「メダル以上に、大きな宝物をもらいました」――義足のアスリート、谷真海選手は2021年8月29日、東京パラリンピックのトライアスロンに出場し、最下位10位ながらゴールでは清々しく達成感あふれる笑顔を見せた。
2013年には東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会招致の最終プレゼンテーションでトップバッターとして登壇し、大会開催決定に大きく貢献。「招致の立役者」として注目されるなかで、結婚、出産も経験。「ママアスリート」がまだ少ない現状のなか、競技と家庭を両立させた。
8年間に及ぶ東京パラ挑戦を陰で支えた家族との絆などについて、谷選手に話をうかがった。
招致活動から開催までの8年間を谷真海選手に振り返ってもらった
――2013年の東京パラリンピック開催決定から出場までの8年間、谷さんにとって、どのような日々でしたか。
「すごくエネルギーを使った分、濃かったなと感じています。そんな時間を家族とともに歩めたことは一生残るものになりました。パラリンピックには陸上でも3大会出場していますが、家族ができ、子育ても初めて、また、トライアスロンでの挑戦も初めてでしたから、両立する難しさもありました。だからこそ、家族のチームワークも深まったと思います」
――東京大会挑戦を正式に表明されたのは、結婚・出産後でした。競技復帰について、夫であり東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも関わっていた昭輝さんにはどのようにお話しされたのでしょうか。
「しっかり話し合ったことはなかったと思いますが、ともに招致活動から関わり、東京パラリンピックはふたりにとって思い入れのある特別な大会でした。だから、『アスリートとして出場の可能性があるなら挑戦しよう』というのが夫婦共通の思いでした。
ただ、最初はすごく遠い夢で、東京開催じゃなかったら、チャレンジしていなかったかもしれません。出産後の体がどんな状態になるのか、どうしたら両立できるかなど、やってみないとわからない。まずは、ほんのわずかな可能性に向かって、できることを手探りでコツコツ積み重ねていく毎日でした」
――不安も困難も大きかったなかで、昭輝さんはどのような存在でしたか。
「夫は最初からずっと、『できる限りのことはする』というスタイルでいてくれました。ママアスリートは夫婦の協力体制がないと不可能に近い。夫の支えが私にとって本当に心強かったです。コミュニケーションもよく取れていたので、不安や悩みもすぐに相談でき、負担を軽くできたと感謝しています。
ふたりで夢を共有し、見ている方向が同じだったことは大きかったですね。目指しているものが違うと、熱の入れ方も違ってしまうと思うので」
――出産後の競技生活について、教えてください。トレーニングはどんなふうに進めたのですか。
「初めての経験でしたから戸惑いました。体の変化をかなり感じたので、まずは元の状態に戻すことから。とにかく睡眠不足だったので無理はせず、『運動は心身ともに健康に過ごすため』というところからはじめました。
困ったのは妊娠中や産後のトレーニングについて、日本にはほとんど情報がなかったことです。でも、海外では出産後にオリンピックやパラリンピックに復帰するアスリートは少なくありません。そこで、妊娠中から海外の文献を探して、『ここまでやっていいんだ』など確認しながら、やれることを少しずつ実践しました。
産後1カ月ほどで初めてジムに行ったのですが、得意だった腹筋が1回も上がらなくてびっくりしました(笑)。妊娠中も体は動かしていましたが、それでも産後のダメージがあったようで、これからどうなってしまうんだろうと不安になりましたね」
――そんな不安もあるなか、陸上からトライアスロンに転向してわずか2年。2017年には世界選手権で優勝されます。急ピッチでの快挙でしたね。
「走り幅跳びは13年に目標としていた5mを超え、世界選手権でも銅メダルを獲得できたので、妊娠のタイミングでひと区切りと思えたんです。トライアスロンは以前から、選手寿命の長い競技だと興味を持っていました。実は妊娠中からトライアスロンを意識して有酸素運動は続けていたので、産後もその継続という形で焦らずに進めました。
そんなに器用ではないので、いつもバタバタでしたが、復帰1年目は夫の出勤前に練習時間を確保し、早朝のトライアスロンスクールに通うことから始めました。息子が1歳になると保育園に預けて会社にも復職しましたが、職場の理解もあり就業時間内にもトレーニングができました。おかげで、2017年の優勝につながり、ぼんやりした夢だったパラリンピックがそこからはっきりと見えたように思います」
――仕事、そして子育てや家庭と、いろいろな役割のなかでの競技生活でした。
「全部完璧にやろうとすると壊れてしまうと思ったので、まずは家族と子育て、次に競技があって仕事と、優先順位をつけました。私の人生のなかにスポーツがあってパラリンピックも目指そうという考え方ですね。たとえ、出場が叶わなくても人生は終わらないし、母として妻として会社員として戻る場所があるという安心感は心強く、大きな支えでした」
――息子さん(現在は6歳)はどのような存在でしたか。母とアスリートの間で揺れたり、どちらかに傾いたりしなかったですか?
「競技だけに集中することなく、いい意味で生活にメリハリを作れました。保育園に迎えに行って帰宅後は息子との時間にしました。息子に合わせて自分も寝るスタイルが確立でき、早朝練習にも行きやすくなりました。息子に癒され、心も満たされ翌日を迎えられるというリズムはポジティブでした。
ただ、パラリンピックの出場権獲得には必ず出場しなければいけない国際大会などもあり、遠征中に泣きじゃくる息子の動画などが送られてきたときには葛藤もありました。『ここまでしてやる必要があるのかな』って。でも、最初に『できる範囲で両立』と決めていましたし、最後まで目標を追い続けることで、息子のなかに何かいい思い出として残ってくれればと願いながら続けていました」
――大会後、「東京パラリンピックは家族3人で戦った」とも話されていました。
「そうですね。家族と一緒に個人合宿を行なったり、国際大会では私が先に現地入りし、夫と息子があとから合流することもありました。コロナ禍の前は、いろいろな国に行きましたが、息子にとっても貴重な経験になったと思います。
トライアスロンの大会はパラの部だけでなくエリートの部も一緒に行なわれます。息子は障害のあるなしに加えて、言葉や肌の色、文化や食事など世界にはいろいろな違いがあることを自然に肌で感じられたと思います。『違い』に関して特別な思いを持たず、スポーツという窓を透して世界を見たことで、壁のない男になったように感じられるのは、親としてもすごくうれしいです」
Photo by Yohei Osada/AFLO SPORT
――そういったうれしいエピソードをほかにも教えてください。
「たとえば、息子は(右腕切断のトライアスリート)宇田秀生選手に、「なんで腕がないの?」と聞いたんです。障害を特別視せず、個性だと捉えています。だから自然体で聞けるんですよね。
また、息子が初めて見たバスケットボールは車いすバスケでしたし、どんな障害があってもスポーツはできるという感覚もあるようです。東京パラリンピックもテレビで夢中になって見ていましたし、オリンピックと同じ感覚で楽しんでいたこともよかったなと思っています」
――パラリンピックは共生社会への気づきにつながる一歩とも言われますが、幼いうちから触れることについて、どう感じていますか。
「パラリンピックを見て育った子供たちが作る未来は、また違ったものになるだろうと期待しています。だから、パラリンピックが今年、日本で開催され、無観客であってもテレビでの観戦機会があったことは、残せたものも多かったのではないかと感じています。
実は、息子の友だちもみな、テレビでパラリンピックを見てくれていたようです。息子の保育園で、私は “谷選手”と呼ばれているんです。アスリートへのリスペクトを感じます(笑)。それに親御さんたちもそういう目線で応援してくれていました」
――それは心強いですね。あらためて、この8年間を終えて今、どんな思いでしょうか。
「かけがえのない時間でした。辛いこともありましたけど、それも含めていい思い出です。実は大会後に息子から、『ママ、頑張ったね。次は僕の番だよ』っていう手紙をもらいました。具体的な内容は分かりませんが、私もたくさん応援してもらった分、これからは私が応援してあげたいと思っています」
――たとえば、どんなことを応援したいですか?
「とくにスポーツ活動は応援したいですね。スポーツは目標に向けて1日1日を大事に過ごせるし、みんなで協力しあう気持ちが育めます。
息子は保育園のクラブ活動で野球やサッカー、バスケ、水泳、陸上などいろいろ挑戦中で、先日もトライアスロン大会に出場しました。3年ほど前にも特別出場させてもらっていたのですが、その時はプールでおぼれかけるなどダントツのビリでした。『リベンジしたい』と言っていたので、今回は私も応援に力が入りましたが、結果は優勝。本人もすごく喜んでいて、いい経験になったと思います。
私もストイックにではないですが、今も体は動かしています。朝、泳いだり、会話ができるくらいのスピードで、夫と一緒に走ったり。スポーツは家族共通の趣味なので、一緒に続けていきたいです」
――今後について、何かプランはありますか。
「まずは、久しぶりに穏やかな気持ちでお正月を迎えられそうです。ここ数年は、『もうすぐ代表選考が始まるな』とか『1年延期されて本当に開催されるかな』といろいろな思いがありましたから。
それに、年末年始は合宿など遠征中のことも多かったので、今年は東京でお正月らしい過ごし方を息子に経験させられる貴重な機会になるなと思っています。あとは紅白歌合戦の審査員にも選んでいただいたので、それも楽しみです」
――素敵なお正月になりますように! 最後に、アスリートとしての今後のビジョンについてお聞かせください。
「トライアスロン自体はゆったりと続けようと思っていますし、パラリンピックやパラスポーツの普及活動は自分ができる形で精いっぱい貢献していきたいと思っています」
スタイリスト/金子夏子 ヘアメイク/塩澤延之 [mod’s hair]
PROFILE
谷 真海さん
たに・まみ●1982年、宮城県気仙沼市出身。早稲田大学在学中に骨肉腫により右足膝下を切断。2004年、サントリー入社。義足での陸上競技にも取り組み、2004年アテネ大会から2012年ロンドン大会まで走り幅跳びでパラリンピックに連続出場。2013年、東京2020大会招致活動の最終プレゼンテーションで「スポーツの力」を訴えるなど開催決定に貢献。同活動で出会った谷昭輝さんと2014年に結婚、2015年に長男の海杜くんを出産。2016年にトライアスロンに転向し、東京パラリンピックに出場を果たした。東京大会では日本選手団の旗手を務めた。
『パラアスリート谷 真海 切り拓くチカラ』
障がいクラスのパラリンピック除外、コロナ禍、開催延期……幾多の困難を乗り越え、ただひたすら「スポーツの力」を信じて走り続けたその生きざまを、2年半に及ぶ密着取材、貴重な撮り下ろし写真で解き明かすドキュメンタリー。東京パラリンピックがゴールじゃない、障がい者も健常者も生きやすい共生社会の実現に向けて私たちみんながなすべきことは? 一緒に考えるヒントが詰まった1冊。
著者:徳原 海
価格:1760円(税込)
発売日:2021年12月15日
出版社:集英社
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https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-790067-5
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
【Sportiva webサイト】
https://sportiva.shueisha.co.jp/
星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko 撮影●矢吹健巳 photo by Yabuki Takemi