「オリオンジャパン」、パリへ始動
昨年夏の東京パラリンピックで女子は銅メダル獲得、男子は初出場で5位と躍進したゴールボール日本代表。今年1月には、公募によって男女日本代表の愛称が「オリオンジャパン」に決定。星座のオリオン座に由来し、中央の三ツ星がコート上の3選手に、取り囲むように並ぶ明るい4つ星がベンチの選手やスタッフ、ファンなどに重なることから選ばれた。
さらなる飛躍を目指し強化が進むオリオンジャパン。4月1日~3日には「塙保己一メモリアル ゴールボールフェス」が埼玉県本庄市のカミケンシルクドーム(本庄総合体育館)で行われ、強化指定選手の女子10名、男子9名が新生日本代表への選手選考も兼ねた強化試合などに臨んだ。
新たな競争の始まり
強化試合では、男子がA、Bの2チームで対戦する2試合が、女子はA、Bの2チームと、若手選手に男子の助っ人を入れた「ユニック」チームの3チームで2回の総当たり戦が行われた。ゴールボール日本代表は男女それぞれ1チーム6人で構成される。東京パラ後に引退した強化指定選手もいる一方、新たに育成選手から上がってきた選手もいて、代表争いはし烈だ。自身をアピールできるよう試行錯誤しながらトレーニングに励み、その成果を発揮しようと挑む選手たちのパフォーマンスで、どの試合も熱戦が展開された。
「回転投げの習得など、練習してきたことを試合の場で発揮することが目標」と話したのは天摩由貴主将だ。東京パラでもセンターとして安定したプレーを見せた高橋利恵子は東京パラ後、海外勢が多用するバウンドボールにも対応すべく、「男子のように飛ぶようなディフェンスにも取り組んできたので試したい」と話し、攻撃の軸、欠端瑛子は、「課題とする守備は安定している」と手ごたえを語った。
東京パラでは大会を通して一人で25得点と大活躍した萩原紀佳は、「東京パラ後は、日本代表として見られる責任をより強く感じるようになった。遠心力を利用した回転投げのバウンドボールに新たに取り組んでいる。海外チームから点を取れる武器の一つにしていきたい」と意気込んでいた。
男子の代表候補選手たちも接戦を展開した。川嶋悠太主将は東京パラ後に失点率の高かったボールを研究し克服しようと取り組んできた成果が出せたと手ごたえを口にした。得点力に期待がかる宮食行次は、「主要大会へのピーキング」をテーマに強化試合に臨んだそうで、「体の動きはよかった。同じように準備できれば、いい形でいけると思えた。守備面の課題にも成果が見えた」と、この先の大舞台への自信を口にした。
現在39歳で競技歴24年のベテラン、伊藤雅敏はこれまで特別支援校教員との二束のわらじでゴールボールに取り組んできたが、今年1月、仕事を辞め、競技中心の生活に身を置く決意をしたという。「競技人生も短いので、納得できる形にしたいと思った。ベテランとしてチームに安心感を与える存在になれれば」と競技への思いを明かした。
山口凌河は、「チームはさらに進化していて代表争いは大変だが、プレッシャーのなかで刺激的な毎日を送っている。持ち味の攻撃力を磨きながら、安定したディフェンスを目指して守備姿勢を大きく変えた」と話した。
期待の若手も躍動
東京パラ後、男女合わせて5人の強化指定選手が代表活動から引退したが、若手選手も育ってきている。女子の神谷歩未は主に攻守の要であるセンターとして活躍した。146㎝とチーム一の小柄だが、俊敏な動きと判断力の高さで安定したプレーを見せた。「今年に入ってから、苦手だったコースのボールへの守備の向上を感じていたが、この大会で自信がついた」と笑顔を見せ、ユニックの助っ人男子の強烈なボールにも、「最初は不安もあったが、しっかり音を聞いてから飛ぶようにすれば止められると、ゲームを重ねていくなかで自信がついた。目標は守備の要、センターとしてチームを引っ張っていくこと」と前を見据えた。
萩原直樹は男子で代表入りを目指す若手の一人だ。2016年から競技をはじめ、1年ほど前にレフトからセンターに転向した。「178㎝の身長を生かし、守備範囲の広いセンターを追求したい。視覚を奪われたなかで動くゴールボールは難しい。だから、挑戦のしがいがある」と魅力を語る。東京パラでの先輩の活躍を励みに、「(後につづく)僕たちが頑張って、もっと盛り上げたい」とまずは代表選出を目指す。
ゴールボールを知って楽しむ体験会も開催
1日の午後には、日本ゴールボール協会のオフィシャルサポーター、ゼンコー社の女子野球部Beamsの選手らが主催した「ゴールボールを知って楽しむ体験会」も実施された。本庄市のスポーツ少年団から小学生18名が招かれ、パラリンピアンとともにゴールボールを楽しんだ。簡単な競技説明からはじまり、守備練習、投球練習と進み、ミニゲームまで行われた。「音」が頼りのゴールボールだが、時おり笑い声も聞こえるなど、和やかな雰囲気で進んだ体験会。参加した小学生は「楽しかった~」と声を揃えた。
会場となった本庄市は、江戸時代後期に活躍した全盲の学者、塙保己一の出身地で、川越市には埼玉県立特別支援学校塙保己一学園も開校している。体験会の終わりには同校卒業生で東京パラに出場した3選手が小学生を前に話した。その一人、萩原は、「私は(東京パラの)最初の代表選考には落ちてしまったが、コロナ禍で大会が1年延期になり、再選考で代表に入れた。苦しいときこそ諦めず頑張っている姿は絶対に誰か見ていてくれる人がいます」と語りかけた。
サウスポーから繰り出す攻撃力が魅力の金子和也は、「目が悪くなって野球ができなくなったが、ゴールボールを知って、今は日本代表として金メダル獲得という目標ができた。みんなも楽しめることを見つけて頑張って」とアドバイス。攻守に安定したプレーを見せた佐野優人は、「あの時にやっておけばと後悔することのないよう、好きなことに時間を費やして」とエールを送った。
小学生から、「ゴールボールは目が悪くなくてもできますか」という質問があり、天摩主将が「パラリンピックには視覚障害者しか出られないが、国内大会ではアイシェードをして誰でも競技を楽しめる。ぜひ、チームを作って参加してください」と声をかけた。
その後、女子代表から東京パラの銅メダルが披露され、小学生は触ったり、首に掛けたりして、「重~い」「持って帰りたい」など貴重な機会に歓声をあげていた。
体験会を企画・運営したゼンコー社は2019年からJGBAのオフィシャルサプライヤーとして、21年からは同サポーターとして、JGBA主催大会の運営に人材を派遣するなどで支えている。体験会の最後に登壇した海野弘幸社長はパラスポーツを支援する理由として、「警備会社として、さまざまな人の安全を確保することが役割。女子力も必要だと、(2016年には)女子野球チームを設立し、障害者への対応力もつけたいとパラスポーツも支援している。その取り組みが(自社の)人材育成にもつながると思っているし、ゴールボールの普及・発展にもつながれば」と話した。
体験会を終え、川嶋主将は、「障害があってもなくても楽しめるスポーツだと知ってもらえたのでは」と手ごたえを話し、宮食は、「『東京パラで見たよ』とか、僕自身も知っていてくれた子もいて、すごくうれしかった。少しでも競技の裾野が広がることにつながれば」と期待を寄せ、伊藤は、「これまでにない新しい形の体験会だった。ゼンコーの社長の言葉など、あらためて多くの人に支えられていると心に響くイベントだった」と振り返るなど、選手にとっても励みになる機会となったようだった。
競技団体のレガシー創出も
市川喬一総監督は、「東京パラをきっかけに競技を知ってもらいたいと思っていたが、東京パラ後に、この『フェス』ができたことはうれしい。(ゴールボールと野球という)異なるアスリートが融合してできた体験会も充実の内容だった。コロナ禍でも工夫すれば、やれるイベントもある」と手ごたえを語った。
監督は選手強化と並び、「競技団体のレガシーの創造」も今後の目標に挙げる。たとえば、代表活動から引退した選手に、「外部アドバイザー」として活躍してもらう道を拓いたり、チームスタッフとして新たに臨床心理士も迎えるなど選手を支える人材を登用し、「外部からの意見も取り入れて、いびつな組織にならないこと」を目指す。
東京パラ開催の効果も十分に感じているという。昨年12月に開催したユースキャンプには定員30人を越える参加があり、今後予定する審判講習会の募集枠もすぐに満員になったという。「スポンサー企業にも、『次世代の人材も必要』と理解をいただき、予算化もできた。スポンサー企業も変わらず応援してもらっている。ただ『頑張ります』でなく、スポンサー企業の価値も高められるような競技団体を目指したい」と力を込めた。
競技面での大きな目標は2024年のパリ大会での男女の金メダル獲得だが、パリ大会出場につながる国際大会がコロナ禍により相次いで延期され、チームは翻弄されている。3月に韓国で開催予定だったアジア・パシフィック選手権も6月に中国で開催予定だった世界選手権も延期になり、4月初旬時点で両大会とも日程も会場も未定のままだ。
実は、今回の「フェス」も当初は海外4カ国のチームを招き、JGBAが主催する初の国際大会として企画されたが、海外チームの招へいが困難なことから代表候補選手による強化試合に切り替えられてもいる。
それでも、強化は待ったなしだ。市川総監督はチーム強化について、「ベテラン、中堅、若手の揃った多様な選手層」をチーム作りのポイントに挙げ、それぞれの持ち味や経験を生かしながら、チーム一丸となることが重要と話した。
「フェス」のようなイベントも活用しながらモチベーションを保ち、高い目標に向かい、ゴールボール日本代表「オリオンジャパン」は前進しつづける。
写真・ 文/星野恭子
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