を抱えながら、国枝慎吾は8年前の開催決定の時から、ひとつの集大成と定めた大会へと向かっていく。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki photo by AFLO