パラ陸上の日本一決定戦、「WPA公認第33回日本パラ陸上競技選手権大会」が6月 11 日から12 日にかけ、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場(神戸市)で開催され、200名を上回る選手がそれぞれの限界突破に挑んだ。初日は雨混じり、2日目は好天に恵まれたものの風に翻弄され、追い風参考となった記録も多かったが、全体的なパフォーマンスは戦力の底上げと、さらなる可能性を感じさせる内容だった。
東京パラリンピックを経て、選手層も確実に厚みを増している日本のパラ陸上。成長著しい若手や他競技との“二刀流”選手のほか、一般の陸上競技経験者がパラ陸上へと活動の場を広げ、彗星のように現れるケースもある。今大会で、そうしたケースがとくに目立ったのは男子T13クラス(視覚障がい)。高校や大学の陸上部で活躍実績のある選手たちがハイレベルな活躍を見せた。彼らの活躍を中心にリポートする。
「クラス分け」はさまざまな障がいの選手が参加するパラ陸上で、障がいの種類や程度に応じてグループ分けし、できるだけ公平に競い合えるようにするための重要なシステムだ。
例えば、視覚障がいのクラスは視力や視野の広さによって3つ(11~13)に分かれ、T13は最も障がいの程度が軽い「軽度弱視」の選手を意味する。病気や事故などを原因とした「見えにくさ」はあるが、伴走者などは伴わず、単独で競技を行うクラスだ。数字の前のTはトラック・跳躍種目を表し、投てき種目ではFが使われる。
選手はあらかじめ、「クラス分け」の検査を受けなければならない。視覚障がいの検査は「クラス分け委員(クラシファイア)」の公認資格をもつ眼科医が行い、精密機器等で視力や視野などを測定したり、目の病状を確認したりなどいくつかのプロセスによって障がいの程度を見極め、決定される。NEW(過去にクラス分けを受けたことがない)の選手はまず、国内で自身の競技グループ(クラス)を明確にしなければならないが、国内で視覚障がいのクラス分けを受けられる機会は少ない。また、パラリンピックなど国際大会に出場するためにはさらに「国際クラス分け」も取得しなければならない。他のパラスポーツでも競技の公平性のため、類似の「クラス分け」システムが設けられている。
大会2日間でオールマイティな強さを発揮したのは、男子T13クラスの5種目(100m、200m、400m、走り幅跳び、円盤投げ)で日本記録をもつ福永凌太(中京大クラブ)だ。今大会では3種目に出場し、100mは3位だったものの、11秒08をマークして自身のもつ日本記録を塗り替え、400mは49秒69で制し、日本記録には0.4秒及ばなかったが、大会記録とアジア記録を更新した。さらに、走り幅跳びでも6m91で2位に入った。追い風2.7mで参考記録にはなったが、自身の日本記録を10㎝上回る大きなジャンプだった。
福永もパラ陸上デビューから2年に満たない新星だ。1998年生まれで、幼い頃から錐体ジストロフィという進行性の目の病により中心が見えにくいなどの視覚障がいがあったが、小学校5年から始めた陸上で躍動。障がいは少しずつ進んでいるというが、中京大時代は10種競技に打ち込み、高いポテンシャルを示した。
卒業後も陸上を続けたいと可能性を見いだしたのがパラ陸上だった。大学4年だった2020年秋からパラ陸上の大会に出場し始めると、日本記録を次々と樹立し、一躍エースに名乗りを挙げた。コロナ禍もあって東京パラ出場は逃したが、2年後のパリ大会での活躍が期待される逸材だ。
今大会は5月下旬に国際クラス分け受検のためスイスに遠征した影響で調整不足での出場だったなか安定した力を発揮したが、目標はあくまでも国際舞台での活躍だ。「世界への課題はまだ多すぎる。ひとつずつ克服して、目標に近づきたい」。高い向上心で、道を切り開いていくつもりだ。
そんな福永を100mで圧倒したのはともに日本選手権初出場の新人2人だった。優勝したのは川上秀太(アスピカ)で、ストライドの大きな走りでマークした10秒73はT13男子の日本記録を0.48秒、アジア記録も0.3秒上回るほどの好走だった。川上は2日目の200mにも出場し、福永のもつ日本記録を0.63秒も上回る22秒14で制して二冠に輝き、鮮烈なデビューを飾った。
パラ陸上への転向は昨年春からという川上は、「クラス」が未確定のため、新記録としては認定されないが、「自己ベスト(10秒95)が更新できてよかった。スタートからの加速を磨けば、もっと上のレベルで走れるかなと思う。今後、パラの大会にも積極的に出場して記録を狙っていきたい」と手ごたえを語った。
川上は1998年生まれで、小学3年時に交通事故に巻き込まれて視神経を損傷し、現在の視力は右目が0.06、左目は0.03ほどで、右目の中心部と左目の内側半分は見えていないという。
陸上は中学から始め、「みんなと同じ目標に向かって走りたい」と大学までは一般の大会に出場してきた。大学3年時に授業でパラスポーツに触れたことで、「僕が走ることで、障がいのある人たちの活力になれば」と、大学卒業後にパラ陸上に転向した。今はフルタイム勤務のかたわら、大学時代の恩師に指導を仰ぎながら、地元の競技場で汗を流す。
日本のパラ選手で100mを10秒台で走った選手はまだ数人しかない。世界記録はアイルランドの選手がもつ10秒46で、彼が東京パラを制したタイムは10秒53だ。
川上はそれらのタイムも踏まえ、「今季中に(100mのタイム)を10秒6から5台まで上げて、2年後のパリパラリンピックでメダルが取れるようにしっかり練習したい」と意気込みを口にした。
さらに、100mで2位に入った石山大輝(聖カタリナ大)も今大会がパラ陸上デビュー戦という新顔だ。川上同様、クラス分けが未確定だが、日本記録を上回る11秒05をマークした。2日目の走り幅跳びでも、日本記録(6m81)とカザフスタン選手のもつアジア記録(6m93)をも上回る7m03(+0.9)の大跳躍で初優勝を飾った。
走り幅跳びは福永とのハイレベルなジャンプ合戦となった。1回目に福永が6m80を跳び、有利に進めたが、石山は6回目で7m03を跳んで逆転すると、笑顔で両手を天につきあげ、観客の拍手に応えた。すぐ後に跳んだ福永も6m91(+2.7)と記録を伸ばしたが、及ばなかった。
石山は試合後、「かかとに少し痛みを感じたので5回目はパスし、6回目にかけた。シンプルに自己ベストを更新できて良かった」と、冷静な試合運びを振り返った。
2000年生まれの石山は現在、大学4年生。陸上は中学1年から始め、中学では高跳び、高校では三段跳びを専門としたが、大学入学後からスプリント種目にも挑戦を始めた。高校1年時に先天性の難病、網膜色素変性症と診断され、とくに夜間は見えにくいという。昨年の春頃、知人の勧めでスポーツ庁の有望選手発掘事業(J-Starプロジェクト)に応募したことで、パラ陸上への道が拓いた。
三段跳びはパラリンピック種目ではないため、今年春から走り幅跳びを始めた。「三段跳びのノウハウもあるが、まだまだ下手。改善しながら、東京パラの優勝記録(7m36)を越える7m40、50を目指したい」と話した石山。ポテンシャルは十分、示した。2年後のパリパラリンピックも見据えながら、じっくりと調整していくつもりだ。
川上、石山という新たなスター候補たちの登場を受けた福永は、「100m10秒台の自己記録をもつ二人が出てきて、T13のレベルがあがるのは1アスリートとしてはうれしく思う。でも、個人としては悔しい。そこは抜かしていきたいし、自分の課題にも目を向けながら、世界を目指してステップアップしていきたい」と、さらなる進化を誓った。
男子T13にはもう一人、100m10秒台に近い選手がいる。今大会は11秒35で4位だったが、自己記録は11秒14をもつ大学1年の吉田匡貴(陸上物語)だ。難病の網膜色素変性症を患い、小学5年時から急速に視野が狭まったため、野球を断念して陸上1本に絞り、陸上名門高で活躍。高校卒業を控えた今春、知人の勧めもあってパラ転向を決意した。パラ陸上初戦となった5月の2022ジャパンパラ競技大会では「練習不足で、試合も半年ぶり」というなかで100mに出場し、福永につぐ11秒30で2位に入り、ポテンシャルを示した。「これからしっかり練習したい」と意気込む。
このように、奇しくも同年代のタレントがそろった男子T13クラス。世界レベルの切磋琢磨が国内でできる環境が生まれ、さらなる進化と大きな可能性の予感だ。
なお、今大会の会場は2024年に開催される世界パラ陸上競技選手権の舞台でもあり、2日目には大会PRセレモニーも行われた。パラ陸上単体としては世界最高峰の大会で、100カ国から約1300選手の出場が見込まれている。今大会で躍動した新星たちはもちろん、「チームジャパン」の活躍も今から楽しみだ。チーム一丸となった、さらなる強化にも期待したい。
写真/吉村もと・ 文/星野恭子
インタビュー 佐藤圭太(パラ陸上)
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