3月4日から13日まで10日間にわたり、46の国と地域から約570人のパラアスリートが参加した世界最高峰の舞台、第13回冬季パラリンピック北京大会が中国・北京市で開催された。昨夏の東京大会につづく世界的なコロナ禍のなかでの開催となり、アスリートはさまざまな制約を受けながら、また、目まぐるしく変化する春先の気象条件とも向き合う厳しい戦いとなった。
さらには、開幕直前に休戦協定を破ってロシアが起こしたウクライナへの軍事侵攻の影響を受け、大会はさまざまに揺れた。国際パラリンピック委員会(IPC)は「スポーツは政治に影響されない」として、一度はロシアとベラルーシの選手を「中立」の立場で参加させると発表した。だが、他国の選手団などから反発の声があがり、ボイコットの可能性も懸念されたため、開幕直前になって両国選手を除外する苦渋の決断を下した。
あらためてスポーツを楽しめる平和な環境のありがたさを実感するとともに、多様な選手たちが精一杯のパフォーマンスで躍動し、人間のもつ可能性を表現する姿に、それぞれの違いを認め合ったうえで、正々堂々と全力で競い合えることの尊さに感謝する10日間となった。
IPC会長によるスピーチは平和へのメッセージに
3月4日に行われた開会式では、中国語(簡体字)の国名表記で、1文字目の画数の少ない順による入場行進が行われた。日本は2番目に、代表選手団旗手で、クロスカントリースキー代表の川除大輝(日立ソリューションズジュニアスキークラブ)を先頭に入場した。出場が危ぶまれたウクライナ選手団は4番目に登場し、招待客からひときわ大きく温かな拍手が送られた。
IPCのアンドリュー・パーソンズ会長による開会のあいさつは難しい社会情勢を反映した異例な内容となった。
「今夜は、まず、平和のメッセージから始めたい。多様性を尊重し、違いを受け入れるインクルージョンを中核とする組織(IPC)のリーダーとして、私は今世界で起きていることに恐怖を感じている。21世紀は戦争や憎しみではなく、対話と外交の時代だ」
ロシアの行為を意識したであろう言葉の後には、「46カ国から集まったパラアスリートたちはここ北京で、互いに対決しあうのでなく、ともに競い合う。変革はスポーツから始まる」とスポーツの力を強調。最後に、両こぶしを握りしめて発した心からの叫び、「ピース!」の一言は会場内の招待客やテレビ放送を通じて多くの人の心を揺らしたに違いない。
その後、雪の結晶を模した台に聖火が灯されて始まった今大会では、6競技78種目で熱戦が展開された。96人の大選手団で戦った開催国、中国が計61個のメダルを獲得してメダルランキングで1位となった。前回大会の1個から大躍進を遂げ、夏季競技では確立している強豪国に、冬季競技でも名乗りを挙げた。
日本選手団は金4、銀1、銅2の計7個のメダルを獲得
日本選手団は4競技に29選手が出場し、金4、銀1、銅2の計7個のメダルを獲得した。総数7は前回大会から3つ減らしたが、金4個は海外開催の冬季大会での日本最多を更新した。ちなみに、国内開催を含めた金メダルの最多獲得記録は1998年長野大会の12個だ。
クロスカントリースキーオープンリレー日本チーム(新田佳浩選手、川除大輝選手)
メダル獲得で日本をけん引したのは選手団主将も務めたアルペンスキー女子(座位)の村岡桃佳(トヨタ自動車)で、金3、銀1を獲得した。また、同男子(同)の森井大輝(同)が銅2個を加えた。旗手の川除がクロスカントリースキー男子(立位)で金1個を獲得し、長年チームをリードしてきたベテラン、新田佳浩(日立ソリューションズ)からバトンを引き継いだ。スノーボード日本代表は、メダルは逃したが、スノーボードクロスで6選手中5人が入賞するなど、二星謙一監督は「チーム全体の底上げ」を強調。期待は次大会へ持ち越された。
ウクライナ選手団の躍動
注目されたウクライナ選手団は戦火に苦しむ母国を勇気づけようと躍動した。初日のバイアスロンで金3つを含む7つのメダルを獲得し、最終日13日に行われた最終種目、クロスカントリースキーの10kmオープンリレーでも金メダルに輝き、有終の美を飾った。2走を務めたグレゴリー・ボウチンスキー主将は「4人がお互いを支え合って戦った。(戦火に苦しむ)現在のウクライナの人々のように。この勝利はウクライナの人たちのものだ」と力強く語ったが、「世界の皆さんの力で、戦争を止めてほしい」という悲痛な叫びも聞かれた。なお、大会を通して金11個を含む計29個のメダル獲得はウクライナの過去最多となった。
最終日のクロスカントリースキーオープンリレーで優勝し、歓喜のウクライナチーム
世界各地からパラアスリートが集い、競い合い、笑い合える場に
平和を願う声は多くの選手からも聞かれた。たとえば、クロスカントリースキーとバイアスロン日本代表の佐藤圭一(セールスフォース・ジャパン)は強豪国ウクライナの選手たちと合宿した経験もあり、以前から交流があった。ボウチンスキー主将とは初日に行われたバイアスロンのレース前に、「お互いにいいレースをして、平和をアピールできればと言葉を交わした」ことを明かし、このレースで優勝したボウチンスキーを称えた。さらに、「ロシアやベラルーシの選手がいないのは僕としては寂しい。こういう社会情勢で、ウクライナから北京に来れなかった選手もいる。ベストメンバー皆でレースをして、平和な祭典にふさわしいレースが僕はしたかった」と異例な開催となった今大会を残念がった。
スノーボード日本代表の岡本圭司(牛乳石鹸共進社)は開幕直前に自身のSNSで、本番コースで熱心に練習していた50歳のロシア代表選手の姿を見て、「戦争は心から反対だが、彼が出場できないのは悲しい」と書いていた。後日、その真意を問うと、「社会的なことをいえる見識はないが、ここまで4年、いろいろ思い出があり、(世界のスノーボード選手)皆で作ってきたストーリー。そこにロシアの選手が参加できないのは僕らとしても心が痛い。一番かわいそうなのはウクライナの選手。(スノーボードにウクライナ選手は)出場していないが、彼らのことを思って滑りたい。これが終わって、みんなが(コースに)戻ってきてくれることを祈ります。大好きです、みんなのこと」と、ともに競い合う仲間たちへの思いを口にした。
13日夜に行われた閉会式では再び、IPCのパーソンズ会長のスピーチに注目が集まった。直接的な言及はなかったものの、「国や考え方、能力の違いはあるが、その違いはわれわれを分断するのではなく、結び付ける。一つになることで希望が生まれる。共に生きることへの希望、調和への希望、そして大切なのは平和への希望だ。人類は対話が優勢な世界を望んでいる。世界のリーダーたちが誇り高きパラリンピアンの姿にならうことを願っている」など、世界の連帯や協力しあうことの大切さを強く訴えた。
その後、パラアスリートの熱戦を見守った聖火は静かに消え、さまざまな記録と記憶が刻まれた北京大会は幕を閉じた。
次の冬季大会は2026年、イタリアのミラノ・コルティナダンペッツォ大会となる。また、夏季大会は2024年、パリでの開催が決まっている。これから開かれるパラリンピックは、佐藤や岡本が願ったように、世界各地からパラアスリートが集い、競い合い、笑い合える場であることを強く願う。
写真/吉村もと・ 文/星野恭子