藤田道宣は男子エペ(予選敗退)にも出場。選手紹介でいい表情を見せる
「悔しいということだけですね。自分の力を発揮できなかった」
車いすフェンシング日本代表の藤田道宣(日本オラクル)は試合後、そう言葉を振り絞った。東京2020パラリンピックの競技4日目、28日に行われた男子フルーレ(カテゴリーB)は藤田のメイン種目。2つのグループに分かれて戦う予選で1勝5敗となり、決勝トーナメントには進めなかった。
予選プールは、5トゥシュ(突き)を先取するか、3分間でより多くのトゥシュを決めた選手が勝利する。藤田は初戦でブラジル人選手に3点を先取されるも、5連続で取り返して逆転勝利をおさめた。幸先のよいスタートを切ったが、2戦目はポーランド人選手の素早い剣さばきに押され、「守りに入ってしまった」。この試合を落とした以降は波に乗れず、5連敗。「これが実力」と受け止めた。
藤田はフェンシングの名門校・平安高(現:龍谷大平安高)で剣を握り、大学時代は1年の時にインカレのエペで7位、全日本選抜ではベスト16の成績をおさめている。1学年上に太田雄貴さんがいる。19歳の時に海での事故で頸椎を損傷。車いす生活になり、2009年に車いすフェンシングに転向した。受傷により胸から下の感覚がなく、利き手の右手の握力はゼロ。当初はわずかに握力が残る左手で剣を握り、反対の手で車いすのフレームを握って上半身の動きを支えていたが、この上半身のコントロールを重視し、支えを左手に、剣を右手に戻した。藤田は右手と剣をテーピングで固定して戦っている。
車いすフェンシングはピストに車いすを固定して行う。対戦する選手の距離は、腕と剣の長さで決める。手を伸ばせば剣が届く至近距離で戦うため、試合開始の「Allez!(アレ!)」の掛け声とともに、激しい剣の攻防が始まる。フットワークがない分、正確な剣さばきと一瞬の駆け引きが勝敗を分ける。
試合は軽度な障がいの「カテゴリーA」と、体幹バランスが悪い「カテゴリーB」に分かれてそれぞれで頂点を争う。藤田は本来、もっとも重い「カテゴリーC」の選手だが、パラリンピックでは実施されないため、「カテゴリーB」にエントリーして戦っている。自分よりも障がいが軽い相手との厳しい試合のなかで、どこに勝機を見出し、優位に立つか。まず藤田は受傷後、専門種目をパワー系のエペから、繊細な技術を必要とするフルーレに変更。そして、徹底的に相手を分析して緻密な戦略を練ることで勝利の糸口をつかんでいく戦法で、世界と対峙してきた。
使用する剣も藤田の戦略が光る。藤田は相手によって剣の種類を使い分けており、ジュニアの選手が使用する短い剣で挑むこともある。他の選手にとって短い剣で戦うメリットはないが、障がいで手首にも力が入らない藤田にとっては剣の軽さは武器になる。この日のフルーレでも長さや柔らかさの違う剣を準備し、「けっこう大胆に、攻めた感じで使いました」と藤田。ワールドカップとは異なるパラリンピックの規定で、用意していた8本から4本に絞る作業には苦労したが、使う剣にあわせてテーピングも薄くて軽いものを使用するなど、あらゆる工夫を凝らして挑んだ。
ただし当然、相手も藤田の斬新な戦術を警戒している。たとえば、予選プール最終戦で戦った世界ランク3位のRPCのカマロフは、上体を後ろに大きくずらし、距離を取る作戦で来た。藤田によれば、2年前のワールドカップブラジル大会で短い剣を使用して接近戦に持ち込み、ぎりぎりまで追い詰めたことがあり、その経験から対策をしてきたのではないかと分析する。「そうされたときに僕が何をするか、しっかり研究していきたい」と藤田は話す。
男子フルーレ予選プールの初戦でブラジル人選手に逆転勝ちした藤田
コロナ禍の一年前、オンラインで取材をした際、藤田は自身の活躍についてこう話していた。「もし僕がパラリンピックに出場できたら、カテゴリーCの選手でも、頸損でも、車いすフェンシングができるというアピールになると思うんです」と。そして今日、初出場を叶えた今の気持ちを尋ねると、少しの間をあけて、率直な回答が返ってきた。
「実際にパラリンピックに出場して、正直、僕のように(状態が悪い)頸損でパラリンピックでのメダル獲得を目標にして戦うのは、すごく苦しいなと思いました」
世界最高峰の舞台で、突きつけられた現実。どういう練習をすればよいのか、どんなフルーレの戦い方を目指せばいいのか、どうやったらパラリンピックでメダルを獲れるのか。「ビジョンが見えない」と心情を吐露する。
しかし、「それでも――」と、藤田は続ける。
「それでも僕は、パラリンピックのメダルにこだわって競技を続けていこうと思っています」
失意を力に変え、高い壁も熱心な研究と工夫で乗り越えてきた藤田。この東京の悔しい経験は、さらなる飛躍、そして3年後のパリ大会の表彰台への大事な足がかりとなるはずだ。藤田の、彼らしいこれからの挑戦に、再び注目していきたい。
荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu